826)がん幹細胞特性を阻害するとがんは自然消滅する

図:がん組織はがん幹細胞(①)と成熟がん細胞(②)から構成される。抗がん剤治療や放射線治療に対して、成熟したがん細胞が死滅しやすいが、がん幹細胞が抵抗性を示す(③)。がん幹細胞が生き残れば、がん細胞はいずれ再増殖し、再発・再燃する(④)。がん幹細胞特性の維持にWnt、Notch、Hedgehog、JAK/STAT3、NF-κB、Akt/mTORC1、TGF-βなどのシグナル伝達経路やアルデヒド脱水素酵素などが関与している(⑤)。これらのシグナル伝達系や酵素を阻害するニクロサミド、イトラコナゾール。メベンダゾール、イベルメクチン、ニトロキソリン、ビタインD3、 ジスルフィラムなどを併用して投与すると、がん幹細胞を死滅して、がんを消滅できる。

826)がん幹細胞特性を阻害するとがんは自然消滅する

【がん幹細胞は放射線治療や抗がん剤治療に抵抗性が高い】
組織の細胞には幹細胞(stem cell)と成熟した体細胞が存在します。組織の幹細胞とは、組織固有の多分化能を有して各臓器・組織を構成する細胞の供給源となる細胞です。

組織幹細胞は自己複製によって幹細胞を維持すると同時に、不均等分裂により一部が自己複製のサイクルから逸脱して成熟細胞へと分化して、組織を構成する細胞(体細胞)を作り出しています。

組織幹細胞は、分裂して自分と同じ細胞を作り出すことができ(自己複製能)、またいろいろな細胞に分化できる(多分化能)という二つの重要な性質を持ち、この性質により、限られた寿命のある体細胞を絶えず供給し、傷ついた組織を修復することができるのです。

がん組織の中にも正常組織における幹細胞システムに類似した階層性が存在し、その中にがん幹細胞 (cancer stem cells)と呼べるような細胞が存在して通常のがん細胞を供給しながらがん組織を構成していることが明らかになっています。
すなわち、無限に自己複製を行うがん幹細胞ががん組織中に少数存在し、不均等分裂により一部が自己複製のサイクルから逸脱して分化し通常のがん細胞となっているのです。

多くの場合、このがん幹細胞の起源は通常の組織幹細胞と考えられています。すなわち、組織幹細胞に遺伝子変異が蓄積して、がん幹細胞になるというわけです。

細胞ががん化するためには、複数のがん遺伝子やがん抑制遺伝子に異常が重なる必要があるため、短期間でアポトーシスで死滅する運命の成熟(=分化)した細胞に遺伝子変異が生じても、がん細胞に変化するとは考えにくく、「組織に持続的に存在する幹細胞の遺伝子に変異が蓄積することによってがん細胞(=がん幹細胞)が発生する」と考えられています。

図(A)正常組織の細胞には幹細胞と成熟した体細胞が存在する。組織幹細胞は組織固有の多分化能を有して各臓器・組織を構成する細胞の供給源となる。組織幹細胞は自己複製によって幹細胞を維持すると同時に、不均等分裂により一部が自己複製のサイクルから逸脱して成熟細胞へと分化して、組織を構成する細胞(体細胞)を作り出している。
(B)がん組織には成熟したがん細胞とがん幹細胞が存在する。がん幹細胞は自己複製を行うと同時に、不均等分裂により一部が自己複製のサイクルから逸脱して通常のがん細胞となり、がん組織の成熟がん細胞の供給源となる。

がん幹細胞(cancer stem cell)腫瘍始原細胞(tumor initiating cell)とも呼ばれ、がん細胞を生み出すもとになる細胞であり、がん組織中に少数(数%程度)存在しています。そして、がん幹細胞は正常な組織幹細胞と同様、特別な微小環境(ニッチ)中に存在し、ニッチより分泌される液性因子などによって、多分化能の維持や分裂増殖が制御されていると考えられています。
通常の抗がん剤治療や放射線治療に対して、成熟したがん細胞が死滅しやすいのですが、がん幹細胞は様々な機序で抵抗性を示します。がん幹細胞が生き残れば、がんはいずれ再燃・再発します。

