がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
868)抗がん剤治療はなぜ失敗するのか(その1):多倍体巨大がん細胞 (Polyploid giant cancer cell)の出現
図:抗がん剤や放射線照射によってがん細胞が遺伝子毒性の強いストレスを受けると(①)、多くのがん細胞は死滅してがん組織は縮小する(②)。しかし、一部のがん細胞は多倍体あるいは多核の巨大がん細胞になる(③)。この巨大がん細胞は増殖能を喪失しているが代謝的に活性であり、SASP (senescence-associated secretory phenotype : 老化関連分泌表現型)と呼ばれる様々な成長因子やサイトカインなどを分泌して、生き残ったがん細胞の増殖を促進する(④)。さらに、巨大がん細胞は脱倍数化と核出芽(⑤)によって増殖活性を持ったがん細胞(娘細胞)を産出する(⑥)。この巨大がん細胞由来の娘がん細胞はがん幹細胞の性質をもち、抗がん剤や放射線照射などのがん治療に抵抗性を持った腫瘍に変化する(⑦)。このように、抗がん剤や放射線照射は「がん細胞をより強いモンスターに変える」作用を持っている。(図中の期間の日数は概念的な数字であり、その期間は数週間から数年間とケースバイケースである)
868)抗がん剤治療はなぜ失敗するのか(その1):多倍体巨大がん細胞 (Polyploid giant cancer cell)の出現
【人類は「がん戦争」にまだ勝利していない】
「がん戦争」という言葉があります。「がん戦争」とは、1971年にアメリカの当時の大統領リチャード・ニクソンが宣言した「がん撲滅のための戦争(war on cancer)」に由来します。がんの研究と治療における努力を強化し、がんの発症率や死亡率を大幅に減少させるというアメリカの国策として「がん戦争」は始まりました。
具体的には「National Cancer Act (国家がん法)」という法律が1971年12月にアメリカ合衆国で制定されました。この法律は、リチャード・ニクソン大統領のもとで署名され、国立癌研究所(NCI)の役割と資金を拡大しました。がん研究への資金供給や関連する研究プログラムは大幅に拡大し、数十年にわたってがん治療の進歩や新しい治療法の開発に寄与してきました。
National Cancer Act (国家がん法)の制定後50年が経ったことに関連して、Natureの2022年1月19日号に『The ‘war on cancer’ isn’t yet won(がんとの戦いにはまだ勝利していない)』 というEditorialが載っています。Nature 601, 297 (2022)
このEditorial(論説)の抜粋を以下に記載します。
1970年、米国上院の顧問らはがん治療の進化を予測しようと試みた。「長期的な将来は免疫学者と遺伝学者が主導するだろう。中間的な未来は化学療法医が主役になる」と彼らは書いている。それから50年以上が経過したが、いまだにがん治療の主役は外科医であり、その次が放射線科医である。免疫学者と遺伝学者が主役になるという未来が実現するのはかなり先のようである。
顧問らは、当時のリチャード・ニクソン大統領の「がんとの戦い」の始まりとなる1971年の国家がん法について協議するために呼び出された。1971 年 12 月に可決されたこの法律では、がん研究に 3 年間で 15 億米ドルを注ぎ込むことが求められており、これは今日の 100 億ドル以上に相当する。
この法律により、国のがん研究インフラが強化され、全国的な臨床試験ネットワークと多くの専門的ながん研究センターが設立された。しかし、ニクソン大統領ががんの迅速な治療法を見つけることに重点を置いているのは当初から甘かったと批判された。一部の研究者は、がんは複雑な病気であり、進歩は単一の決定的な治療法ではなく、苦労して勝ち取った小さな一歩によって達成される可能性が高いと警告している。その予想も当たった。
