渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

勘どころ

2019年02月21日 | open



過日、土を耕した。
本職ではないので誰から教わ
ったではない自己流だ。

しかし、山田流試刀術の土壇
切の勘どころの稽古にはなる。
武蔵が五輪書でいうように、
百姓には百姓の道具の使い方
と体の使い方がある。
刀剣においては刀剣の使い方
と体の使い方がある。
それぞれに専門職は長けてい
る。
しかし、別ジャンルでも共通
項はある。
否、共通部分とそうではない
部分を見極める眼力とそれを
弁別して取捨選択して用いる
事ができる能力を養うことが
肝要かと、刀術者として私は
考える。
百姓仕事(自己流ではあるが)と
て、刀術の益になる要素が必
ず隠れている。
特に対人剣戟での体の捌きよ
りも、柄手の操作等において。

振り下ろしの筋が狂うと真っ
直ぐに鍬が土中に吸い込まれ
ない。

やがてこのようにしていく。


本職ではないが、なにかと得
るものも多く、楽しんでやっ
ている。
何事も「楽しむ」ことは大切
なことで、これはスポーツや
武道の稽古にもいえることで
あるのは科学的に証明されて
いる。
脳内のエンドルフィンの問題
もあるが、楽しさからくる脳
の働きが運動身体能力の発達
を促すのである。
「楽しむ」ことを拒絶し否定
する考え方は、スポーツや武
道をやる上において100%誤
りである。
それは、まだ日本人が科学や
スポーツ医学に疎かった未開
人だった頃に、「水を飲むな」
とか「うさぎ跳び」をやらせ
たり等の非科学的な認識を後
進に強制し、人体を駄目にさ
せてしまった旧時代の感性と
同じものだ。
今時、「楽しんではならない」
などという無知蒙昧を恥ずか
しげもなく強要する「指導者」
たちはいないとは思うが、念
のため。

畑は耕すから実りがある。
スポーツや武道においても
「楽しみ」を捨象することは、
畑を耕すどころか踏みつけて
破壊することであるのだ。


これが報酬。
自分が耕した大地から採れた
恵みである。