したがって、がん治療後の再発を防ぐためには、がん幹細胞の放射線感受性や抗がん剤感受性を高める方法の開発が必要ということになります。
がん幹細胞の生存を維持している幹細胞特性(Stemness)を阻害すると、がん幹細胞は死滅しやすくなります。がん幹細胞がいなくなれば、がんは自然消滅します。成熟がん細胞はがん幹細胞のように増殖できないため、時間が経てば死滅するからです。

図:抗がん剤治療や放射線治療に対して、成熟したがん細胞が死滅しやすいが、がん幹細胞が抵抗性を示す(①)。がん幹細胞が生き残れば、がんはいずれ再燃・再発する(②)。がん幹細胞特性を維持しているメカニズムを阻害すると抗がん剤感受性を高めることができる(③)。がん幹細胞が死滅すれば、がん組織を消滅できる(④)。

【駆虫薬のニクロサミドはがん幹細胞特性に関与する複数のシグナル伝達系を阻害する】
ニクロサミド(Niclosamide)は、1953年にバイエルの化学療法研究所で発見されました。当初、住血吸虫症の中間宿主であるカタツムリを殺すための軟体動物駆除剤として開発され、1959年にバイラスサイド(Bayluscide)として販売されました。
1960年、バイエルの科学者はヒトの条虫感染に対して有効であることを発見し、1962年にヨメサン(Yomesan)という商品名で、人間が使用するために販売しました。
ニクロサミドは、1982年にサナダムシ感染を治療するためのヒトへの使用が米国FDAによって承認され、世界保健機関の必須医薬品のリストに含まれています。

何百万人もの患者を安全に治療するために使用されています。このような広く使用されている薬物ですが、ニクロサミドの作用メカニズムは十分に解明されていません。過去数年の間に、ニクロサミドが複数のシグナル伝達経路と生物学的プロセスを阻害または制御できる多機能薬であるという証拠が蓄積されており、蠕虫病以外の新しい治療法として開発できる可能性が指摘されています。
がん治療における利用も報告されています。以下のような報告があります。

Niclosamide, an old antihelminthic agent, demonstrates antitumor activity by blocking multiple signaling pathways of cancer stem cells.(古い駆虫剤であるニクロサミドは、がん幹細胞の複数のシグナル伝達経路を遮断することにより、抗腫瘍活性を示す)Chin J Cancer. 2012 Apr; 31(4): 178–184.

【要旨の抜粋】
経口駆虫薬であるニクロサミドは、サナダムシ感染症の治療に約 50 年間使用されてきた。最近、いくつかのグループが、ニクロサミドががん細胞に対しても有効であることを発見したが、その抗腫瘍作用のメカニズムは完全には理解されていない。
ニクロサミドが複数のシグナル伝達経路 (NF-κB、Wnt/β-カテニン、Notch、mTORC1、Stat3など) を標的とすることが指摘されており、それらのシグナル伝達経路はがん幹細胞と密接に関係している。 この薬の抗腫瘍活性と分子標的の解明におけるエキサイティングな進歩について説明する。その潜在的な抗腫瘍活性を考えると、ニクロサミドとその誘導体のがん治療における臨床試験が行われる必要がある。

ニクロサミドはβ-カテニン/c-Myc 軸の制御を介してがん幹細胞特性阻害することが報告されています。以下のような報告があります。

The Antihelminthic Niclosamide Inhibits Cancer Stemness, Extracellular Matrix Remodeling, and Metastasis through Dysregulation of the Nuclear β-catenin/c-Myc axis in OSCC.(寄生虫治療薬のニクロサミドは、口腔扁平上皮がん細胞における核の β-カテニン/c-Myc 軸の制御を介して、がん幹細胞特性、細胞外マトリックスのリモデリング、および転移を阻害する)Sci Rep. 2018; 8: 12776. 

