渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

カブ激似スクーター ~ホンダ エクスプレス~

2025年03月15日 | open

【EXPRESS】
カブ激似スクーター!
2ストエンジン&大径ホイール
でキビキビ走る!
時代が生んだビジネスバイク
【エクスプレス スーパーカブ】
カブ似のホンダ純正2スト
バイクという超レア物。



ちょっと待て。
ダブルリアショックにした
のはいいのだが、右側、サ
スの下部固定ステー部分が
マフラーの固
定部と接続さ
れている。

これだとリジットになり、
スイングアームが動かなく

なるのでは。
実車は実際にはどういう構
造になっ
ているのだろう。
動画の解説通りだとすると、

スイングアームは固定リジ
ットになってしまい、サス
を2本も装備している意味
がゼロになる。


ホンダが投入した2スト版
カブ似バイク。
伝説の世界グランプリ復活
勝利の1983年にホンダは2
ストのこのモデルを登場さ
せた。
ホンダはこの1983年を機に
4ストメーカーという肩書
をかなぐり捨てて、オート
バイクラスでも2スト市場
戦線に参入する。
そして、2年後の世界グラ
ンプリ500ccクラス250cc
クラスダブル優勝の1985
年を経て、一般市販車でも
ワークスレーシングマシン
のノウハウをふんだんに
採用した伝説のオートバイ
NSRを市場投入するに至る
のだった。
NSR250Rは年々熟成され、
2スト天下無双だったヤマハ
を大きく突き放す事に成功
した。
それは世界選手権ロードレ
ースでも一般公道市販車の
世界でも。

横浜市の南部、金沢区。

関東学院大の金沢文庫キャン
パスの横を走っている。




神奈川県の湘南藤沢や横浜
南部の小学生たちは、昔、
「指で口を左右に開いて、
沢文庫と言ってみろ」と
いうのが流行っていた(笑
小学生男子限定。
しょーもねぇ~。

だが、それは1960年代~70
年代の神奈川県南部小学生
限定だと思われる。
埼玉県の大宮市(現さいたま
市)あたりだと「金沢文庫?
どこだべそれ」となったか
らだ。
横浜から大宮に転校した時、
金沢文庫をやらせようとし
たら「なにそれ?図書館?」
とかも言われた(笑
横浜の小学校時代に考案し
た「ガンバコ」という校庭
でのボールゲームを大宮に
持ち込んだら、かなり人気
だった

横浜と違ったのは、ビニー
ルボールを使った三角ベー
スが埼玉大宮では大流行し
ていて面白かった。
藤沢と横浜ではビニボール
ではなく軟球を使った野球
(本物)が流行していたが、
埼玉大宮では簡易ゲームの
三角ベースが大流行だった。

今思うと、その三角ベース

は今回の動画のようなホン
が放ったレア異例物のバ
イク
のように思える。
結構、「え?そう来たか?」
という位に衝撃だった。
こんな面白い遊び、誰が考
えたのか、と。
「ガンバコ」は横浜市南部

の古い小学校では爆発人気
だったが、大宮の小学校で
は人気は出ても爆発的流行
には至らなかった。

あと、大宮の子どもたちは
「釘刺し」の遊びを知らな
かった。
それも不思議だった。
所変われば遊びも変わる、
て感じ。
鎌倉幕府があった地区エリ

アでは、子どもたちは釘刺
しと喧嘩独楽回しは常識的
にやっていた。季節関係な
く。
そして、埼玉県大宮では何

故かジーンズデニムを履く
男子が多く、普段着もスタ
ジャン着たりのアメカ
ジだ
った。

これは横浜では中区以外に
はあまり見られなかった傾
向で、ファッション文化と
しては面白く思えた。
横浜のほうが本牧や山下公
園がある中区を中心に同心
円状に外に行けば行く程遅
れていたのに、埼玉県大宮
はいきなり横浜市中区のよ
な垢抜けた服を小学生た
ち全員が着
ていて、決して
「ダサイタ
マ」ではなかっ
た。

この現象は面白かった。
大宮の小学生たち、案外シ
ャレ
オツだった。

それと「基地」というのを
神奈川県の小学生はやたら
作っていた。空地に小屋風
の物を植物など使って作っ
て、そこを隠れ家のように
て遊び仲間が集まるのだ。
だが、埼玉県大宮では「基
地作り」の文化が小学生の
間では皆無だっ
た。
漫画『20世紀少年』にも基
地作りは出てきたが、あれ
が全国版ではないのは実際
の1960年代末期~70年代初
頭に私は現実で体験した。
「じゃん」という言葉も埼

玉県では皆無だった。
ジャン言葉で話すと「なに?
その変な言葉」みたいに言
われたりしたのが1970年代
初期の埼玉県だった。
埼玉県が一挙的に東京ベッド
タウン化する1970年代中期
以降、ようやくジャン語も
埼玉県人たちに認知され始
めた。
とりわけ、小学生たちは外
の土地に行く事が極端に少
ないため、地方地域コミュ
ーンの文化が閉鎖的に形成
される。
なので、バイク免許などを
取って外の世界を知るよう
になる高校生や、全国から
人が集まる大学生や、都内
への通勤者ばかりの大人た
ちとは違い、地域の小学生
というのは閉鎖的風俗や古
い風習を実践する主体であ
ったのが1970年代だった。
東京でも全く同じで、都内
の小学生たちも自分たちの
周辺という狭いエリアでの
文化しか知らなかった。
東京都内は山手地区と下町
地区では全く文化風習、言
葉も人柄も異なっていた。

そうした閉鎖的な狭いエリ
アの事しか知らなかった20
世紀少年たちが外の世界を
知るのは、16才になってバ
イクの免許を取って外の世
界に走り出す事によってだ
った。
少年たちが公共機関ではな
い自分の力で遠くまで行け
るようになったのは免許と
二輪車のおかげだった。
早期に外の世界を知った少
年たちは、ティーンの頃か
ら独立自尊の自立的精神が
宿るようになっていた。
「自他」の区別がつき、社
会的現実と向き合って、し

っかりとした「自己」を持
つ事ができた。
そもそも二輪とはそうした
人間的資質が無いと乗って
走れない物体だから、ただ
外に出るというだけでなく、
その精神的自立傾向は二輪
の特性そのものが人をして
覚醒せしむる要素を有して
いる。それは今の時代でも。
少年よ、青年よ、二輪に乗
れ。

 


  
 
 

 
 

 

 
 

 
 

 
 
 



 
  
 


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