コラーッ!(笑
コラーー!!(笑
殆ど転んでいるように見える
よね。
膝はパンタグラフなのでパタ
パタさせているけど。
まあ、スポーツバイクの乗り
方ではある。
無知な者には奇異に見えるの
だろうが、それはその人が物
を知らないだけ。
ホンダというメーカーは時々
ユニークな二輪を登場させた。
それはモンキーに始まり、モト
コンポや他にも多くのお遊び
イロモノバイクを発表して来た。
そのホンダの二輪にズーマーと
いう面白いバイクがかつてあっ
た。2001年6月登場。
私はズーマーを初めて見た時、
「あ、これは大戦中の英軍の
ウェルバイクをかなり参考に
して実用に耐えるようにした
物だなぁ」と感じた。
英軍のウェルバイクとは、前
線兵士の移動用に英軍がコン
テナカプセルに入れて空挺投
下したミニバイクだ。
戦場で投下されたバイクを組み
立てて兵士の迅速移動の為に
開発された。
だが、現実はそうはうまくは
いかなかった。
実際にはウェルバイクは全く
走らない二輪だったようで、
乗って移動するよりも押して
歩く事のほうが多かったらし
く、「ダメダメ兵器」の烙印
を使用者である英軍兵士たち
自身から押されてしまった。
フランス本土奪還や対ナチス
の前線英軍兵士の機動性確保
の為という発想は素晴らしか
ったのだけどね。
英軍は時々こうした失敗をや
らかしていた。
アーンヘムへの空挺部隊投入
の「マーケットガーデン作戦」
の大失敗とか。
あの橋をめぐる攻防は映画
『遠すぎた橋』(1977)で
かなり客観的に克明に描かれ
ていた。
私の高校はクロサワが出たから
という訳ではないだろうが、映
画鑑賞会を毎年行なうのが行事
で、日比谷の映画館を貸し切っ
ての全学年での鑑賞会が催され
る。今は無いが超どでかスクリ
ーンでオペラ劇場のような映画
館で1977年封切前に『遠すぎた
橋』を観た。圧巻だった。
だが、英米が負けた史実の映画
作品などはアカデミー賞は受賞
しない。『遠すぎた橋』は歴史
的な超名作であるのに。
キャストも「よくこれだけの
俳優陣を揃えられたなぁ」と
いう程にオールスター作品だ。
CGなど無い時代、航空機は全て
大戦中に稼働していた実機が使
われていて目を奪われた。
また銃器、服装についても一切
ミスは無く、ウルトラリアルだ
った。この映画によって、私は
「あ、ベレーかぶるべ」と思っ
た程で(笑
まあ、現実の歴史の中では、
マーケットガーデン作戦と
同じく、英軍のウェルバイク
投入は大失敗だった模様。
前線に空挺投下させて、兵士
たちに颯爽と機動性を持たせ
たかったのだろうけどね。
発想自体は素晴らしかったの
だが、残念。
ただ、英軍は大成功物もいく
つも作っている。
ステン短機関銃などは当時
世界最高の作動性だった。
鹵獲したナチスドイツ軍でさ
えコピー品を量産した位で。
シュマイザーよりも生産性が
各段に良いのでナチスも作っ
た程。
戦後のベルギーのFAL小銃は
アサルトライフルとして最高
性能で、世界70ヵ国以上に採
用された。
東側のAK47と真っ向から対峙
したのは確実にFALだったが、
英軍もそれを改良して採用し
た。
1982年のフォークランド紛争
では、英軍も連射機能オミット
のFAL(L1A1)でアルゼンチン
軍もFAL(フルノーマル)で
敵国同士で戦争した。戦後初め
ての西側国家同士の実戦だった。
いずれにせよ、第二次大戦中の
ウェルバイクは実戦投入では
失敗作だったようだ。
これに乗って、ステンで武装し
た空挺英軍兵士たちに活躍して
ほしかったのだろうなぁ。
2001年のホンダのズーマーの
あとに、スズキがもっとウェル
バイクに似せた原付を2003年に
出して来た。
それがチョイノリだ。
ギャグという機種もあったよう
に、スズキもダジャレ路線で
おもしろバイクを時々出す。
これはですね、カウル外したら
もろにホンダよりもウェルバイ
クに寄せてます(笑
笑えるよなぁ、こういうバイク。
こうした二輪を作るのは、世界
の中で日本人だけ。
日本人、意外と発想がユニーク
で遊び心に長けている。
でも、それはアジア人ぽくないん
だよなぁ。欧米人のギャグ好きに
かなり似ている。
尤も、日本の文化の中では落語
などの文芸ギャグもあるので、
日本人は存外ギャグ好きな資質
だったのかも知れない。
ホンダのズーマーとスズキの
チョイノリ。
ヤマハは気真面目過ぎてこう
したダジャレバイクは作れな
いような気がする(笑
考えたら後にも先にもヤマハ
はオモシロバイクは作ってい
ない。せいぜいポッケくらい
か。ユニークさを狙ったSDR
にしても、あれはお遊びとい
うよりチョイ本気2ストカフェ
レーサースタイルだったしなぁ。
原付50は大いに遊び心を満たす
カテゴリーだったのに。
