稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

気付かない者は直せない

2017年03月22日 | 剣道・剣術
20日のブログに「気付かない者は直せない」と書いた。

どんなに指導をしても悪いところが直らない者がいる。
心が素直で無いのか身体が素直で無いのかよくわからないが、
根気よく教えてもまったく直らないのは困ったものだ。

「三年勤め学ばんより三年師を選ぶべし」と言うが、
本人に問題がある場合は何を学んでもどんな師に出会っても無駄である。
ラジオなら、良い放送を流しても「受信機」が壊れている状態と言える。

私が六段審査に苦労していた頃、上に立つ先生方から、
「構えが小さいよ」とか「猫背になってるよ」とよく言われた。

今から思えばあの頃の私の構えは、まるでボクシングのように、
肩をすぼめて顔が俯き左ひざを曲げて構えていた。
向きは違うが銃を持って突撃するような構えでもある。
自分の構えが悪いという指摘をされた事も無かったし、
自分の構えがおかしいという自覚はまったくなかったのだ。

「もっと胸を開いて構えなさい」と言われても
「俺は肩幅狭いから仕方ないやん」と体格のせいだと思っていた。

いつぞや書いたが、ある日、剣友が稽古風景をビデオで撮ってくれて、
それを見せてもらって自分自身の構えがあまりに不恰好なことに気付いた。

技の良し悪しとかスピードがどうとかの問題では無い。
構えは土台であり基礎である。土台が悪い上に何を建てても無駄である。

それから構えの立派な人を見つけては一生懸命真似をした。
結果、胸が開いて前後の足幅が狭くなり、構えも大きくなった。
気付いて修正し続けた結果、やっと六段レベルになれたわけだ。

どうしても直らない者は、そもそも「気付いていない」と気付いた。

「やってるつもりなんやけどなあ」
「ちゃんとしてると思うんやけどなあ」とは良く聞く言葉だ。
手の握りも、姿勢も、拳の位置も、左足の向きも、ヒカガミも、重心の位置も、
どれもこれも悪いのに、本人は「正しくやってる」と思っているのである。

どれか一つでも直せれば、次の修正に入れる。
何も直せないまま、まったく変わらないまま月日が過ぎていく。

六段審査、七段審査で苦労している60代を数名知っているがどなたも構えが悪過ぎる。
若いときはスピードで誤魔化しが効いたが60歳を超えるともう無理だ。
素直になって自分の悪いところを認識するところからしか始まらないと思う。
コメント
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