がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
578) ミトコンドリアを元気にしてがんを消す(その2):乳酸はがんを促進する
図:がん細胞では、ブドウ糖(グルコース)の取込みと解糖系が亢進している(①)。解糖系の亢進の結果、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化が抑制され、あるいはミトコンドリアDNAの変異などによるミトコンドリア機能の低下による酸化的リン酸化の抑制が解糖系亢進を増強している(②)。解糖系亢進と酸化的リン酸化の抑制により乳酸産生が亢進している(③)。この乳酸産生が細胞のがん化や、がん細胞の悪性進展の促進に関わっている(④)。がん細胞で作られた乳酸は、肝臓や腎臓やがん間質細胞で糖新生によってグルコースに変換されてがん細胞に再利用される(⑤)。メトホルミンは糖新生を阻害する(⑥)。2-デオキシ-D-グルコース(2-DG)はグルコースの取込みを阻害する。ミトコンドリアを活性化して乳酸産生を阻害する方法として、ケトン食、間歇的断食、ジクロロ酢酸、αリポ酸、ビタミンB1、L-カルニチン、アセチル-L-カルニチン、有酸素運動などがある(⑧)。これらの方法を組み合わせて、がん細胞の解糖系亢進と乳酸産生を抑制すれば、がん細胞の増殖を止めることができる。
578) ミトコンドリアを元気にしてがんを消す(その2):乳酸はがんを促進する
【細胞のがん化が先か、乳酸産生亢進が先か?】
酸素が無い状態でも解糖系だけでエネルギーのATP(アデノシン3リン酸)を産生できます。これを嫌気性解糖と言い、最終的には乳酸が産生され蓄積します。
図:解糖系ではグルコースからピルビン酸、ATP、NADH + H+が作られる。嫌気性解糖系や乳酸発酵では、NADH + H+を還元剤として用いてピルビン酸を還元して乳酸にする。乳酸に変換する反応によってNAD+を再生することによって解糖系での代謝が続けられる。したがって、解糖系が亢進すると、細胞内で乳酸とプロトン(H+)が増える。
強い運動をすると筋肉に乳酸が蓄積してきます。乳酸は疲労物質とも言われ、一般的には解糖系の嫌気性代謝の結果発生する代謝老廃物と認識されています。
しかし最近では、乳酸は単なる老廃物ではなく、重要なエネルギー源であり、ホルモン様の性状を持ったシグナル伝達物質であることが明らかになってきました。
がん細胞では乳酸産生が増えていますが、この乳酸産生亢進は細胞のがん化(遺伝子変異により発生する)の結果という考えが主流ですが、乳酸産生亢進が細胞のがん化に先行するという研究結果も報告されています。
乳酸が重要なエネルギー源であることや、糖新生の主要な材料であり、乳酸シャトルによって細胞内および細胞間で乳酸の積極的な交換(移動)が行われていること、乳酸が細胞内のシグナル伝達に関与していることなどが理由になっています。
乳酸シャトル(Lactate Shuttle)というのは局所での乳酸のやり取りのことです。乳酸の交換は,グリア細胞とニューロン(神経細胞),精子細胞と支持細胞,筋肉の赤筋線維(遅筋)と白筋線維(速筋)、がん細胞とがん間質細胞(線維芽細胞など)の間で行われていることが明らかになっています。
がん細胞において好気的解糖が亢進する前に、細胞のがん化過程におけるエネルギー代謝が亢進する段階で、乳酸の産生と利用の亢進が起こり、この乳酸産生が細胞のがん化を悪循環的にさらに促進する可能性が指摘されています。
つまり、がん細胞における乳酸産生亢進は解糖系の亢進による単なる結果ではなく、乳酸自体に細胞のがん化を促進する働きがあり、がん細胞の発生と進展に積極的に関与していると言う考えです。
図:(左)がん細胞は乳酸の産生が亢進している。その理由として、一般には遺伝子変異による細胞のがん化によってブドウ糖(グルコース)の取込みと解糖系が亢進し、酸化的リン酸化が抑制されて、乳酸産生が亢進すると考えられている(①)。つまり、乳酸産生は細胞のがん化の結果と単純に理解されている。