ホンダは面白いラインナップ
を多くそろえていたので多く
の人の欲望を満たしていた。
ホンダの強みはそれだった。
コンビニエンスな面でシェアを
拡大したのがホンダで、一つ
の物作りのモデルケースになる。
居酒屋でバイク乗りの友人と
乗り方談義になっていて、私
が「ここでじんわりからパァ
ーンと」と、言った時に友人
が言葉を遮る。
「ちょっと待て。そこでなんで
手の角度がセパハンになって
んねん?」
と。
「え?だって、クリップオンが
俺のデフォだから。今そういう
機種の二輪の乗り方の話して
るんだから」
と答える。
すると「さよけ」と。
基本操作はどの二輪でも同じ
だが、機種によって乗り方の
細かい部分は異なる。
ブーツのソールにしても、ア
クロバティックライディング
やトライアルでは靴底が平ら
な物がベストだが、高速度走行
前提のロードモデルでは絶対
に直立ヒールを持つ靴でない
と駄目、という現実があるよ
うに。
そのような常識の基準判断が
ずれるとなかなか話題におい
ても嚙み合わない事が多い。
2ストと4ストの乗り方は基本
的に異なる事も含めて。
どちらのマシンも右手がドン
ガバチョの馬鹿開けは✖とい
うのは共通していても、操作
の細部が異なる事もあるよう
に。
4ストなどはバックトルクを
利かせないように、ブリッピ
ングでのクラッチの繋ぎ方を
滑らすようにして繋ぐとか。
2ストも4ストもエンジンブレ
ーキなどはクランクが壊れる
ので高速度スポーツライディ
ングでは使わないが、バック
トルクリミッターが着いてい
ないモデルでは人的操作によ
りトルク逃がしをやらないと
キビキビとした峠やコース走
りではエンジンが壊れる。
タコ針はレッドゾーンダンシ
ングさせているのだから。
また、トラクションのかけ方
や挙動対処も2ストと4ストで
は異なって来る。全体的な
車重だけでなく決定的に部分
的な重量の差異から来る外力
が異なるからだ。
そういったレベルの話を対話
で成す際には、同レベルの知
見を有する者同士でないと話
にならない、というか会話も
対話も成立しない。
バイク話というのは居酒屋ネ
タとしても楽しいが、同等の
レベルの知見の持ち主同士で
ないと成立しない内実の会話
というものもあるにはある。
フリクションロスの軽減処理
と接地感の因果関係を実走行
の面から説明しての意見交換
等、そういうレベルの話とか
で。
「白バイに負けたくなくて」
というより「白バイから逃げ
る為」というのが正解なので
は(笑
舗装路でのアクセルターンは
私も高校生の16才の時に覚え
て、よく使った。(未舗装路
のコースでは中学の時に会得
していた)
実際のところ、「実戦」(笑)で
も集団離脱の際にアクセルタ
ーンで方向転換して真っ先に
2輪120台のうち先頭でロン・
ハスラムのように飛び出し、
現場からダッシュ離脱してセ
ーフだった事もあった(秋ヶ瀬
公園1978.12.10日中、道交法
改正抗議集会)。
2ストも4ストもどの車種でも
アクセルターンは使った。
ただ、この動画のようなハイ
パワーマシンではなかったの
で、もっと寝かさないと後輪
は滑らなかったというのはあ
る。
低パワーであるほど、もろ横
のあたりまで車体を寝かさな
いとスロットルオンで滑り出
さない。
RZ350のTT100の皮むきなど
でもアクセルターンを使った。
当時は常識で、タイヤ新品交
換をお願いしたバイク屋のメ
カニックのお兄さんも「アク
セルターンできます?」とご
く普通に訊いてきた。
「できま~す」と答えると、
「ならそれを左右に2回ずつ
やってください。それで皮む
きオッケーだから」と言って
た。
1970年代~1980年代初期、二
輪乗りで多少乗れる奴らは全員
がアクセルターンはごくフツ~
にできていた。当然ウイリー
走行も。ポン上げだけでなく
ウイリーしたまま走るやつ。
二輪車の操縦としては、その
程度はごく常識的に皆さんが
できていたのが1970年代~
1980年代だった。
1980年代初頭も、私の相方の
弁護士などは、レプリカマシ
ンで外出走行の時にはウイリー
走行とかして遊んでた。
あとそのマシンで信号停止ス
タンディングとか。
よくやるねぇ、とか思いなが
ら二人でウイリー走行やシグ
ナルスタンディングして遊ん
だ。
二人とも過去の実績としては、
一本橋走行は30秒程だった。
二人で峠に行ったら「カメッ」
だった。二人とも革ツナギの
上にトレーナー着て。
箱根は毎週水曜夜明け前から
行っていた。
ことしも2輪と4輪の盛り沢山
イベントの「車輪村」がやっ
てくる。
サーカスのようで面白い。
2024年4月14日(日)、R182号
神石高原ティアガルデンにて。
入場料大人3000円。