頑張れ!じゃがいも3兄弟!自分に甘く、子供に厳しい親父の日記パート2

この日記は、子供達の日々の成長や反省を書き綴り、子供達の成長を真に願う方々と熱く語れる場になればと思い作成しました。

君の名は・・

2022年07月13日 | 日記
大和が中3になった頃だったか、当時、コロナ禍で全中がなくなるだ何だとピリピリしていた時にOBを介して出稽古に来てくれた子がいた。
 
私も大和もその子の学年や名前も知らなかったが、聞けば大和と同級生で、正直、練習について来れるレベルではなく、中学に入ったばかりの橋間、北口にもボコボコにされていた。
 
前年、全中の決勝で敗れ、今年こそは日本一と意気込んではいたが、それが開催されるか分からないという苛立ちの中で練習をし、その彼はそんな練習に連日通いつめた。
 
当初、彼がやって来ると、基本メンバーがOBOG主体だったので、
 
え?あの子また来てるの?
 
という雰囲気になり、イケズな大和や蓮は親御さんの前で、それはそれはギッタギタのボッコボコ(想像以上。)にしていた。
 
こちらが気を遣うぐらいだったが、せっかく来てくれたなら厳しさも知って欲しかったので、怪我だけしないよう見ていた。
 
いつになったら折れるだろう・・。
 
常にそんな話をしていたが、皆勤で通いつめ、時に自道場の練習とかぶる事もあったが、練習を終えてからも来て驚いたこともあった。
 
彼が初めて来た翌回の練習でBBQをしたが、そこにもいた。
 
みんな、まだ名前も知らない子がお父ちゃんとBBQに来てたので、
 
オメー誰だ?オメー誰なんだよ!?
 
と微妙な雰囲気になった。
 
今になると笑い話だが、お父ちゃんは練習でボコボコにされるのもキツかったが、あのBBQが一番キツかったと言われていた。
 
正直、我が子の練習の姿を見るのがキツい時もあったが、何だか試されている気になって意地でついて行った。と言われていた。
 
そんな日々が続き、いつしか彼はそこにいることが当たり前の人間になり、皆から『おい!タケシ!』と呼ばれる人気者になった。
 
高校も柔道の推薦で行けるまでになった。
 
当初は、
 
何しに来てんだ。
直ぐに来なくなるだろう。
 
と言っていた大和も、今では何かにつけて、
 
ちょっとタケシ呼んでくれ。
 
と帰省の度にタケシに遊んで貰っている。




柔道が強い弱いとか、結果の有無等とか全く関係ない。
 
親、本人の努力、頑張る姿って、子供、大人にかかわらず認められ、それと同時に敬意に変わる。
 
私自身も、子供の為に辛抱し、全力でバックアップすることの重要さをあらためて学んだ、そんな出会いでした。
 
なぜこんな話をするかと言いますと、私のストーリーに上がって来る彼を見て、あれは誰ですか?二見の子じゃないですよね?と言われる方が多かったので紹介してみました。
 
ちなみに最後に何ですが、
 
彼の本当の名前はタケシではない・・。
 
タケシ!と呼ばれたのは人生初めてだったらしい。
 
君の本当の名は・・何だっけ。