【要旨の抜粋】
ニクロサミドは、寄生虫感染症の治療に使用される経口駆虫薬で、多くのがん細胞に対して抗がん作用を示す。
本研究では、ALDH 陽性ヒト口腔扁平上皮がん細胞が、多能性転写因子の OCT4、Nanog、および Sox2 の発現亢進を示し、腫瘍塊形成によって実証されるようにがん幹細胞特性を示すことを明らかにした。
さらにニクロサミドが、ヒト口腔扁平上皮がん細胞株(SCC4およびSCC25細胞株)においてβ-カテニン、Disheveled 2 (DVL2)、リン酸化グリコーゲンシンターゼキナーゼ-3β (p-GSK3β) およびサイクリンD1をターゲットにして、Wnt/β-カテニンシグナル伝達経路の活性化を効果的に阻害することを示した。また、腫瘍細胞塊の形成を減少させた
さらに、ニクロサミドは、E-カドヘリンおよびメタロプロテイナーゼ 2 (TIMP2) mRNA レベルを用量依存的に亢進し、ビメンチン、snail、MMP2 および MMP9 mRNA の発現レベルを低下させ、口腔扁平上皮がん細胞の上皮間葉転換、遊走およびコロニー形成を阻害することを示した。
ニクロサミドのこれらの抗がん活性は、siRNAトランスフェクションを使用した核β-カテニン/c-Myc発現の干渉によって引き起こされるものと同様であった。
最後に、ニクロサミドがシスプラチン誘発の口腔扁平上皮がん細胞幹細胞濃縮を阻害し、ALDH陽性腫瘍塊におけるシスプラチンに対する感受性を高めることを実証した
これらの実験データは、蓄積された他の証拠と合わせて、口腔扁平上皮がんの治療におけるニクロサミドの可能性と有効性を示唆している。

ALDH(アルデヒド脱水素酵素)はがん幹細胞に多く発現しており、がん幹細胞のマーカーとなっています。つまりALDH陽性がん細胞というのはがん幹細胞を意味します。ALDH活性が高いがん細胞はがん幹細胞の性質を持っていることが多くの研究で明らかになっています。

がん幹細胞の維持に必要な遺伝子としてNanog、Oct-4、Sox-2, Klf4 、c-Mycなどが知られています。
細胞を初期化してiPS細胞を作る時に導入されるいわゆる山中因子というのは、Oct3/4、Sox-2、Klf4、c-Mycの四つです。この4つはがん幹細胞の維持にも必要です。Nanog は多能性を安定化させる因子と見られています。このようながん幹細胞の性質維持が必要な遺伝子はALDH陽性細胞に多く発現しているということです。
ニクロサミドはWnt/β-カテニンシグナル伝達経路の阻害を介して、がん幹細胞特性の維持に必要な多能性転写因子の OCT4、Nanog、Sox2 の発現を低下し、腫瘍形成や転移を抑制する作用があることを報告しています。

がん細胞ではWnt/β-カテニン経路の異常が高頻度で認められます。Wnt/β-カテニン経路が活性化しているがんは予後が悪いという研究結果が多く報告されています。Wnt/β-カテニン経路は極めて複雑で、まだ不明な点も多くあります。簡単にまとめると、次のようになります。

1)Wntは分子量約4万の細胞外分泌糖タンパク質で、種を超えて保存されており、初期発生における体軸の決定や器官形成を制御しています。これまでに哺乳類において19種類のWnt が同定されています。

2)Wnt はFrizzledlow-density lipoprotein receptorrelated protein(LRP)5/6の受容体を介して細胞内にシグルを伝達し、多様な細胞機能を制御しています。Frizzledは7回膜貫通型受容体でLRP5/6はFrizzledの共役受容体として機能します。

3)Wnt の非存在下では細胞質内のβ-カテニンのタンパク質量は低く保たれています。これはGSK-3がβ-カテニンをリン酸化し、リン酸化された-カテニンはユビキチン化を受け、最終的にはプロテアソームで分解されるためです。

4)Wnt が分泌されて細胞膜上のFrizzled と共役受容体であるLRP5/6に結合すると,そのシグナルは細胞内へと伝達され、GSK-3依存性のβ-カテニンのリン酸化を抑制し、低リン酸化状態となったβ-カテニンはプロテアソームによる分解から免れ、細胞質内に蓄積します。

5)細胞内に蓄積したβ-カテニンは核内に移行し、転写因子Tcf/Lef と複合体を形成して標的遺伝子の発現を促進することによって、種々の細胞機能を制御しています。Tcf/LefはT-cell factor/lymphoid enhancer factorの略です。

6)Tcf/Lefの標的遺伝子は100種類以上に及び、細胞の増殖、分化、運動、幹細胞多能性維持などの制御に関わっています。c-mycやcyclin D1などの発現を亢進して細胞増殖を促進します。(下図参照)