(右)遺伝子変異→細胞のがん化→ブドウ糖の取込みと解糖系の亢進→乳酸産生亢進という経路だけでなく、ミトコンドリアDNAの変異などによるミトコンドリア機能の低下(②)による酸化的リン酸化の抑制が解糖系亢進を増強し(③)、乳酸産生に亢進に関与している(④)。この乳酸産生が細胞のがん化(⑤)や、がん細胞の悪性進展の促進(⑥)に関わっている可能性も指摘されている。乳酸が発がんを悪循環的に加速しているという考えである。
「細胞のがん化が先か、乳酸産生亢進が先か?」という問いは「遺伝子が先か、ミトコンドリアが先か?」という問いでもあります。
基本的には、遺伝子変異による細胞のがん化が先行すると考えるのが妥当ですが、発がん過程のかなり早い段階でミトコンドリアの機能低下と乳酸産生亢進が起こり、発がん過程の促進に重要な役割を担っていると考えられます。したがって、がん治療において、ミトコンドリアと乳酸産生は重要なターゲットになります。
【ミトコンドリアを元気にするのは乳酸の産生を抑えるのが目的】
がん細胞のエネルギー代謝の特徴は、「酸素が十分にある条件でも、酸素を使わない解糖系での代謝」に依存したエネルギー産生を行っていることです。
酸素が十分にある状況でもがん細胞がグルコース(ブドウ糖)の取込みを増やし乳酸の産生を増やす現象をワールブルグ効果(Warburg effect)あるいは好気性解糖と呼んでいます。「好気性解糖」とは、酸素が十分に存在する好気性条件でも、酸素を利用しない嫌気性解糖と同じ方法でエネルギー産生を行っていることを意味します。
がん細胞ではミトコンドリアでの酸化的リン酸化が抑制されています。ミトコンドリアでのATP産生が抑えられています。
「ミトコンドリアを元気にしてがんを消す」という理由と根拠は多数ありますが、最も簡単な説明は、「ミトコンドリアでの代謝を亢進すると乳酸産生が減少する」という点です。
乳酸の産生自体が、がん細胞の発生や進展に重要な働きをしていることが明らかになっています。がん細胞からの乳酸産生を阻止できれば、がん細胞の増殖や転移を抑制できます。ミトコンドリアでの代謝を亢進すると乳酸の産生が低下します。これが、「ミトコンドリアを元気にしてがんを消す」ということの理由になります。
以下のような論文があります。
Reexamining cancer metabolism: lactate production for carcinogenesis could be the purpose and explanation of the Warburg Effect.(がん代謝の再検討:発がんのための乳酸産生がワールブルグ効果の目的であり説明である)Carcinogenesis, 38(2): 119-133, 2017
【要旨】
本論文では、運動の生理学と代謝において得た知識を用いて、遺伝子突然変異によって引き起こされる乳酸産生の増大(乳酸生成)がワールブルグ効果の理由および目的であり、乳酸代謝およびシグナル伝達の調節不全が発がんの重要な要素であることを提案する 。
がん細胞は、好気性解糖の亢進と過剰な乳酸産生を特徴としている。この現象は93年前にOtto Warburgによって報告されたが、その理由についてはまだ十分に解明されていない。
このワールブルグ効果に関しては、数十年の間あまり注目されていなかったが、最近は発がんメカニズムの重要な因子として乳酸への関心が高まっている。
正常細胞の生理学では、解糖の必然的な最終産物である乳酸は、重要な代謝燃料エネルギー源であり、最も重要な糖新生前駆体であり、主要な調節特性を有するシグナル伝達物質(lactormone)である。
乳酸を産生しているがん細胞では、乳酸生成のためのグルコース利用の亢進および細胞内および細胞間の乳酸の移動を増加させる目的で、細胞内代謝が変化している。
その変化として、以下の5つの主要な現象が同定されている。
(i)グルコース取り込みの増加、(ii)解糖系酵素の発現および活性の増加、(iii)ミトコンドリア機能の低下、(iv)乳酸産生の増加、蓄積および放出、(v)乳酸の交換(移動)のためのモノカルボン酸トランスポーターMTC1およびMCT4の発現亢進、である。
