稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.3(昭和59年7月17日)不動心について

2018年01月29日 | 長井長正範士の遺文
不動心について
剣道を修業する心構えとしての中に大切なことは
「風吹けども山は動ぜず」の如く相手のどんな変化のわざに対しても
動じない不動心を養い、心の余裕を持つことにある。

この精神の動揺を如何になくすか、これを剣道のわざで鍛えて無くしてゆくのである。
例えば相手が甲手に色を見せて面を打ってくる。
そのわざが虚か実かの判断力を養う。これが剣道の修業である。

この修業の竹刀剣道の原点が古流の形である。
この古流の形を不断の稽古修業に励み体得せば、
打とうとか打たれまいとか言う心の迷いを滅却することが出来る。
即ち一刀流の切落しに繋がる。

死なばもろ共、一発勝負、相打ちの精神で修業せば必ずや不動心を養い得るものと信じる。
形を体得した竹刀剣道は老いて益々冴え、上達うたがいなし。
これに反して自分の習慣だけで力とスピードにたよった剣道は限度があり、
年老いて退化する。剣道は練習ではなく稽古するものである。


(1月28日、井上勝由館長撮影、長正館はとうとう完全な更地になってしまった)
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