がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
577)ミトコンドリアを元気にしてがんを消す(その1):正常なミトコンドリアはがん細胞の悪性形質を抑制する
図:(上)細胞のがん化と悪性進展は、ゲノムDNAの遺伝子変異の蓄積によって引き起こされるという「体細胞突然変異説」が腫瘍生物学の研究者のコンセンサスになっている。しかし、この考えだけでは説明できない研究結果も数多く報告されている。(下)細胞核のゲノムDNAとミトコンドリアDNA(mitDNA)は相互に制御し合っている。酸化的リン酸化に関与する呼吸酵素複合体の85種類のサブユニットのうち13種類のタンパク質を作成する遺伝子がミトコンドリアに存在する。正常な上皮細胞からミトコンドリアDNAを欠失させると、ミトコンドリアでの酸素呼吸が起こらなくなり、ミトコンドリアから核への逆行性制御ができなくなり、細胞内の遺伝子発現やシグナル伝達に異常を起こして細胞ががん化するという報告がある。
577)ミトコンドリアを元気にしてがんを消す(その1):正常なミトコンドリアはがん細胞の悪性形質を抑制する
【細胞のがん化はゲノム遺伝子の異常だけでは説明できない】
個々の細胞の働きを根本的に制御しているのは、細胞核の染色体に存在する遺伝子です。
「遺伝子」というのは、遺伝情報を担う構造単位で、通常1つの蛋白質を作り出すことができる情報を持っています。この遺伝情報は染色体中のDNA(デオキシリボ核酸)に書き込まれています。
一つの細胞核に含まれる染色体の一組をゲノムといい、ヒトの場合1ゲノムは46個(22対の常染色体と1対の性染色体)の染色体があります。1ゲノム中には合計約30億塩基対の塩基配列情報が記録されており、これに含まれる遺伝子の数は22000個程度であることが明らかになっています。
遺伝子(DNA)の情報がメッセンジャーRNAに転写され、さらにたんぱく質が合成されることによって細胞の構造や機能に変化が生じる過程を「遺伝子発現」と言います(下図)。
図:遺伝情報は細胞の核の中にある染色体のDNA(デオキシリボ核酸)に書き込まれている。DNAの情報がメッセンジャーRNA(mRNA)に転写され、タンパク質に翻訳される過程を遺伝子発現と言う。
体の中の全ての細胞は同じ遺伝子を持っていますが、細胞の種類によって発現している遺伝子の種類に違いがあります。通常の細胞では全遺伝子の数分の一しか発現しておらず、発現している遺伝子の種類の違いがそれぞれの細胞の機能の違いの原因となっています。
DNAの遺伝情報には、細胞を形作り機能させるためのたんぱく質の作り方と、その発現の量や時期を調節するために必要なマニュアルが組み込まれています。したがって、この遺伝子情報に誤りが生じるとその細胞の働きに異常が生じます。
例えば、正常な細胞であれば、止めどなく分裂増殖を繰り返すということはありません。それは遺伝子情報によって、分裂増殖のペースや限度が厳密に制御されているからです。
しかし、この細胞増殖をコントロールしている遺伝子(がん遺伝子やがん抑制遺伝子)に異常が生じると細胞は際限なく分裂を繰り返すがん細胞となります(下図)。
図:体内で発生する活性酸素や、放射線やウイルスや紫外線などが遺伝子に変異を起こしてがん細胞が発生する。多くの抗がん剤も遺伝子に変異を起こす。遺伝子の変異を修復するメカニズムが存在する。遺伝子変異が高度の場合は、細胞死が誘導される。がん遺伝子の活性化やがん抑制遺伝子の不活性化などが蓄積するとがん細胞になる。
がんと言うのは、1個の細胞の無制御な増殖によって発生する病気です。そのような無制御な増殖は遺伝子の変異によって引き起こされます。正常な細胞では、強力な制御装置が細胞分裂や細胞死をコントロールしているのに対して、がん細胞ではそれらの装置が壊れているために、細胞の増殖を止めることができなくなっています。
