渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

身体を動かす事ができなくなった日本の子どもたち

2024年09月21日 | open
 

















都内の某幼稚園ではラジオ体操
全面的に禁止となった。
身体を動かしたら子どもが怪我
をするからだ。
ただ禁止すればよいのか。
適切な運動能力の発達について
の対策をその幼稚園も都も講じ
ているのだろ
うか。

ラジオ体操をするだけで怪我を
する。
記事にあるように「ゲーム」と
は関係ないのではないか。
幼稚園児はまだ生まれて3才~
6才だ。
3才児がゲームに没頭するか?
6才児はやるかもしれないが、

それまでの運動への関与の仕方
に問題がある事だろう。
敷衍すれば、真の原因は他にあ
るのでは。親や幼稚園という教
育する側のこれまでのやり方に。

身体を動かすだけで怪我をする
というのは、もはや生物として
の人間の基本的能力さえも欠落
させているといえる。

ただし、日本人の運動能力の著
しい低下は現象として30年程前
から見られ始めた。
小学生の徒競走の平均タイムが
異様に下がって来たのだ。
つまり、まともに走れない子ど
もたちが爆発的に増えた。1980
年代半ば頃に小学生だった世代

あたりから。
これは確かにファミコンに没頭

して外で遊ばなくなった世代と
合致する。
それ以降、どんどん日本人の運
動能力が極度に低下した。徐々
に。しかし、目に見えて。

同時に肥満児たちもかなり増加
していた。
2000年前後の中高生はかなり

肥満体質だった。特に女子。
駅のホームや地面に平気でパン

ツをペタンと着けて(アンダー
パンツなど履いていないので
極めて不潔)座っている女子高
生が爆発増加した頃。
10数年程前に20代前半だったあ
個人競技スポーツで全国優勝
た人の例としては、両手の指
小指からもしくは親指から順
りに滑らかに閉じたり開いた
する事ができなかった。
要する
に手の指はグーパーしか
できな
い。
その人の個体差かと思ったら、
指導者によるとその世代のほぼ
全員がグーパーしかできないの
だという。スポーツをやってい
る層であろうとも。
驚愕したが事実らしい。

こうした傾向は前述のように
四半世紀以上前から「日本人
の基本的
運動機能、四肢機能
の低下」と
して私は感じてい
た。

鉛筆を刃物で削れない日本人が
ドワッと増えて来たからだ。
鉛筆を削れないどころか、マッ
を擦る事ができない。
それだけではない。
使い捨てライターの着火もでき
ないのだ。やり方を教えても指
先が動かず。

ある時期からオートバイに乗る
多くの人たちが、1980年代に
20代だった層からしたら
考えら
れない程にド下手くそな
人たち
で占められるようになっ
た。
これは現象面での事実とし
て存
在している。

この現象は、日本人の運動能力
の著しい低下の時間軸と軸線を
一にしている。
要は、身体が思うように動かな
い世代層がオートバイにまとも
に乗れない層を形成しているの
と符合するのだ

従前では考えられない異様な程
に立ちゴケ連発やUターンがで
きない、
倒れた二輪車体を自分
で起こせ
ない、という層が今の
中年以下
では殆どだ。
たぶんその層の中でも年齢が
下がるにつれ、「ボールが投げ
られない」
「駆けっこができな
い」「グー
パーしかできない」
という
層の中の層になっていく
と思われる。

両手両足と各指を意思通りに自
在に使い、
重力バランスも取り
ながら体重
移動をさせて運転す
るオートバ
イなど運転できる訳
がない。オートバイという乗り
物は運転する事自体が運動にな
っている乗り物だからだ。


人類は進化はせず、生物として
一挙的に著しく短期間に退化す
る、という実例を今の
日本は発
現させてしまってい
る。
先天的な遺伝性ではないとした
ら、後天的に人間の身体能力を
退化させる悪しき事を外力でや
っているのは確実だろう。
そして、運動ができない、身体
を動かせない子どもたちにして
いるのは親であり、教育機関で
あり、社会であり、国である事
だろう。
社会的問題としては、現在は

公園でキャッチボールやサッ
カーボールを蹴る事さえも禁
止されている公園が殆どであ
るのが実情だ。
子どもたちは仮に外で遊びた
くとも、公共広場でボール遊び
さえもできないようにさせられ
ている。
そうした環境にしたのは子ども
たちのせいではない。大人たち
が下らぬコンプラ意識でそのよ
うにさせて来た。
結果、子どもたちは親から与え
られた機器類を使うインドア
遊びに没頭する。
そうさせているのは親であり
社会であり、社会を運営して
いる大人たちだ。大人たちの
事無かれ主義が「運動さえで
きない子どもたち」を大量に
作り出した。
国民の健康増進の為に発明され
たラジオ体操自体さえももうで
きない身体になってしまった
今の子どもたち。
これ、国家的に改善策に取り組
まないと、日本人は何も生物と
してできなくなるよ。身体が
動かないのだから。
コンプライアンス風潮および事

なかれ主義という国民意識と運
動能力を消滅させる極悪スタン
スを日本人は消滅させない限り、
今後ますます「身体が動かせな
い子どもたち」が増産される事
だろう。
その子たちが圧倒的多数派とし
て成人して行く。
国は成り立たなくなるだろう。
あらゆる産業分野が死滅する。
実動を伴わない頭脳だけで人間

社会は絶対に成立しないからだ。
田植えさえできない人間だらけ、
ネジ一つまともに締められない
人間だらけになって、どうして
国が立ち行く事ができようか。
建築、建設、鉄鋼、造船、IT機
器等々の製造部門も全滅となる
だけでなく、第一次産業すべて
がこのままでは「何もできない
日本人だらけ」になって、国は
成立しなくなる。
このままでは成人が自分の体を
まともに動かす事ができない日
本人だらけになるからだ。
ごく近い将来。
防衛問題どころの騒ぎじゃない。
日本が死滅に向かう序章はもう
すぐそこまで来ている。
国民の人間としての基本的運動
能力の向上に国家的プロジェク
トとして取り組まないと、本当
に日本は危うい。
タブレットではなく鉛筆とチョ
ークと消し
ゴムでノートや黒板
(白板)に文字を書
き、紙の本
を読む事を捨てた結
果が今の日
本人の年少者の絶望的な実態

作ってしまった。

子どもたちに責任は無い。
社会と国と親世代が日本人を
駄目にしている。


上掲引用記事を書いた作家の
著書は読んでみたい。
特に『ルポ 誰が国語力を殺す
のか』は非常に興味がある。



 

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