渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

子は育つ ~鷹は鷹を生む~

2024年05月02日 | open




このヘルメットの男の子は、
やがて2000年に世界グラン
プリ500ccクラスで世界チャ
ンピオンになった。




ケニー・ロバーツ・ジュニア
の母はカリフォルニア生まれ
の歌手、タニヤ・ファラン・
ウェルク・ロバーツ。
生母はロードレース世界チャン
ピオンの父ケニー・ロバーツ
(ケネス・リロイ・ロバーツ)
と1980年に再婚し、のちに離
婚した。






父ケニー・ロバーツはただ速
いだけの世界チャンピオンで
なかった。
安全性とレーシングライダー
の社会的地位向上、賞金のアッ
プ、
自分以外の他チームへの
補償
等々について、専横を極
めた主催者と熾烈に
争った。
それを拒む世界グランプリ主
催者との確執により、ケニー
は新しい世界的競技団体をも
組織しようと動いた。
結果的に、WGP主催者は折れ、
ケニーも新組織による新世界
選手権競技開催
案を取り下げた。
ケニー・ロバーツによるグラン
プリ支配層との闘いは、最終的
にグランプリレースの主催者に
対しより厳しい安全基準を採用
させる事につながった。
ケニーはGP支配層がレースでの
競争者たちをまっとうに扱い、
金だけでなくスポーツのプロ
フェ
ッショナリズムを著しく向
上さ
せる事に歴史的な貢献を果
たした。

歴史上、ケニー・ロバーツは
世界
グランプリの支配者たる
FIMに
真っ向から挑戦した世界
最初のライ
ダーだった。
ケニーの偉大さは、速さだけで
なく、そこにある。
ケニー・ロバーツがWGPと現在
の世界選手権MotoGPの基礎を
築いたのだ。
今のGPはケニーが苦労して作っ
た体制と社会気風を享受した
上に存在している。

1980年以降のレース参加者たち
は、ケニーの功績により現行の
安全性追求や賞金や資金援助の
構造の恩恵を受ける事ができて
いるのだ。
真にモーターサイクルを愛する
男。
それは支配者の不当な事に対し
て毅然と闘う男だった。
ケニー・ロバーツの偉大さは
そこにある。
そのような二輪乗りはそれまで
一人もいなかったからだ。

ケネス・リロイ・ロバーツ=
ケニー・ロバーツ


偉大な彼は「キング・ケニー」
と呼ばれた。




 

 


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