発がんに関係している人間の遺伝子として100種類以上が知られており、そのうちの数個から十数個の遺伝子の異常(突然変異や発現異常)が起こった時に、正常な増殖制御を行うことができなくなり、がん細胞が発生すると考えられています。
誤りを起こす原因は、DNAに傷がついて間違った塩基に変換したり、遺伝子が途中で切れたりするためです。これをDNAの「変異」と呼び、DNA変異を引き起こす物質を変異原物質とよびます。環境中には、たばこ・紫外線・ウイルス・添加物など変異原物質が充満しています。変異原物質は、活性酸素のように体内でのエネルギー産生や物質代謝や慢性炎症の過程でも作られます。
図:細胞の遺伝子変異によりがん細胞が発生し、遺伝子変異が蓄積することによってさらに悪性化が進行する。
以上のように、「細胞のがん化は遺伝子の突然変異や発現異常で起こる」という「体細胞突然変異説」が腫瘍生物学の研究者のコンセンサスになっています。
しかし、「がん細胞は遺伝子変異によって発生する」という考えだけでは説明できない研究結果も数多く報告されています。その代表が、「ミトコンドリアの異常ががん細胞を発生する」という考えです。
【ミトコンドリアDNAが無くなると細胞はがん化する】
ミトコンドリアは好気性細菌のα-プロテオバクテリアが約20億年前に原始真核生物に寄生し、その後は共生した状態で細胞の小器官として働いています。
α-プロテオバクテリアの頃の遺伝子の大半は細胞の核のDNAに移行していますが、ミトコンドリア固有の遺伝子の一部はミトコンドリア内のDNAに存在しています。
図:ミトコンドリアの祖先のα-プロテオバクテリアのDNAの多くは、原始真核生物の核ゲノムDNAに組み込まれた。ごく一部のDNAがミトコンドリアDNAとしてミトコンドリアに残った。それは、ミトコンドリアでは活性酸素が多く発生してDNAがダメージを受けるので、「細胞核に遺伝子を避難させた」というふうに理解されている。つまり、α-プロテオバクテリアが持っていた遺伝情報の大半を細胞核に移動させたのは、「活性酸素の害から自分の遺伝情報を守る」というミトコンドリアのパラサイト(寄生)戦略と言える。
ミトコンドリアDNAは16,569bpの環状の分子で、37個の遺伝子が存在し、22個のトランスファーRNA(tRNA)と2個のリボゾームRNA(rRNA)の遺伝子と、酸化的リン酸化に関与するたんぱく複合体の85種類のサブユニットのうち13種類のたんぱく質を作成する遺伝子が存在します。
ミトコンドリアのタンパク質の大半は核内DNA にコードされています。核内DNA にコードされているタンパク質は、細胞質で合成された後、ミトコンドリア外膜と内膜を通過してミトコンドリア内部に輸送されて来ます。
しかし、ミトコンドリアDNAにコードされたタンパク質が合成されないと、呼吸酵素複合体を作ることができず、酸化的リン酸化によるATP合成はできません(576話参照)。
図:ミトコンドリアを構成するタンパク質の大半は核のゲノムDNAの遺伝情報で作られるが、呼吸酵素複合体を構成するタンパク質の内の13種類はミトコンドリアDNAでコードされていてミトコンドリア内で作られる。したがって、ミトコンドリアが正しく機能するには核のゲノムDNAとミトコンドリアDNAの両方の遺伝情報が必要。
がん細胞はミトコンドリアでの酸素を使ったATP産生を行わなくても、解糖系でATPを賄うことができるので、酸化的リン酸化が障害されても生存はできます。むしろ、酸化的リン酸化が阻害されると細胞のがん化や悪性化が促進されることが指摘されています。
ミトコンドリアDNAを枯渇させると、細胞ががん化するという実験結果が報告されています。以下のような報告があります。
Tumorigenic transformation of human breast epithelial cells induced by mitochondrial DNA depletion(ミトコンドリアDNA枯渇により誘導されたヒト乳房上皮細胞の腫瘍形成形質転換)Cancer Biol Ther. 2008 Nov; 7(11): 1732–1743.