図:オフ(OFF)状態。Wntリガンドが存在しない場合、β-カテニンは、casein kinase 1α (CK1α)、glycogen synthase kinase 3 β (GSK-3β) 、 axis Inhibition (Axin)、 adenomatous polyposis coli (APC)からなる「破壊複合体」に移動する。β-カテニンは、CK1αによってSer45残基がリン酸化され、GSK-3βによってSer33、Ser37、およびThr41残基がリン酸化される。その結果、β-カテニンはユビキチン化されプロテアソームで分解される。これにより、β-カテニンの核への蓄積が阻止され、遺伝子転写が阻害される。
オン(ON)状態。 Wnt リガンドは frizzled受容体と低密度リポタンパク質関連タンパク質 5/6 (LRP5/6) に結合する。これにより、DVLがβ-カテニンのリン酸化を抑制し、低リン酸化状態となったβ-カテニンはプロテアソームによる分解から免れ、細胞質内に蓄積し、β-カテニンの核移行が可能になる。核内でβ-カテニンは転写因子Tcf/Lef(T-cell factor/lymphoid enhancer factor)と複合体を形成して標的遺伝子(c-Myc、サイクリンD1など)の発現を促進することによって、種々の細胞機能を制御する。

Wnt/βカテニン経路とAkt/mTORC1経路の阻害によるc-Myc転写の阻害に、メベンダゾール、メトホルミン、ビタミンD3、ドコサヘキサエン酸、イベルメクチンの効果が期待できることは824話で解説しています。ニクロサミドはこれらと併用して相乗効果が期待できます。

図:Wntシグナルがオフ(OFF)の状態では、β-カテニンは、casein kinase 1α (CK1α)、glycogen synthase kinase 3 β (GSK-3β) 、 axis Inhibition (Axin)、 adenomatous polyposis coli (APC)からなる「破壊複合体」によって分解されている。Wntリガンドがfrizzled受容体と低密度リポタンパク質関連タンパク質 5/6 (LRP5/6) に結合すると、DVLがβ-カテニンのリン酸化を抑制し、プロテアソームによる分解から免れ、細胞質内にβ-カテニンが蓄積して核移行が可能になる。核内でβ-カテニンは転写因子Tcf/Lef(T-cell factor/lymphoid enhancer factor)と複合体を形成して標的遺伝子(c-Myc、サイクリンD1など)の発現を促進することによって、細胞増殖を促進する。

近年、ニクロサミドはがん研究で広く研究されており、複数のがん関連シグナル経路を効果的に阻害することが示されています。ニクロサミドが Wnt/β-カテニン シグナル伝達の阻害剤であり、Wnt 共受容体 LRP6 の分解を促進しながら、β-カテニン/TCF 複合体の形成を妨害することを示しました。
いくつかの研究では、前立腺がん、乳がん、骨肉腫、および結腸直腸がんの抑制におけるニクロサミドの抗腫瘍活性が評価されています。ニクロサミドは Hedgehog、JAK/STAT3、NF-κB、Akt/mTORCなど、がん幹細胞特性の維持に必要なシグナル伝達系にも作用することが報告されています。

【細胞には一次線毛と呼ばれるアンテナが存在する】 
一次線毛(primary cilium)は、哺乳類動物の多くの細胞において、細胞増殖を止めるときに細胞表面に出現する1本の突起様の細胞器官です。
その機能は主に2つあります。中心体に作用して細胞分裂を止める作用と、細胞外の情報を得てそれを細胞内に伝えるアンテナのような作用です。
細胞が一次線毛を形成すると増殖を停止します。一次線毛は、細胞の増殖と休止を切り替えるスイッチの役割を果たしています。
さらに、増殖因子の受容体やイオンチャンネルやトランスポーターやシグナル伝達因子などが集まっていて、細胞外の情報を細胞内に伝えるアンテナの役割を持ちます。

一次線毛を持っている細胞の多くは、細胞周期のG0期の細胞分裂を止めた分化した細胞か幹細胞です。これらの細胞が細胞分裂を開始するとき、この一次線毛は消失しますが、2つの細胞に分裂したあと、一次線毛が再度出現して、細胞周期は止まります。