国家がん法が制定されてから半世紀が経った今でも、がんは米国の死亡原因の第 2 位のままである。この法律は、「がん」という病気の根底にある生物学の理解を深めることに大きな進歩をもたらした。しかし、がん研究は依然として課題に直面しており、そのすべてが科学的なものではない。がん治療法の多くは個人や医療制度にとって高額すぎる。米国では、がん患者の42%が診断後2年以内に深刻な経済的問題を経験しており、多くの国では免疫療法などの革新的ながん治療法は大多数の患者にとって手の届かないところにある。
この法律が可決されたとき、研究者らはがん細胞のゲノムが混沌として不安定であることをすでに知っていた。がん細胞遺伝学者のピーター・ノーウェル(Peter Nowell)は、そのような遺伝的多様性により、治療法を見つける作業が非常に難しく、より複雑になることに1976 年までに気づいていた。
今日、がんは1つではなく、さまざまな病気であることが知られている。その複雑さは気が遠くなるようなものであり、これががんの治療が非常に難しい理由の 1 つである。大規模なDNA配列決定プロジェクトにより、がんの種類が多くのサブタイプに分類でき、さらに個々の腫瘍が独自の細胞特性を持っていることが明らかになった。さらに、この細胞特性の特徴は、がんが進行するにつれ、さらに治療に反応するにつれて変化する。
このEditorialは、国家がん法の制定後の50年間で、がんの根底にある生物学についての理解を大きく前進させたが、治療成績はそれほど上がっていないことを言及しています。
1971年当時のがん治癒率は50%程度であったが、それが65%程度になったのは50年間の成果というには小さすぎると多くのがん研究者は感じています。
私は1978年に大学を卒業して、初めは外科医としてがん治療に従事しました。その頃、21世紀になったらがん治療は外科医の手から離れると言われていました。つまり、21世紀になれば、がんは薬で治すことができるようになるという楽観論が主流でした。
しかし、50年近くたっても、その当時と状況はほとんど変わっていません。このEditorialでも、『いまだにがん治療の主役は外科医であり、その次が放射線科医である。免疫学者と遺伝学者が主役になるという未来が実現するのはかなり先のようである。』と記述しています。現在、免疫療法や遺伝子治療も行われていますが、がん治療の主役になるほどの成果をあげていません。
その理由は、がん細胞が極めて複雑であることと、治療に対して抵抗性を獲得するという特性によるものと考えられています。
【抗がん剤の結果に「ぬか喜び」することが多い理由】
抗がん剤を投与してがん細胞が死滅し、がん組織が縮小すると、患者も医者も「抗がん剤の効果」を実感し、喜びます。そのままがんが縮小し消滅してくれることを予想しますが、多くはその期待を裏切られます。
しばらくすると、抗がん剤が効かないがん細胞が増え出し、場合によっては初めの時より、がん細胞の増殖が速くなり、抗がん剤に対する抵抗性が高くなり、悪性度が強まって浸潤や転移が促進されることもあります。(下図)
図:がん組織が大きくなると、ある時点で生命力の限界が来て死に至る(①)。がんが小さいときは手術で切除することによって「根治」できる(②)。抗がん剤治療では、「完全奏功」すれば治癒も期待できる(③)。しかし多くの場合、腫瘍が一時的に縮小(部分奏功)しても、抗がん剤に耐性を獲得し、がんの再燃が起こる(④)。腫瘍が一時的に縮小しても延命につながるとは限らない。抗がん剤治療の副作用で死ぬことも多い(⑤)。抗がん剤治療が初めから効かない場合も多い。
つまり、進行がんの抗がん剤治療の場合、腫瘍の縮小(奏功率)と延命効果(生存期間の延長)が必ずしもつながらないという事実と、抗がん剤の強い副作用という欠点が現在のがん治療の最大の問題点となっています。
この抗がん剤治療の限界と欠点は50年以上前から指摘されていますが、50年以上前から使用されている抗がん剤がいまだに現在の抗がん剤治療に主役として使用されていることから、何の進歩もないことが明らかです。