【要旨】
ヒトミトコンドリアDNA(mtDNA)は、酸化的リン酸化に関与する13のタンパク質をコードする。 乳がん細胞の発生におけるミトコンドリアの酸化的リン酸化に関与する遺伝子の役割を調べるために、我々はmtDNAを欠く乳房上皮細胞株(ρ0細胞)を開発した。
本研究において、乳腺上皮細胞におけるmtDNAの枯渇が培養細胞(in vitro)における腫瘍形成表現型ならびに移植腫瘍(in vivo)の実験系における腫瘍形成をもたらすことを明らかにした。
元の細胞(親細胞)とmtDNAを欠失したρ0上皮細胞との間で異なる調節を受けている2つの主要な遺伝子ネットワークを同定した。 これらのネットワークにおける中心タンパク質には、フィブロネクチンとp53が含まれる。
フィブロネクチン・ネットワークの分析により、ρ0上皮細胞において発現が変化したタンパク質としてラミニン、インテグリン、およびペルオキシレドキシンの6つのメンバーのうち3つが同定された。
p53ネットワークでは、SMC4およびWRNの異常を認め、このネットワークの変化が染色体の安定性に影響を及ぼすことが示唆された。
上記の結果と一致して、本研究では、ρ0乳腺上皮細胞におけるDNA二本鎖切断および独特の染色体再編成の増加を明らかにした。
さらに、p53ネットワークにおける発現異常として、細胞間結合タンパク質のクローディン-1(claudin-1)およびクローディン-7(claudin-7)を同定した。変化した遺伝子発現の機能的関連性を検討するために、乳がん発生におけるクローディン-1およびクローディン-7タンパク質の詳細な解析を行った。
ρ0乳腺上皮細胞においてクローディン-1およびクローディン-7の発現低下を認めた。このクローディン-1およびクローディン-7の発現低下は乳腺上皮細胞の悪性化を誘導した。さらに、原発性乳がん細胞においてクローディン-1およびクローディン-7の発現低下を認めた。
これらの実験結果は、ミトコンドリアDNA(mtDNA)にコードされた酸化的リン酸化に関与する遺伝子が乳房上皮細胞の形質転換において重要な役割を果たし、ミトコンドリアから核への逆行性制御に関与する複数の経路が乳腺上皮細胞の形質転換に寄与することを示唆している。
一般的に、核の遺伝子が細胞内の全てを制御していると考えられています。しかし、ミトコンドリアは固有のDNA(ミトコンドリアDNA)を持ち、このミトコンドリアDNAには呼吸酵素複合体IからVを構成する85種類のサブユニットのうち13種類のたんぱく質を作成する遺伝子が存在します。
従って、ミトコンドリアDNAを欠失させるとミトコンドリアでの酸化的リン酸化によるATP産生が起こらなくなります。
この研究では、正常な乳腺上皮細胞からミトコンドリアDNAを欠失させると、がん抑制遺伝子のp53遺伝子が関連するネットワークや細胞間接着に関与するラミニンやインテグリンの異常が起こって、細胞ががん化する(がん細胞の特徴的性質を示す)という結果を報告しています。
この研究では、ミトコンドリアDNAの欠失によってクローディン(Claudin)の発現低下が認められています。クローディンは、細胞間結合の様式の1種のタイトジャンクション(密着結合)の形成に関わる主要なタンパク質です。クローディンの発現低下は細胞間接着を低下させて細胞のがん化と関連しています。
つまり、細胞核に対するミトコンドリアからの逆行性制御の異常(欠失)が、細胞のがん化に関連していることを示唆しています。
図:細胞の核とミトコンドリアは相互に制御し合っている。正常な上皮細胞からミトコンドリアDNAを欠失させると、ミトコンドリアから核への逆行性制御ができなくなり、細胞内の遺伝子発現やシグナル伝達に異常を起こって細胞ががん化する。
多くのがん細胞でミトコンドリアDNAの欠損や異常が明らかになっています。
この論文では、ミトコンドリアDNAを欠損した乳腺上皮細胞を作成し、その元になった正常な乳腺上皮細胞と比較しています。
その結果、ミトコンドリアDNAに存在する酸化的リン酸化に関連する遺伝子の欠損は、培養細胞を使った実験では細胞は悪性形質を示すようになり、マウスの移植腫瘍の実験では腫瘍形成能を獲得することが明らかになりました。
つまり、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化を阻害すると、細胞はがん化するという結論です。
ただし、これを支持しない報告やこの仮説に矛盾する報告も多くあります。
むしろ、体細胞突然変異(核遺伝子の変異)とミトコンドリアの機能異常が相互に密接に関与していると考える方が妥当かもしれません。どちらか一方に決めつける必要はないようです。
細胞核の遺伝子変異とミトコンドリアの異常が、相互に作用しあって、がん細胞の様々な異常を引き起こしていると考えられます。
がん細胞におけるミトコンドリアDNAの減少は、がん細胞の悪性進展やがん患者の予後不良と相関しているという報告もあります。
このように遺伝子の突然変異だけでなく、ミトコンドリアの異常が細胞のがん化に関与しているという点が重要です。ミトコンドリアを正常化させると、がん細胞の悪性形質を低下できる可能性があるからです。
【正常なミトコンドリアは腫瘍形成能を抑制する】
がん細胞に正常細胞のミトコンドリアを細胞融合によって導入すると、そのがん細胞はがん細胞としての性質(無制限の増殖、無酸素下での生存、アポトーシス抵抗性、抗がん剤抵抗性、浸潤、マウスへの移植腫瘍の形成能など)が喪失することが知られています。例えば、以下のような報告があります。
Crosstalk from Non-Cancerous Mitochondria Can Inhibit Tumor Properties of Metastatic Cells by Suppressing Oncogenic Pathways.(非がん細胞のミトコンドリアからのクロストークが腫瘍関連シグナル経路を抑制することによって転移細胞の腫瘍性形質を阻害する)PLoS One. 2013; 8(5): e61747.
