稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

小学校の思い出(小川先生)

2017年03月16日 | つれづれ

(旧奈良市内にあった旧校舎、1~4年まではバスと電車を乗り継いで通っていた)

小学1年生から6年生まで、ほぼ40名が同じメンバーのままだった。
これは奈良女子大学文学部附属小学校の教育方針によるものである。
(今は奈良女子大学附属小学校と言うらしい)
クラスは2組で、月組と星組で宝塚歌劇のような組名である。


(昭和43年3月の卒業写真、月組みは左側、我が星組は右側)

6年間も一緒に学んで育った同級生は兄弟みたいなもので、
50年経った今でも名前はフルネームで言えるし誰がどんな奴かを思い出せる。
担当の先生は3年毎で変わる。1~3年が小川先生、4~6年が倉富先生。


(小川先生は前列右端、倉富先生は前列左から2番目、
 私は2列目の中央付近で腕に2本線のセーター姿)

良きにせよ悪きにせよ、この6年間は少なからず人生に影響を及ぼした。
自分の人生に影響を及ぼしたトラウマな思い出はたくさんある。

小川先生の強烈な思い出は3年生(2年生かも)。
グループ毎に大きな絵を描いた時のこと。
たたみ1畳ほどのキャンバスに6人ほどで絵を描いた。
汽車が草原を走っている絵だ。

キャンバスの中央にリーダーが
「真上から見た線路の上を、真上から見た汽車が走っている図」を描いた。
他の者が花を片方から線路を頭にして書き始めた。

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汽車は真上から見た図。皆は花を横から見た図で描いている。
私は考えた。「反対方向から描くには上下を逆にした方が良いのでは無いか?」
そう確信して、反対側から汽車と列車を上にして花を描き始めた。
イメージ的には汽車を花が包み込むような感じの絵だ。
お花畑の草原を、煙を吐いた汽車が力強く走っていく姿を真上から見た姿が思い浮かんだ。

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==□□□□==(真上から見た線路を真上から見た汽車が走る)
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いくつか描いた時に、「ああああっーーーーーーー!」という声。
誰かが「先生!、粕井くんが無茶苦茶してます!」と叫んだ。
先生が飛んでき絵を見るなりすごい形相で腕をつかまれた。
「あんた何してんの!!」と筆を奪い取られた。

皆や先生が思っていたのは汽車は真上からでも花は横から見た図らしい。

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==□□□□==(この汽車が横から見た図なら納得はしたのだ)
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「それおかしいやん!そんなら汽車も横から見た図にせなあかんやん!」
と心の中で叫んだが、その頃無口な私は何も言えずただ立ちすくんでいた。
私の描いた部分は消されたり修正されたりして絵は完成したが、
最後まで私は描かせて貰えず、皆の作業を横で見てるだけだった。

「無茶苦茶なことをする変なヤツ」というイメージが定着した。

父兄参観で母が小川先生から言われた言葉。
「粕井君は頭の中の線が3本ほど切れてますねえ」
驚き悲しんだ母親から何回も聞かされた言葉だ。

私が大学生の頃、母は小川先生に会った事があるらしい。
「粕井君、立派にならはったねえ、昔から良い子でしたよ」と言われたらしい。
社交辞令だろうがそんな嘘は聞きたくは無かった。

小川先生は感情的に叱りつけるだけだった。
どうして私の考えを問いただし、冷静になって聞いてくれなかったのだろう。
その時のやるせない記憶は「鮮明な負の記憶」として私の心の奥底に今もある。
担当の3年間の間に、褒めてもらった記憶も特に無い。

今は明るく開放的で行動的だと人から見られるが、
それは高校時代に変化してだんだんと身につけたもの。
基本は無口で引っ込み思案な性格が内部にうずくまっている。
おそらく小学校のこの頃に形成された性格だと思う。
コメント
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