八女市で久留米絣展が開催されていました。会場は八女の中心地、旧福島町にある造り酒屋だった建物です。いまは町家交流館として観光施設になっています。江戸末期の建築です。
主に布団地や着物仕立ての絣が展示されています。
明治大正期には嫁入り道具として久留米絣の布団地が織られました。柄は縁起物が多いです。
これは明治中期につくられた布団地。上部に「三国一」と「富士山」の文字があり、両側に電柱。富士山と橋を渡る汽車、軍艦が織り込まれています。当時の世相を表しています。
高砂の翁媼模様の布団地です。経糸と緯糸両方に絣が入っており、絵合わせが難しい織り方です。明治末期のもので、久留米絣の最高傑作といわれています。
「降る雪の向こうに」と題された近年の作品です。文様と花が描かれています。花は山茶花でしょうか。久留米絣も時代にあわせて新しいデザインが用いられています。
別棟には反物が展示されていました。狭い路地になっていますが一体の建物です。
奥の庭に出てみました。
絣の反物。私が中学生の頃、洋装に応用できるように、着尺ではなく広幅絣を開発するという記事を読んだことがあります。
「秋の筑後路」
片羽十字「瑞花」
「起」
「山路」
久留米絣技術保存会の検査を通ると証紙が張られます。天然藍染、手括り、手織りが文化財の条件です。それぞれの工程に技術保存者がいて、一反の織物が完成するのに数か月かかります。
江戸時代の版画をテーマにしたものです。ガラスケースに入っているため、反射や写りこみがあって少々見づらいです。版画と比べると、細かいところは省略されています。
葛飾北斎 冨嶽三十六景「深川万年橋下」
同 上 「神奈川沖波裏」
久留米絣には柄物と絵絣があります。当初は模様だけでしたが、絵台が考案されて絵絣を織ることが可能になりました。下の写真は別の展示会の折りに撮った絵台です。
絵台に張った糸に下絵から墨付けします。絵糸書きの工程です。墨付けした部分を括って藍染めします。墨付けした糸はガイド糸で、織り糸と一緒に括って染めます。技術保存会の方が説明してくれました。
町家交流館のある街並みです。旧城下町八女の街並みは別の機会に紹介します。
布団地なんて明治 大正期 嫁入り道具だったのですね
高価なものだったでしょう
久留米かすりは華美な色合いではないですが
素朴さを感じます
久留米がすりをリフォームして今風に仕立ててあるのをみますが
1着ほしいな~と思うんですよ
九州よりさんUP有難うございました
八女市・・「やめし」は 柳川市の隣りの市?、
九州よりさんの ブログで 結構 周辺の地理 勉強になっています。
素晴らしい文化財のあれこれ見せていただきうらやましいです。私は英国で47年住んでいますが、40年以上も前、ローカルの市場でこの久留米絣の着物を売ってるのを見てとっても安く買いました。
当時はあまり日本人も居なくて、たぶん留学生あたりがお金に困って売ったか、何もわからない英国人へのプレゼントだったか。
私も最近友達からこれは久留米絣だと言われるまで知りませんでしたが、いつも湯上りに愛用しています。とっても良い柄で気に入っています。
いまは洋装がほとんどですが、
素朴な味わいの絣は根強いファンがいます。
20年近く前につくった半袖の絣シャツは丈夫で、
今でも愛用しています。
骨董市などでは絣の古布が売られていますが、
結構高い値がついています。
手織りの久留米絣はとても手が出ません。
昔は野良着のモンぺに使われていたように思います。
八女市は柳川の東にあり、すぐご近所です。
こんにちは。
八女は短い期間ですがお城があった時期があり、
城下町としての遺構が残っています。
八女郡内の物資の集散地だったこともあり、
伝統工芸の盛んなところです。
ただ久留米絣は八女ではなく、お隣の筑後市や広川町が産地です。
久留米絣は明治時代は農家の副業として織られていました。
問屋は久留米市に集中しています。
久留米絣はもともと作業着に使うような実用的な織物です。
いまは産業としては衰退しましたが、機械織り中心に頑張っています。
国の重要無形文化財になっており、技術保存会があって伝統的な工法が継承されています。。
藍と白の素朴な味わいで、今でもファンが多いです。
化学染料で今ではカラフルな絣も織られています。
木綿地ですからさっぱりとした着心地で私も愛用しています。
コメント有難うございます。
失礼しました。