【要旨】
ミトコンドリアと核のクロストーク(シグナル伝達系が相互に影響しあうこと)とミトコンドリアからの逆行性制御が、細胞の性状に大きな影響を及ぼしている。ミトコンドリアを入れ替えるサイブリッド(cybrid; 細胞雑種)の実験系は、細胞核の存在下での異常ミトコンドリアの作用を研究する上で役立つ。
サイブリッドを使った実験系は、ミトコンドリアの機能やがん細胞の特性におけるミトコンドリアDNAの特殊な変種の役割に焦点を合わせた研究が多い。
しかし、これらのミトコンドリアDNAの変種は良性の多形性であって、その機能的な役割は知られていない。
がん細胞のおけるミトコンドリアの欠陥を正常化する目的と、がん治療におけるターゲットとしてのミトコンドリアの役割を確立するためには、がん細胞の核の存在下でのがん細胞の特性を正常化させるミトコンドリアの機能を理解することは極めて重要である。
本研究では、高度に転移活性の高いがん細胞を用い、非がん細胞のミトコンドリアを導入することによって腫瘍性特性を正常化できる可能性について検討した。
悪性度の高い骨肉腫細胞株からミトコンドリアDNAを欠損させた143B TK-ρ0細胞と、良性の乳腺上皮細胞株のMCF10Aから採取したミトコンドリアを融合させてサイブリッドを作成した。さらに、中等度に転移活性を有する乳がん細胞株のMDA-MB-468 と骨肉腫細胞株の143B とのサイブリッドを作成した。
これらのサイブリッド(雑種細胞)では、がん細胞に由来する細胞核が存在するにも拘らず、がん細胞由来のミトコンドリアを導入した場合に比較して、正常な細胞からのミトコンドリアを融合させたサイブリッドでは、ATP合成や酸素消費や呼吸鎖活性の亢進など、ミトコンドリア機能の亢進を認めた。
興味深いことに、正常細胞のミトコンドリアは、143B TK-細胞の増殖能、無酸素状態での生存、アポトーシス抵抗性、抗がん剤抵抗性、浸潤能、寒天上でのコロニー形成能、ヌードマウスにおける移植腫瘍の増殖速度などを含めて、様々ながん性特性を正常化させることができた。
マイクロアレイ解析では、がん細胞のミトコンドリアを導入した場合に観察されて幾つかの腫瘍性シグナル伝達系が、正常細胞からのミトコンドリアを導入したサイブリッドでは阻害された。
これらの結果は、ミトコンドリアと核のクロストークが腫瘍形成において重要な制御機能を果たしており、ミトコンドリア機能を正常化することががん治療のターゲットとなる可能性を示唆している。
図:核を抜きとった正常細胞の細胞質をがん細胞に細胞融合させると、がん細胞の核が存在しているにも拘らず、悪性の性質が無くなる。これは、正常細胞のミトコンドリアががん細胞の悪性形質を抑制するためと考えられている。
ミトコンドリアのたんぱく質をコードしている遺伝子の多くは核の遺伝子に存在するにも拘らず、正常細胞に由来するミトコンドリアを導入すると、がん細胞の腫瘍形成性の表現型とシグナル伝達系は抑制されます。
がん細胞の核の存在下でもミトコンドリア機能が正常であれば、腫瘍性が消失することが示されています。
がん細胞の発生や悪性進展には、細胞核の遺伝子異常(体細胞突然変異)だけでなく、ミトコンドリアの機能異常も重要だと言うことです。
したがって、ミトコンドリアの働きを正常化することはがん治療の一つの手段になる可能性があると言えます。
« 576)ミトコン... | 578) ミトコン... » |