中心体(centrosome)は微小管による構造物である中心子(centriole)と、それをとりかこむ周辺物質(pericentriolar material)により構成されます。
中心子はS期に複製を開始し、G2/M期に成熟し、2個の中心子は分離し、中心体はM期において紡錘体の形成に寄与します。細胞が増殖を停止する(G0期に入る)と中心体は細胞膜の近傍へと移動し,母中心子が基底小体(basal body)となり一次線毛(primary cilia)が形成されます。

さらに、この一次線毛には、様々な受容体、イオンチャンネル、トランスポーター蛋白、シグナル伝達因子などが集まって、細胞のシグナル伝達に重要な役割を持っています。線毛に圧を加える機械的な刺激や、増殖因子やホルモンなどの化学的な刺激に反応して、これらの細胞外の情報を細胞内に伝えます。
このような作用によって、一次線毛は、細胞の分裂・アポトーシス・分化・移動などの調節に関わり、組織や臓器の発生や恒常性維持に重要な役割を果たしており、細胞のアンテナとしての多様な機能に注目が集まっています。

図:一次線毛は細胞増殖のスイッチとしての役割の他、細胞外の情報を細胞内に伝えるアンテナの役割を持ち、増殖因子の受容体やイオンチャンネルやトランスポーターやシグナル伝達因子などが集まっている。

【ヘッジホッグ(Hedgehog)シグナル伝達系はがん幹細胞の自己複製と増殖を制御している】
ヘッジホッグ・シグナル伝達系は、ショウジョウバエからヒトに至るまで進化的に保存されており、胎生期における組織や臓器の発生や成長において、細胞の増殖や分化や組織形成など多くの過程に重要な働きを行っています。
成長した組織においては、組織幹細胞の維持や、傷害を受けた組織の修復や再生に重要な役割を担っています。

ヘッジホッグは細胞から分泌されて、その細胞自身(オートクリン)あるいは近くの細胞(パラクリン)の細胞膜にあるPatched-1 (PTCH-1)に結合することによってこのシグナル伝達系が活性化されて、細胞の増殖や移動や分化などの調節を行います。
ヘッジホッグ(Hedgehog)というのはハリネズミのことで、ヘッジホッグ遺伝子の機能を失ったショウジョウバエの胚が小さな歯のような突起物が密集しており、ハリネズミに似ていることからこのような名前になっています。
哺乳類のヘッジホッグにはソニック・ヘッジホッグ(Sonic Hedgehog)インディアン・ヘッジホッグ(Indian Hegdehog)デザート・ヘッジホッグ(Desert Hedgehog)の3種類がありますが、最も研究されているのは全身に発現が見られるソニック・ヘッジホッグ・シグナル伝達系です。

インディアン・ヘッジホッグ(インドはりねずみ)とデザート・ヘッジホッゴグ(エチオピアはりねずみ)は実在するハリネズミの種類から命名されていますが、ソニック・ヘッジホッグはセガ・ジェネシスのキャラクターのソニック・ザ・ヘッジホッグから名付けられています。つまり、ソニックヘッジホッグタンパク質は研究者の洒落で命名されたタンパク質です。

ソニック・ヘッジホッグ・シグナル伝達系は細胞膜にある12回膜貫通型の受容体のPatched-1 (PTCH-1)にソニック・ヘッジホッグが結合することによって開始されます。
PTCH-1は7回膜貫通型のGiタンパク質共役受容体のSmoothened (SMO)を阻害する作用がありますが、PTCH-1にソニック・ヘッジホッグが結合するとPTCH-1のSMOを阻害する作用が失われます。その結果、SMOが活性化され、活性化したSMOによって転写因子のGLIが活性化されてヘッジホッグ標的遺伝子の発現が活性化されることになります。(下図)

図:ヘッジホッグ・リガンドが無い状況(①)では、12回膜貫通型受容体のPatched-1
(PTCH-1)は7回膜貫通型のGiタンパク質共役受容体のSmoothened (SMO)を阻害している(②)。この状況では、転写因子のGLIはSUFUと結合して活性が阻害され、ヘッジホッグシグナル伝達系は作動しない(③)。PTCH-1にヘッジホッグ・リガンド(Hh)が結合すると(④)、PTCH-1のSMOを阻害する作用が失われ、GLIがSUFUから離れてフリーになり(⑤)、核に移行して(⑥)、ヘッジホッグ標的遺伝子の発現を亢進する(⑦)。その結果、がん細胞の増殖・転移の促進、がん幹細胞の性状維持、細胞死抵抗性の亢進が引き起こされる(⑧)。