乳酸はおそらく、血管新生、免疫逃避、細胞遊走、転移および自己充足代謝など、発がんのための全ての主要な経路に関与する唯一の代謝化合物である。
我々は、発がんのための乳酸産生がワールブルグ効果(Warburg effect)の説明と目的であると仮定している。
したがって、がん細胞内およびがん細胞間の乳酸の交換およびシグナル伝達を阻止するための治療法の開発を優先すべきである。
激しい運動を行うと筋肉に乳酸が蓄積します。激しい運動を行うには、そのエネルギーを賄う大量のATPが必要になり、解糖系の反応が活発に行われます。しかし、ミトコンドリアはすべてのピルビン酸を処理できず、ピルビン酸が余ります。そのピルビン酸が乳酸に変換されるからです。
筋肉の疲労には乳酸が関わっていると長い間理解されてきました。乳酸はエネルギー産生における代謝老廃物で、筋肉疲労の原因になっている疲労物質であると、運動生理学では長い間、乳酸は有害物質だと考えられていました。
しかし、乳酸を細胞膜やミトコンドリア膜を通して運び、出し入れする仕事をする膜タンパク質であるものカルボン酸トランスポーターがあることが、1990年代の初めに発見されました。
このカルボン酸トランスポーターを介して、乳酸が細胞内と細胞間で交換している乳酸シャトルの存在が明らかになり、乳酸の考え方が劇的に変化したのです。
この乳酸に対する認識の変化はケトン体と似ています。ケトン体も長い間、有害な代謝老廃物が考えられていましたが、最近ではケトン体は生体に有益な生理活性物質であることが明らかになっています。
ケトン体と乳酸に関する理解の最近の変化を知ると、物質代謝はまだ十分に解明されていないことは確かです。
「がん細胞は酸素があるのに乳酸産生が亢進している」という現象をオットー・ワールブルグが最初に発表したのは1923年です。
ワールブルグは13mMのグルコース濃度で培養して、がん細胞は正常細胞に比べて70倍も乳酸産生が亢進していることを観察しています。
また、がん組織に流入する動脈血とがん組織から流出する静脈血を比較し、静脈血に多くの乳酸が含まれていることを観察しています。
ワールブルグは、がん細胞は取り込んだグルコースの66%を乳酸に変換していると計算しています。
ワールブルグの解釈は、がん細胞ではミトコンドリアにおける呼吸鎖の異常が起こって酸素呼吸ができないので、エネルギー産生を酸化的リン酸化でなく解糖系に依存していると言うものでした。つまり、ミトコンドリアの異常が発がん過程の最初のステップという考えです。
しかし、その後の研究によって、ゲノムDNAの突然変異の蓄積によって細胞ががん化するという「体細胞突然変異説」が主流になり、ミトコンドリア異常説はほとんど忘れられていました。
また、乳酸は解糖系亢進の結果であり、乳酸が単なる代謝老廃物をいう認識が常識的であったため、ワールブルグ効果はがん研究の主流から離れていました。
しかし、がん細胞の代謝異常が細胞のがん化や悪性進展に関わっている証拠が蓄積し、がん治療のターゲットとしてミトコンドリア機能の異常や乳酸産生に注目が集まっています。
【がん細胞は酸素を使いたがらない嫌気的な生き物】
日本酒やビールやワインなどアルコールの醸造には酵母が必要です。酵母は酸素が無い条件では糖を分解してエタノールと二酸化炭素を作る「アルコール発酵」という代謝系でエネルギーを産生しています。
発酵というのは、酵母や細菌などの微生物が、酸素の無い嫌気的条件でエネルギー(ATP)を産生するための反応系です。ブドウ糖やショ糖などの有機化合物を分解してアルコールや有機酸や二酸化炭素などを生成します。乳酸菌が糖類を分解して乳酸を生成する反応も発酵です。
アルコール発酵では1分子のブドウ糖(グルコース)からエタノールと二酸化炭素を2分子づつ生成します。私たちはアルコール飲料や様々な発酵食品(納豆、味噌、ヨーグルト、チーズ、キムチ、漬け物など)を利用していますが、これらは微生物が嫌気的な条件で生きていくために行っている発酵の副産物に過ぎません。
