不動心について
剣道を修業する心構えとしての中に大切なことは
「風吹けども山は動ぜず」の如く相手のどんな変化のわざに対しても
動じない不動心を養い、心の余裕を持つことにある。
この精神の動揺を如何になくすか、これを剣道のわざで鍛えて無くしてゆくのである。
例えば相手が甲手に色を見せて面を打ってくる。
そのわざが虚か実かの判断力を養う。これが剣道の修業である。
この修業の竹刀剣道の原点が古流の形である。
この古流の形を不断の稽古修業に励み体得せば、
打とうとか打たれまいとか言う心の迷いを滅却することが出来る。
即ち一刀流の切落しに繋がる。
死なばもろ共、一発勝負、相打ちの精神で修業せば必ずや不動心を養い得るものと信じる。
形を体得した竹刀剣道は老いて益々冴え、上達うたがいなし。
これに反して自分の習慣だけで力とスピードにたよった剣道は限度があり、
年老いて退化する。剣道は練習ではなく稽古するものである。
(1月28日、井上勝由館長撮影、長正館はとうとう完全な更地になってしまった)
剣道を修業する心構えとしての中に大切なことは
「風吹けども山は動ぜず」の如く相手のどんな変化のわざに対しても
動じない不動心を養い、心の余裕を持つことにある。
この精神の動揺を如何になくすか、これを剣道のわざで鍛えて無くしてゆくのである。
例えば相手が甲手に色を見せて面を打ってくる。
そのわざが虚か実かの判断力を養う。これが剣道の修業である。
この修業の竹刀剣道の原点が古流の形である。
この古流の形を不断の稽古修業に励み体得せば、
打とうとか打たれまいとか言う心の迷いを滅却することが出来る。
即ち一刀流の切落しに繋がる。
死なばもろ共、一発勝負、相打ちの精神で修業せば必ずや不動心を養い得るものと信じる。
形を体得した竹刀剣道は老いて益々冴え、上達うたがいなし。
これに反して自分の習慣だけで力とスピードにたよった剣道は限度があり、
年老いて退化する。剣道は練習ではなく稽古するものである。
(1月28日、井上勝由館長撮影、長正館はとうとう完全な更地になってしまった)