「ぬか喜び」という言葉があります。「ぬか喜び」とは、一時的に良いことがあったと喜んだものの、それが長続きせず、結局は元の状態に戻ったり、喜ぶべきことではなかったと気付くことを指します。「ぬか(糠=米の外皮)に喜ぶ」で、糠は通常、米の価値ある部分ではないので、それを喜ぶことは本質的な価値を見誤ることを意味します。この言葉は、一時的な成功や良い状態に過度に喜ぶことの無益さや、結果が予想と異なる時の失望感を表現するのに使われます。
抗がん剤治療も「ぬか喜び」で終わることが多いことを実感しています。その理由の一つは、抗がん剤開発の試験では、短期間の抗がん作用の結果でしか判断していないためです。抗がん剤を投与する実験で、2週間から1ヶ月くらいがんが縮小したままでも、しばらくすると、より強くなったがん細胞が出現することが多いという事実を無視しているので、延命効果の無い抗がん剤が承認され使用されていると言えます。
固形がんの場合、抗がん剤投与でがんが見えなくなっても、がん細胞が全滅しているとは限りません。生き残ったがん細胞はダメージを受けているので、すぐに増殖を開始できません。しかし、数週間や数ヶ月、場合によっては数年間の休眠期間を経て、再増殖しだすことが指摘されています。
抗がん剤のスクリーニングでは、培養細胞の増殖抑制を数日から2週間程度観察するだけで効果を判定します。動物実験や臨床試験でも奏功率(がんの縮小率)や無増悪生存期間で評価することが多くあります。奏功率や無増悪生存期間が全生存期間と相関しないことは多くの研究で明らかになっています。
図:抗がん剤投与後にはがんは縮小するが、全滅していないと、数週間から数ヶ月、あるいは数年間の休眠期間を経て、再燃(再増殖)する。(図中の日数は一つの例であり、全てがこのような日数で推移するわけではない)
このようながん治療後の再燃に、巨大がん細胞の関与が明らかになっています。抗がん剤や放射線によるがん細胞への細胞毒的な強いストレスが多倍体/多核の巨大細胞の発生を誘発し、この多倍体巨大がん細胞が治療抵抗性の腫瘍に変化することが明らかになっています。
【加齢とともに体内に老化細胞とがん細胞が増えていく】
私たちの体は正常な機能を維持するために、多数の細胞がお互いに制御しあっています。このような正常な細胞の集まりの中で、加齢とともに異常な細胞が出現してきます。一つはがん細胞で、もう一つは老化細胞です。
老化細胞とがん細胞の発生要因としては、遺伝子異常の蓄積、酸化ストレス、オートファジーの阻害、mTORC1活性亢進、インスリン/インスリン様成長因子-1(IGF-1)シグナル伝達系の亢進などがあり、その多くは細胞の老化とがん化で共通しています。
がん細胞は、増殖と細胞死の正常な制御ができなくなって、正常細胞や正常組織を侵略するように数を増やしていきます。がん細胞が多く増えると、宿主は死亡します。
老化細胞は、増殖を停止した細胞です。細胞老化はがん細胞の発生・増殖を防ぐためのメカニズム(がん抑制機構)と考えられています。細胞老化に伴う細胞周期の停止はがん抑制遺伝子が関与しています。つまり、ダメージを受けた細胞のがん化を防ぐメカニズムの一つが細胞老化という考えです。従って、細胞の老化とがん化の原因が共通することが理解できます。(下図)
図:遺伝子異常の蓄積、酸化ストレス、オートファジー阻害、mTORC1活性化、インスリン/インスリン様成長因子-1(IGF-1)シグナル伝達系の亢進など様々な原因によって、細胞の老化とがん化が起こる。細胞老化は増殖を停止した細胞で、がん細胞の発生や増殖を阻止するためのメカニズム(がん抑制機構)の一つと考えられている。
老化した細胞は、周りの正常細胞や組織に悪影響を与えないかのように思われますが、実際は、老化細胞が組織に蓄積すると、様々な悪影響を及ぼします。