つまり、PTCH-1は発がんを抑制するがん抑制遺伝子であり、SMOはがん化を促進するがん遺伝子の作用を持っています。
一次線毛(primary cilium)は、様々な受容体、イオンチャンネル、トランスポーター蛋白、シグナル伝達因子などが集まって、細胞のシグナル伝達に重要な役割を持っています。
ヘッジホッグ経路の構成成分は一次線毛に集まっています。
ヘッジホッグが無いときは、PTCH-1(Patched-1)は一次線毛に位置して、SMO(Smoothened)の一次線毛への移動を阻害しているので、ヘッジホッグ・シグナル伝達系が作動しません
ヘッジホッグがPTCH-1に結合すると、PHCH-1は一次線毛から離れて、SMOが一次線毛に移動してGLIをフリーにして核に移動し、ヘッジホッグ標的遺伝子の発現を誘導するというのがヘッジホッグシグナル伝達系です。
基底細胞がん、髄芽腫、悪性リンパ腫、白血病、卵巣がん、乳がん、膵臓がん、肺がん、肝臓がん、胃がん、結腸直腸がん、前立腺がん、膀胱がんなど多くのがん細胞種において、ヘッジホッグ・シグナル伝達系の異常な活性化が観察されています。
人間のがんの30%以上にヘッジホッグシグナル系の亢進が認められるという報告もあります。
基底細胞がんや髄芽腫ではほぼ100%の腫瘍にヘッジホッグ系に異常が認められ、膵臓がんでは70%以上に異常が認められると報告されています。
ヘッジホッグシグナル伝達系の活性亢進は、がんの発生過程だけでなく、より浸潤性の高いがん細胞への変化や抗がん剤治療への抵抗性を引き起こしています。
したがって、この経路を阻害すると、がん細胞の増殖や転移を抑制し、抗がん剤治療が効きやすくなることが予想できます。
特にmTORC1(哺乳類ラパマイシン標的タンパク質複合体1)の活性とヘッジホッグ・シグナル伝達系の2つの経路を同時に阻害すると、抗腫瘍効果が相乗的に高まることが多くの研究で示されています。
イトラコナゾールとビタミンD3はSMOを阻害することが報告されています。メベンダゾールは一次線毛の形成を阻害し、ニトロキソリンはBETブロモドメインタンパク質BRD4の働きを阻害してGLI転写活性を阻害します。これらを併用するとヘッジホッグシグナル伝達系を効果的に阻害して、抗腫瘍効果を発揮できます(724話参照)。

図: 2回膜貫通型受容体のPatched-1(PTCH-1)にヘッジホッグ(Hh)結合すると(①)、7回膜貫通型のGiタンパク質共役受容体のSmoothened (SMO)は一次線毛に移行し(②)。GLIがSUFUから離れてフリーになり(③)、核に移行して(④)、ヘッジホッグ標的遺伝子の発現を亢進する(⑤)。その結果、がん細胞の増殖・転移の促進、がん幹細胞の性状維持、細胞死抵抗性の亢進が引き起こされる(⑥)。イトラコナゾールとビタミンD3はSMOに結合して、一次線毛への移動を阻害してSMOの働きを阻害してヘッジホッグシグナル伝達系を阻害する(⑦)。メベンダゾールは微小管重合を阻害して一次線毛の形成を阻害してヘッジホッグシグナル伝達系を阻害する(⑧)。ニトロキソリンはBETブロモドメインタンパク質BRD4の働きを阻害してGLI転写活性を阻害する(⑨)。これらを組み合わせると、ヘッジホッグシグナル伝達系を阻害し、がん細胞の増殖を抑制し、細胞死を誘導できる。


【がん幹細胞とmTORとヘッジホッグ経路】
がん幹細胞の自己複製や増殖を制御しているシグナル伝達系としてヘッジホッグ(Hedgehog)、mTOR、Notch、Wnt-β-Cateninなどがあります。
つまり、これらをターゲットにすると、がん幹細胞の消滅できます。
以下のような報告があります。

Combined targeted treatment to eliminate tumorigenic cancer stem cells in human pancreatic cancer.(ヒト膵臓がんの腫瘍形成性がん幹細胞を消滅させる標的治療の組合せ)Gastroenterology. 137(3):1102-13. 2009年

