220)細胞増殖のシグナル伝達を阻害する抗がん生薬

図 増殖因子と受容体の結合による増殖刺激や、炎症性サイトカインや酸化ストレスなどの刺激によって、RasやRafやMAPキナーゼ(MAPK)などのセリン-スレオニンキナーゼがカスケード状に活性化され、その結果細胞増殖や血管新生が起こる。このような細胞増殖のシグナル伝達の経路を阻害すると、がん細胞の増殖を抑制し、アポトーシス(細胞死)を誘導することができる。


220)細胞増殖のシグナル伝達を阻害する抗がん生薬


従来の抗がん剤は、DNAや蛋白質の合成を阻害したり、細胞分裂で重要な役割を果たす微小管の働きを阻害することによって、がん細胞の細胞分裂を阻止し、細胞を死滅させます。しかし、このような作用はがん細胞に特異的ではなく、細胞分裂を行っている正常細胞にも同じダメージを与える結果、胃腸粘膜のダメージによる食欲不振や吐き気や下痢、骨髄抑制による白血球や血小板や赤血球の減少、毛根の細胞分裂の阻害による脱毛などのつらい副作用を引き起こします。また、細胞分裂を行っていない正常細胞に対しても、酸化障害などによって細胞がダメージを受け、肝臓や腎臓や心臓などの臓器障害を起こします。
近年、がん細胞の分子レベルでの性質が明らかになり、がん細胞に比較的特異的な増殖シグナルを抑制する「分子標的薬」という抗がん剤が開発され、その有効性が確認されるようになりました。
がん細胞は自動車でいえば、アクセルが踏み込まれ、ブレーキも利かなくなって、暴走している状態と言えます。このようにして暴走している車を止める手段として、アクセルから足を外させるか、エンジンから車輪への動力伝達機構(クラッチ、トランスミッション、ドライブシャフト、ギアなど)のどこかを働かなくするということが考えられます。
がん細胞も同じで、増殖を刺激しているシグナル伝達のどこかを止めてやれば、がん細胞の増殖を止めることができます。つまり、がんの分子標的薬というのは、車のエンジンや動力伝達機構の働きを弱めるのと同じように、がん細胞で活性化している増殖シグナル(増殖因子など増殖を刺激する指令)やシグナル伝達経路を阻害するような薬です。
がん細胞では、上皮成長因子(EGF)インスリン様増殖因子(IGF)インスリンなどの増殖因子が、細胞の受容体に結合して増殖の指令を出します。この指令は、細胞内のMAPキナーゼ(MAPK)などの蛋白質をリン酸化する酵素の活性化などによって伝えられ、細胞核のDNA(遺伝子)に作用して細胞分裂に必要な蛋白質の合成が開始されます。
がん細胞はこのような細胞増殖のシグナル伝達のスイッチが常時オン(ON)になっている状態で、分子標的薬はこの増殖シグナルをオフ(OFF)にする働きを持った薬です。血管新生のシグナルを阻害する分子標的薬もあります。
このような分子標的薬は、正常細胞に対する毒性が少ないので、今までの抗がん剤に比べると副作用は比較的少なくて済みます。絶えずオンになっていた増殖シグナルをオフにすると、がん細胞は増殖を止め、さらにがん細胞は生存を維持できないと次第に死滅していきます。
さて、漢方薬にがん細胞の増殖を抑える効果があると言うと、多くの人は信じないかもしれません。抗がん剤の多くが、がん細胞を死滅させると同時に、正常細胞にもダメージを与えて強い副作用を起こすのが当然であるため、漢方薬のように副作用が少ない薬は、がん細胞に対する効果も弱いと考えられるからです。
しかし、抗がん作用が見つかっている生薬や薬草から、分子標的薬と同じようなメカニズムでがん細胞の増殖を阻害する成分が見つかるようになりました。つまり、がん細胞で活性化している増殖シグナルを抑制する成分です。このような成分は、副作用が少なく、がん細胞の増殖を抑える薬草や生薬の抗がん作用を説明してくれます。


このような成分を多く含む薬草や生薬を組み合わせれば、副作用が少なく効果が高い抗がん漢方薬を作成することができます。以下のような薬草やサプリメントが役に立ちそうです。


