○少年に対する話術について
少年に対する話は、要点だけ言うと、味気も無く興味も沸かず、
積極的に理解しようとしないものである。
之が為、私はあの浪曲や音頭のように最初枕言葉から入ってゆくよう絶えず心がけている。
例えば浪曲で廣澤虎造が、森の石松、讃岐の琴平代参の下りでは先ず
「ここは名におう東海道、三国一の冨士の山~~~」から、
やがて本論の森の石松に入ってゆき、本論の中にもユーモアを混じえ、
最後に「丁度時間となりました、このあとの成りゆきは、又の機会のお楽しみ、
先ずはこれにて・・・」と本論の余韻を残し、落しに入って終る。
又、河内音頭の河内十人斬りの物語にしても、
最初から本論に入らず「えー さては一座の皆さんえー ちょいと出ました私も、
お見かけ通りの悪声で(囃子)七百年の昔から歌い続けた河内音頭にのせまして、
精魂こめて歌いましょう・・・」と始まり、大和河内の国境、金剛山、
赤坂千早の城の跡と物語り、時は明治26年5月26日の夜、水分村に住まいする、
松永伝次郎始めとして十人殺しの大事件と、
リズムに乗せ乍ら本論に入ってゆき最後に十人斬りの頂点まで、
聞く者、踊る者を引きつけ魅力し、惜しいところで落しにかかる。
「次なる先生におゆずり致す、それでは皆さん左様なら。と落す。
これが話術であり、芸術の妙味と言えよう。
このように私は基本的な話術をいつも念頭に置いている。
例えば誠の話であるが、指導者に対しては№12に詳細に書いておいたが、
それを幾ら少年に判りやすく解釈して話しても、大変むつかしく、
何のことか判らずじまいで退屈してしまうから何の役にも立たないのである。
次に誠を表現するのに一つの昔話としておきたい。
これは有名な伝説で、今も語り伝えられている。
越後の花嫁。肉づきの鬼の面の物語。昔々、越後(新潟県)に大変信仰の深い花嫁がおった。
毎夜毎夜お寺参りするので姑は夜なべを嫁にさすことも出来ず、
内心腹だたしく思っていたが遂に辛棒出来ず、或る夜、鬼の面を持ち出し、
嫁がいつもお寺参りに行く通り道の竹やぶの中にかくれて、嫁がここを通る時、
鬼の面をかぶって飛び出しておどろかしてやろうと待ち構えていたところ、
案の定、前を通りかかったので、さっと飛び出しておどろかした。
嫁は驚くどころか鬼の面に向って言った。
「呑(の)めば呑(の)め食(は)めば食(は)め、誠の信に食ぶ(刃部)は立つまい」
と言って従容(しょうよう)として過ぎ去り、お寺参りに行った。
あとで姑は嫁をおどろかしたが、
こたえず無念に思い乍ら鬼の面を取ろうとしたが顔の肉がひっついてとれない。
結局(註:原文は結曲)無理してはがしたが、その面の内側に肉がひっついていたのである。
以上があらましの話であるが、これを少年に話をするのに、このまま話をしても味がなく、
かえって少年にはむづかしいので、これを話術を以って剣道で大事なことは誠であること。
この誠を表現するのが剣道であると言う事を、この話で理解さす為、
如何にうまく少年を引きつけ感動させてゆくか、一つに指導者の話術如何による。
このように例え話を交えて善導すること肝要也。
(この物語りは私が小さい時に聞いた話で、一部違う所はあるかも知れませんが、
物語の本旨は変らず誠の大切さを知って貰いたいと思っています。)
続く