図:生物は酸素が無くても発酵によってエネルギーを産生して生きていける。発酵には1分子のグルコース(ブドウ糖)が2分子の乳酸になる乳酸発酵と、1分子のグルコース(ブドウ糖)が2分子のエタノールになるアルコール発酵がある。
微生物は酸素を与えると発酵を行いません。酸素がある好気的な条件で酵母や細菌にグルコース(ブドウ糖)を与えると、水と二酸化炭素に分解してしまいます。
酸素を使ってブドウ糖を完全に分解して水と二酸化炭素にかえてATPを作る反応を「呼吸」と言います。これは動物の細胞が酸素を使ってATPを生成するために行っている反応を同じです。
正常細胞でも酸素が無い条件では乳酸の産生が増えます。これを嫌気性解糖と言います。例えば、全力で100mを走るときのように、筋肉が短時間で大量のエネルギーを必要として酸素の供給が間に合わないときは嫌気性解糖系でATPを作ります。このとき乳酸が大量に作られます。
しかし、有酸素運動のように酸素が十分に存在すれば、ミトコンドリアでの代謝が増え、乳酸への変換は抑制されます。
一方、がん細胞は酸素が十分にある条件でも、酸素を使わない解糖系での代謝に依存したエネルギー産生を行っています。酸素が十分にある状況でもがん細胞がブドウ糖の取込みを増やし乳酸の産生を増やす現象をワールブルグ効果(Warburg effect)あるいは好気性解糖と呼んでいます。
ワールブルグ博士の言葉では「がんとは嫌気的な生き物」ということです。太古の地球で嫌気的な環境で生存してきた生き物が地球上に酸素が増えて絶滅していったのと同じ理由で、がん細胞も酸素を使った代謝が増えると死滅するという弱点を持っています。
ミトコンドリアは好気性細菌が嫌気的な原始真核細胞に寄生したものです。がん細胞でミトコンドリアでの酸素呼吸が低下しているのは、太古の昔の嫌気的な原始真核細胞と似ています。酸素を使うと酸化傷害で死滅する運命にあるのです。
したがって、がん細胞はますます酸素を使わない代謝に頼るようになり、ブドウ糖の取込みがさらに増え、ブドウ糖への依存度がどんどん高くなっていきます。がん細胞はブドウ糖中毒に陥っていると言っても過言ではありません。
この点が、がん細胞の弱点(アキレス腱)になっています。すなわち、ブドウ糖の利用を阻止されるとがん細胞は生存も増殖もできないのです。さらに、がん細胞はミトコンドリアで酸素を使った代謝を行うと生存や増殖に都合が悪いのです。
図:酵母や筋肉は、酸素が無い条件では発酵によってエネルギー(ATP)を生成するが、酸素がある条件では好気的な代謝(呼吸)によってATPを生成する。がん細胞は酸素があっても無くても、酸素を使わない解糖系でATPを生成する。酸素が無い状況では嫌気性解糖と言い、酸素がある状況での解糖を好気生解糖という。
【がん細胞は乳酸産生が増えている】
がん細胞の代謝の特徴は、酸素が十分にあってもミトコンドリアでの酸化的リン酸化によるエネルギー(ATP)産生が抑制され、解糖系が亢進していることです。
解糖系でできたピルビン酸は、嫌気的条件(酸素が無い状態)では乳酸に変換されます。
グルコースからピルビン酸まで分解したあと(この過程を解糖という)、酸素があればTCA回路(クエン酸回路)と電子伝達系による酸化的リン酸化によってATPを生成しますが、酸素が無い場合はピルビン酸からさらに乳酸に分解します。
がん細胞の場合は、酸素が十分にあっても、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化を抑制しているので、乳酸の方に行きます。
なぜ、ピルビン酸で止まらないで乳酸に変換されるかというと、その理由は、解糖系で還元されたNADH(還元型ニコチンアミドジヌクレオチド)を酸化型のNAD+に戻すためです。NAD+が枯渇すると解糖系が進行しなくなります。(下図)
図:解糖系では1分子のグルコースから2分子のピルビン酸、2分子のATP、2分子のNADH + H+が作られる。乳酸発酵では、NADH + H+を還元剤として用いてピルビン酸を還元して乳酸にする。この乳酸発酵によってNAD+を再生することによって解糖系での代謝が続けられる。その結果、嫌気性解糖では乳酸が多く産生される。
NAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)は酸化還元反応における電子伝達体として機能します。NADは酸化型(NAD+)と還元型(NADH+H+)の2種類の形で存在し、NAD+は解糖系の反応に必要で、解糖系で還元型になったNADH+H+を酸化型(NAD+)に戻すために乳酸が作られるのです。この反応によって、酸素が無い状況でもグルコース(ブドウ糖)を分解してATPの産生を続けることができます。
解糖系に依存したエネルギー産生は非効率的で、増殖には不利のはずですが、敢えてその方法をがん細胞が選択しているのには訳があります。
それは、核酸や脂肪酸やアミノ酸など細胞の分裂・増殖に必要な物質(細胞構成成分)を合成する材料として多量のグルコース(ブドウ糖)が必要になっているからです。
細胞は、解糖系やペントース・リン酸経路と言った細胞内代謝系によってグルコースから核酸や脂質やアミノ酸を作ることができます。つまり、エネルギー産生と物質合成を増やすという2つの目的を両立させるためにブドウ糖の取り込みが増え、嫌気性解糖系が亢進しているのです。(355話参照)
また、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化が低下するとがん細胞が死ににくくなる(アポトーシスに抵抗性になる)ことが知られています。がん細胞ではアポトーシスを起こりにくくするために、あえてミトコンドリアにおける酸化的リン酸化を抑え、必要なエネルギーを細胞質における解糖系に依存していると考えられています。
実際に、がん細胞のミトコンドリアにおける酸化的リン酸化を薬(ジクロロ酢酸ナトリウムなど)で活性化させるとがん細胞にアポトーシス(細胞死)を引き起こすことができることが報告されています。
さらに、解糖系亢進で乳酸が増えると、がん組織が酸性になり、がん細胞の浸潤や転移に好都合になります。
組織が酸性化すると正常な細胞が弱り、結合組織を分解する酵素の活性が高まるため、がん細胞が周囲に広がりやすくなるのです。血管新生が誘導されるという報告もあります。
さらに乳酸には、がん細胞を攻撃する細胞傷害性T細胞の増殖やサイトカインの産生を抑制する作用があり、がんに対する免疫応答を低下させる作用もあります。
抗がん剤の多くは塩基性なので、「酸性の組織には薬が到達しにくく、活性が低下する」ということも指摘されています。
また、解糖系でエネルギーを産生することは、血管が乏しい酸素の少ない環境でも増殖が可能になります。
つまり、がん細胞の生存に有利に働くように代謝が変化した結果がワールブルグ効果と言えます。
図:がん細胞ではグルコース・トランスポーター(GLUT1)の発現が亢進しグルコースの取込みが亢進している(①)。解糖系酵素の発現と活性も亢進している(②)。酸素を使わないでATPを産生する解糖系の亢進によって低酸素状態での増殖が可能になる(③)。解糖系やペントース・リン酸経路などの細胞内代謝系によってグルコースから核酸や脂質やアミノ酸など細胞の分裂・増殖に必要な物質(細胞構成成分)の合成が亢進している(④)。解糖系の亢進によって乳酸と水素イオン(H+)が増えると、がん組織が酸性になり、がん細胞の浸潤や転移を促進し、がん細胞を攻撃する細胞傷害性T細胞の働きを抑制し、血管新生を誘導し、抗がん剤耐性を促進する(⑤)。アポトーシスを実行するときに、ミトコンドリアの電子伝達系に関与する物質(チトクロームCなど)が重要な役割を果たしているため、ミトコンドリア機能が低下すると細胞死(アポトーシス)が起こりにくくなる(⑥)。このようにワールブルグ効果は様々な点でがん細胞の増殖や生存に有利な効果を与えている。
【乳酸は糖新生の材料として利用される】
赤血球はミトコンドリアがないので、解糖系でATPを産生し乳酸を生成しています。筋肉でも乳酸が常時産生されています。