【要旨】
研究の背景と目的:膵臓がんは、腫瘍形成性のがん幹細胞の存在により、抗がん剤治療に対して非常に強い抵抗性を示し、ジェムザール治療中もがん幹細胞は生き延び、数を増やしている。ソニック・ヘッジホッグ(sonic hedgehog)シグナル伝達系と哺乳類ラパマイシン標的タンパク質(mammalian target of rapamycin:mTOR)は、いずれもがん幹細胞の自己複製に必須であるため、膵臓がん治療の新たなターゲットとして期待できる。
方法:膵臓がんの培養細胞を使った実験系と動物移植腫瘍を使った実験系を用いて、腫瘍形成性がん幹細胞に対するソニック・ヘッジホッグ阻害剤(cyclopamine/CUR199691)とmTOR阻害剤(ラパマイシン)の効果を検討した。
結果:驚くべきことに、ソニック・ヘッジホッグ阻害剤のシクロパミン(cyclopamine)もラパマイシン(rapamycin)もそれぞれ単独ではがん幹細胞の数を減らすことはできなかった。また、それぞれを単独で抗がん剤治療と併用した場合もがん幹細胞の数を減らすことはできなかった。
ソニック・ヘッジホッグ阻害とmTOR阻害と抗がん剤の3つを同時に併用した場合にのみ、がん幹細胞の数が検出できないレベルまで減少することが、培養細胞を使ったin vitroの実験と移植腫瘍を用いた動物実験(in vivo)の両方で認められた。最も重要なことは、これら3種類を組み合わせた治療によって、ヒト由来の膵臓がん細胞を移植されたマウスは生存期間が顕著に延長したことである。
結論:ソニック・ヘッジホッグとmTORの両方のシグナル伝達系の阻害を通常の抗がん剤治療と併用することによって膵臓がんのがん幹細胞を消滅させることが可能になる。この治療法をさらに検討することは、治療が困難で予後が極めて不良な膵臓がんの新たな治療法の開発につながる。


ヘッジホッグシグナル経路は、様々ながんの発生や進展にも関与していることが明らかになっており、特にがん幹細胞の自己複製能の維持に重要な役割を担っています。
つまり、ヘッジホッグ・シグナル伝達系に関与するタンパク質の遺伝子の変異や発現亢進が組織幹細胞に起こるとがん幹細胞になってがんが発生するということです。
そのため、ヘッジホッグシグナル経路の阻害剤ががん治療薬として開発されており、すでに認可されているものもあり、多くの薬の臨床試験が行われています。
この実験で使用されているシクロパミン(cyclopamine)は米国に自生するバイケイソウという植物からみつかった天然有機化合物で、ヘッジホッグシグナル伝達系を阻害する作用があり、この誘導体ががん治療薬として開発されています。
バイケイソウを食べた羊から生まれた子羊に単眼症などの奇形が多く発生し、その原因物質としてシクロパミンが同定され、これがヘッジホッグ経路を阻害するために胚発生過程の臓器形成に異常が生じて奇形が起こることが明らかになっています。

mTORはラパマイシンの標的分子として同定されたセリン・スレオニンキナーゼで、細胞の分裂や生存などの調節に中心的な役割を果たすと考えられています。がん細胞や肉腫細胞の多くにおいてmTORが活性化されており、mTORの阻害はがん細胞や肉腫細胞の増殖を抑制し、抗がん剤や放射線治療の効き目を高める効果や細胞死(アポトーシス)を誘導する効果が示されています。すでに幾つかのmTOR阻害剤が開発され、抗がん剤として使用されています。
mTORもがん幹細胞の自己複製や増殖や抗がん剤耐性に関与していることが報告されています。
つまりヘッジホッグ経路とmTOR経路を同時に阻害すると、がん幹細胞の増殖や生存を阻害できるということです。

がん幹細胞は、成熟したがん細胞に比べて抗がん剤や放射線に抵抗性が強いため、治療後の再発の原因となっています。がん幹細胞を死にやすくすることががん治療の効果を高めることができるのですが、がん幹細胞は様々なメカニズムで死ににくくなっており、一つの方法だけでは限界があるようです。
この論文でも、抗がん剤治療+ソニック・ヘッジホッグ阻害も抗がん剤治療+mTOR阻害もがん幹細胞を減らすことができなかったという結果です。しかし、抗がん剤治療+ソニック・ヘッジホッグ阻害+mTOR阻害の3つを組み合わせると、膵臓がんのがん幹細胞を消滅できたという結果です。
膵臓がんに対するジェムザールの効果は極めて低いのですが、mTOR阻害とソニック・ヘッジホッグ阻害の2つを併用すると奏功率を高めることができる可能性を示唆しています