1)白花蛇舌草夏枯草などに含まれるウルソール酸オレアノール酸はMAPキナーゼを阻害する作用が報告されています。
MAPキナーゼ (Mitogen-Activated Protein Kinase:分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼ) は、真核生物に高度に保存されているセリン/スレオニンキナーゼであり、外界刺激を伝達するシグナル分子の一つです。増殖因子やサイトカインや酸化ストレスなどの刺激を細胞が受けると、低分子量Gタンパク質であるRasが活性化され、さらにRafやMAPキナーゼなど下流に続くシグナルカスケードの活性化が引き起こされます。(上図参照)最近では、抗がん剤の新しい標的としてMAPKシグナルが注目されています。
ウルソール酸(Ursolic acid)オレアノール酸(Oleanolic acid)マスリン酸(maslinic acid)ベツリン酸(betulinic acid)などの五環系トリテルペノイドは、がん細胞のアポトーシス誘導、血管新生阻害作用、毒物による障害から肝細胞を保護する作用などが報告されています。
ウルソール酸の抗腫瘍作用のメカニズムとして、上皮成長因子受容体(EGFR)やマイトジェン活性化プロテインキナーゼ(MAPK)などの増殖関連蛋白のリン酸化を阻害して、増殖シグナル伝達を抑制する作用が報告されています。(219話参照
中国伝統医学で多くのがんの治療に使用されている白花蛇舌草やの抗腫瘍成分としてもウルソール酸やオレアノール酸が重視されています。(206話参照
白花蛇舌草の他にも、生薬としては夏枯草(シソ科ウツボグサの花穂)、大棗(クロウメモドキ科ナツメの果実)、酸棗仁(クロウメモドキ科サネブトナツメの成熟種子)、女貞子(モクセイ科トウネズミモチの果実)。連翹(モクセイ科レンギョウの果実)、枇杷葉(バラ科ビワの葉)、柿蔕(柿のヘタ)などにもウルソール酸やオレアノール酸やベツリン酸など五環系トリテルペノイドが多く含まれます。
チャーガ(カバノアナタケ)にはベツリン酸が多く含まれます。チャーガは白樺に寄生するキノコです。白樺(シラカバ)の木の皮(樹皮)にはベツリン酸が多く含まれていて、betulic acidの名前は白樺の学名のBetula platyphyllaに由来します。ベツリン酸はがん細胞のミトコンドリアに作用して、アポトーシスを引き起こす作用が注目されています。(125話参照
したがって、このような生薬を多く加えると、抗がん作用を高めることができます。


2)丹参に含まれるタンシノン類、紫根に含まれるシコニン、冬虫夏草(サナギタケ)に含まれるコルジセピン、厚朴エキスなどは、がん細胞のNF-kBやMAPKの活性化を抑制し、抗炎症作用や、がん細胞の増殖抑制・アポトーシス誘導、血管新生阻害、浸潤や転移の抑制、抗がん剤に対する感受性亢進や耐性獲得の抑制作用を示すことが報告されています。また、黄連に含まれるベルベリンが、p38MAPKのリン酸化を抑制してCOX-2の発現を抑制することが報告されています(Am J Physiol Endocrinol Metab. 296:E955-64, 2009)
サプリメントでは、アブラナ科植物に含まれるジインドリルメタンが、がん細胞のAkt/NF-kBシグナル伝達系を抑制することによって、がん細胞の増殖を抑制し、抗がん剤感受性を高める効果を発揮することが報告されています。


3)半枝蓮はがん細胞で亢進している嫌気性解糖系を阻害してエネルギー産生を阻害する。
1)と2)の生薬やサプリメントの組み合わせで、がん細胞の増殖シグナル伝達を阻害すると同時に、がん細胞で亢進している嫌気性解糖系を阻害してやると、さらにがん細胞を死滅させる効果が高まります。がん細胞では、ミトコンドリアでのTCA回路と酸化的リン酸化による酸素を使ったエネルギー産生(ATP産生)が低下し、酸素を使わない嫌気性解糖系でのエネルギー(ATP)産生が亢進しています。がん細胞では、酸素が十分にある状態でも、酸素を使わない嫌気性解糖系でのエネルギー産生(ATP産生)が亢進していることを約80前にオットー・ワールブルグが発見し、ワールブルグ効果として知られています。(69話参照
このワールブルグ効果の理由については、いくつかの説があります。アポトーシス(細胞死)の実行にはミトコンドリアが重要な役割を果たしており、がん細胞はアポトーシスを回避するためにミトコンドリアの活性を抑えているという考えがあります。また、細胞分裂に必要な核酸や脂肪酸や蛋白質を作るために解糖系を亢進する必要があるという考えもあります。
いずれにしても、嫌気性解糖系を阻害するとがん細胞の増殖を抑え、がん細胞を死滅させることができます。抗がん作用のある半枝蓮ががん細胞の嫌気性解糖系を阻害する作用があることが報告されています。(176話参照
がん細胞のエネルギー産生の特徴を利用してがん細胞を死滅させる方法として、ジクロロ酢酸ナトリウム、アルファリポ酸、ヒドロキシクエン酸を併用すると抗腫瘍効果が高まります。(詳しくはこちらへ
がん細胞の増殖を抑えるためには、一つの方法では限界があります。複数の作用機序でがん細胞の増殖を抑える必要があります。
抗がん作用を目的とした漢方薬でも、白花蛇舌草夏枯草、チャーガ、大棗、女貞子、連翹、半枝蓮、丹参、紫根、厚朴、黄連、冬虫夏草などを組み合わせ、さらに、サプリメントのジインドリルメタンアルファリポ酸、ヒドロキシクエン酸などを組み合わせると、がん細胞の増殖を抑える効果が期待できるかもしれません。

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