1日に体重1kg当たり20mmol/の乳酸が産生されると報告されています。
体重60kgだと1日に1200 mmolです。乳酸(C3H6O3)の分子量は90.08(g/mol)なので、1日に100グラム程度の乳酸が産生されています。
筋肉や赤血球で産生された乳酸は血液で肝臓に運ばれ、乳酸脱水素酵素によってピルビン酸に変換され、グルコースに再生されます。この過程を「糖新生」と言います。再生されたグルコースは血中に放出されて、筋肉や赤血球などでエネルギー源として再利用されます。
このように、嫌気呼吸の過程において、赤血球や筋肉でグルコースから乳酸を作り、肝臓で乳酸からグルコースに戻すまでの経路をコリ回路(Cori cycle)と言います。これを発見したカール・コリとゲルティー・コリの夫妻にちなんで命名されました。
コリ回路は乳酸によるアシドーシス(酸性血症)を防ぐ働きがあります。
このコリ回路では、1分子のグルコースが解糖系で乳酸になる過程で2分子のATPが産生されますが、乳酸から1分子のグルコースが合成されるのに6分子のATPを消費します。1分子のグルコース当たり4分子のATPが減少するので、コリ回路が働くとエネルギーを消費することになります。(図)
図:激しい運動などで筋肉細胞が嫌気的なグルコース分解を行うと、生成された乳酸が血液の流れに乗って肝臓に運ばれて、糖新生によってグルコースが再生される。肝臓で合成されたグルコースは血中に放出されて赤血球や筋肉で再びエネルギーとして使われる。1分子のグルコース当たり、嫌気呼吸(解糖)で2分子のATPが生成し、糖新生で6分子のATPが消費されるため、正味4分子のATPが減少する。
前述のように、がん細胞では解糖系でのグルコースの分解が亢進し、乳酸の産生が増えています。そのため肝臓では乳酸からグルコースを合成する糖新生が増えています。その結果、無駄なエネルギーが消費されます。つまり、がん細胞における解糖系の亢進は、生体のエネルギーを無駄に消費させ、体重が減少する原因の一つになっています。(図)
したがって、がん細胞で亢進した解糖系を阻止(あるいは乳酸産生を阻止)することは、体重減少などのがん性悪液質の症状を改善することになります。
図:がん細胞はグルコースの解糖系での代謝が亢進し(赤矢印)、乳酸の産生が増えている。生成された乳酸は肝臓で糖新生によってグルコースに再生され、がん細胞や赤血球や筋肉で再びエネルギーとして使われる(コリ回路という)。1分子のグルコース当たり、嫌気呼吸(解糖)で2分子のATPが生成し、糖新生で6分子のATPが消費されるため、正味4分子のATPが減少している。この解糖と糖新生の亢進によるATPの消費(浪費)が、進行がんにおける倦怠感(エネルギー不足)や体重減少の原因の一つになっている。
【がん細胞は乳酸を主要な栄養源として利用している】
がん細胞の2大栄養素はグルコースとグルタミンです。
グルコースは解糖系が亢進して乳酸の産生が増えています。グルタミンもグルタミン酸からαケトグルタル酸に変換されてTCA回路に入り、その50%くらいが乳酸に変換されると報告されています。
このようにして、がん細胞内では、乳酸の産生が増え、モノカルボン酸トランスポーター(MCT)を通って細胞外に移行し、周囲のがん間質細胞(線維芽細胞や炎症細胞)や血流にのって肝臓や腎臓を使って、糖新生でグルコースに変換されて、がん細胞に再利用されます。
図:がん細胞ではグルコース(ブドウ糖)とグルタミンの取込みが増え、乳酸の産生が増えている。乳酸は肝臓や腎臓やがん組織の間質細胞などで糖新生によってグルコースへ変換され、再度、がん細胞に利用される。がん細胞は宿主の代謝系をハイジャックして、自分の生存と増殖に利用している。この状況を阻止するためには、がん細胞からの乳酸の産生を抑制することが重要である。
この糖新生では宿主(正常細胞)はエネルギーを使って、がん細胞のためにグルコースを再生することになります。2分子の乳酸から1分子のグルコースを作るのに6分子のATPを消費します。つまり、がん細胞は宿主の代謝系をハイジャックし、自分の増殖に利用しているのです。