図: PI3K/Akt/mTOR経路とヘッジホッグ(Hedgehog)経路は、自己複製能や不均等分裂などのがん幹細胞性質(Stemness)を維持する上で重要は役割を果たしている。PI3K/Akt/mTOR経路は増殖因子や栄養によって活性化され、セリン・スレオニンキナーゼのmTORを活性化して様々なタンパク質をリン酸化して活性化することによって細胞の増殖を促進する。ソニック・ヘッジホッグ・シグナル伝達系は細胞膜にある受容体のPatched-1 (PTCH-1)にソニック・ヘッジホッグ(SHh)が結合することによって開始され、smoothened(SMO)を介してシグナルが伝達され、転写因子のGLIの活性化によって細胞の増殖や分化を制御する。この2つの経路を阻害するとがん幹細胞の増殖を抑え、抗がん剤感受性を高めることが報告されている。 


イトラコナゾールはヘッジホッグシグナル伝達系とmTOR経路の両方を阻害して、がん幹細胞の幹細胞特性を阻害し、抗腫瘍効果を発揮する可能性があります。
ビタミンDメベンダゾールニトロキソリンはヘッジホッグシグナル伝達系を阻害します。
ラパマイシンメトホルミンはmTORC1を阻害します。ジスルフィラムはアルデヒド脱水素酵素を阻害します。これらを組み合わせると、がん幹細胞の幹細胞特性(Stemness)を阻害して、がん幹細胞を死滅できます(下図)。

図: PI3K/Akt/mTOR経路とヘッジホッグ(Hedgehog)経路は、自己複製能や不均等分裂などのがん幹細胞の性質(Stemness)を維持する上で重要な役割を果たしている(①)。アルデヒド脱水素酵素1A1はがん幹細胞で過剰に発現し、幹細胞の性質の維持に重要な働きを担っている(②)。PI3K/Akt/mTOR経路は増殖因子や栄養によって活性化され、セリン・スレオニンキナーゼのmTORを活性化して様々なタンパク質をリン酸化して活性化することによって細胞の増殖を促進する(③)。ヘッジホッグ・シグナル伝達系は細胞膜にある受容体のPatched-1 (PTCH-1)にソニック・ヘッジホッグ(SHh)が結合することによって開始され、smoothened(SMO)を介してシグナルが伝達され、転写因子のGLIの活性化によって細胞の増殖や分化を制御する(④)。これらの経路を阻害するとがん幹細胞の増殖を抑え、抗がん剤感受性を高めることができる。ラパマイシンはmTORC1を阻害する(⑤)。メトホルミンはAMP活性化プロテインキナーゼ(AMPK)を活性化してmTORC1の活性化を阻害する(⑥)。ヘッジホッグ経路の阻害剤としてはイトラコナゾール、メベンダゾール、ビタミンD3、ニトロキソリンがある。(⑦)アルデヒド脱水素酵素1A1の阻害剤として断酒薬のジスルフィラムがある(⑧)。これらを併用すると膵臓がんを含めて多くのがん細胞の抗がん剤感受性を高めることができる。


イトラコナゾール、メベンダゾール、ビタミンD3、ニトロキソリン、ジスルフィラム、メトホルミン、ラパマイシンはいずれも比較的安価で、安全性の高い(副作用の少ない)薬です。(いずれも1ヶ月分が数千円から1万円程度)
ビタミンD3以外は医薬品です。
イトラコナゾール(真菌治療薬)、メベンダゾール(駆虫薬)、ニトロキソリン(抗菌薬)、ジスルフィラム(アルコール中毒治療薬)、メトホルミン(糖尿病治療薬)、ラパマイシン(臓器移植の拒絶反応予防薬)は他の病気の治療目的で使用されていて、がん治療に利用されています(医薬品の再利用)。
欧米では医薬品の再利用としてがんの代替医療で使用される頻度の高い医薬品です。
抗がん剤治療や放射線治療に併用する根拠は高いと思います。

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