このがん細胞の代謝を阻止しないと、宿主はがん細胞によって無駄にエネルギーを消費して、体力と栄養を消耗することになります。
単球が乳酸からの糖新生によってがん細胞を養っているという報告があります。
糖新生は主に肝臓や腎臓で行われますが、がん組織の間質系細胞(線維細胞や炎症細胞)もがん細胞が放出する乳酸から糖新生でグルコースを産生して、がん細胞の栄養補給を助けていることが報告されています。例えば、以下のような報告があります。
Lactate promotes PGE2 synthesis and gluconeogenesis in monocytes to benefit the growth of inflammation-associated colorectal tumor(乳酸は単球におけるプロスタグランジンE2合成と糖新生を促進し、炎症関連の結腸直腸がんの増殖を助ける)Oncotarget. 2015 Jun 30; 6(18): 16198–16214.
がん細胞では解糖系が亢進しています。ヒトのがんの70%以上で、解糖系酵素の発現が亢進していることが知られています。
この解糖系の亢進はがん細胞の増殖や転移を促進する作用があり、したがって、がん細胞の解糖系を阻害することは、がん治療においてメリットがあるというのがコンセンサスになっています。
解糖系の最終産物は乳酸です。乳酸は単に代謝の最終産物に過ぎないと長く考えられていましたが、がん細胞の増殖や転移や浸潤に積極的に関わっていることが明らかになっています。乳酸の産生を減らすことはがん治療において様々なメリットがあります。
この論文では、ヒトの単球細胞ががん細胞が産生する乳酸をモノカルボン酸トランスポーター1(MCT1)を介して取込み、糖新生でグルコースを産生して、がん細胞を養っていることが報告されています。また、乳酸は低酸素誘導因子-1(HIF-1)の活性を亢進して、プロスタグランジンE2の産生を高めて、がん細胞の増殖を促進することも報告しています。
このように、がん細胞が乳酸の産生を増やしていることは、様々なメカニズムでがん細胞の増殖を促進しています。
さらに、がん組織の間質細胞(線維芽細胞や炎症細胞)や肝臓や腎臓で、乳酸からグルコースを合成する糖新生ではエネルギーを消費する同化作用であるため、生体は余分なエネルギーを浪費していることになります。これが、進行がんにおけるエネルギー不足による倦怠感や体重減少の原因の一つになっています。
したがって、がん細胞における解糖系を抑制し、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化を亢進することはがん治療に有効です。
ただし、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化を亢進するだけでは、がん細胞のエネルギー産生を高めて、増殖を促進することになります。
がん細胞にミトコンドリアを活性化するときは、活性酸素の産生を高めて、酸化ストレスを亢進させることがポイントになります。(510話参照)
がん細胞の増殖や転移の阻止だけでなく、進行がんにおける倦怠感や体重減少などのがん性悪液質の症状の改善には「がん細胞における解糖系亢進と乳酸産生」を阻止することが重要であることが理解できます。
メトホルミンがグルタミン代謝を阻害することが知られています。メトホルミンは糖新生を阻害します。
ジクロロ酢酸ナトリウムや2-デオキシグルコースも乳酸産生抑制に有効です。
断食(間歇的断食やプチ断食を含めて)やカロリー制限やケトン食や有酸素運動もミトコンドリアでの代謝を亢進して乳酸産生を減らします。
サプリメントではミトコンドリアの働きを良くするビタミンB1、αリポ酸、L-カルニチン、アセチル-L-カルニチンなどが有効です。
これらを組み合せた「がん細胞の乳酸産生を阻害するがん治療」は試してみる価値はあります(トップの図参照)。
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