すなわち、老化細胞はサイトカイン、成長因子、ケモカイン、プロテアーゼなどの多くの成分を分泌しています。これらの因子は老化関連分泌表現型(senescence-associated secretory phenotype :SASP)と呼ばれ、老化細胞の周囲の組織に炎症や機能障害を引き起こす可能性があります。つまり、老化細胞が蓄積すると老化関連分泌表現型(SASP)の産生によって、その組織の機能が傷害されるのです。
図:加齢とともに、正常組織の中に老化細胞が蓄積する。老化細胞は増殖を停止しているが、老化関連分泌表現型(senescence-associated secretory phenotype :SASP)と呼ばれる様々な因子(サイトカイン、成長因子、ケモカイン、プロテアーゼなど)を産生して、周りの正常細胞や組織の機能を障害する。
【老化細胞はがん細胞の増殖を促進する】
細胞老化というメカニズムが存在するのは「細胞のがん化を防ぐため」という考えは、理論的には説得力があるように思われます。しかし逆に、老化細胞が分泌する老化関連分泌表現型(SASP)と呼ばれる様々な因子(サイトカイン、成長因子、ケモカイン、プロテアーゼなど)が、がん細胞の増殖・浸潤・転移を促進するという意見もあります。
最近は「老化細胞には増殖能力がないが、腫瘍形成を悪化させる」というエビデンスが多く報告されています。(下図)
図:老化細胞は増殖を停止しているが、老化関連分泌表現型(senescence-associated secretory phenotype :SASP)と呼ばれる様々な因子(サイトカイン、成長因子、ケモカイン、プロテアーゼなど)を産生して、がん細胞の増殖・浸潤・転移を促進する。
老化細胞は増殖能を喪失していますが、生存可能で代謝的に活性なままであり、サイトカイン、成長因子、ケモカイン、プロテアーゼ、およびその他の多くの因子を分泌し、がん細胞の増殖や生存に影響することが明らかになっています。
がん細胞が抗がん剤や放射線照射でダメージを受けると、巨細胞を形成し、この巨細胞は老化細胞の特性を持ち、老化関連分泌表現型(SASP)と呼ばれる様々な因子(サイトカイン、成長因子、ケモカイン、プロテアーゼなど)を産生して、がん細胞の増殖・浸潤・転移を可能性が指摘されています。
【通常のヒト体細胞は46個(23対)の染色体を持つ】
ヒトでは体細胞は2nの染色体数、すなわち46個の染色体(23対)を持っています。これを二倍体(diploid)と言います。
これに対して、ヒトの精子や卵子は半倍体(ハプロイド)であり、23の染色体しか持っていません。このハプロイドと2n(二倍体)のサイクルは、生物の生殖と遺伝情報の伝達において重要な役割を果たしています。
すなわち、半倍体(ハプロイド)の精子と卵子が融合すると、受精卵は2nの染色体数を持ち、新しい個体の染色体セットが形成されます。体細胞は2nの染色体を持ちます。(下図)
図:真核生物の有性生殖の際に2つの一倍体性細胞(精子と卵子)の融合によって形成される受精卵は二倍体細胞となり、ヒトの場合は23対(46個)の染色体を持つ。
Ploidy(多倍性)は、細胞や生物体が持つ染色体セットの数を示す用語です。以下のような用語が使われます。
1)Haploid (n): ハプロイド(Haploid)は1セットの染色体を持つ細胞を指します。多くの生物の生殖細胞(精子や卵子)はハプロイドです。
2)Diploid (2n): ディプロイド(Diploid)は2セットの染色体を持つ細胞を指します。多くの動植物の体細胞はディプロイドです。ヒトの場合、体細胞はディプロイドであり、46個(23対)の染色体を持っています。
3)Triploid (3n): 3セットの染色体を持つ細胞や生物体。自然界や農業においては、一部の植物がトリプロイドです。
4)Tetraploid (4n): 4セットの染色体を持つ細胞や生物体。特定の植物や動物がテトラプロイドの形を取ることがあります。
多倍性は、進化、種の形成、農業の品種改良などの多くの生物学的プロセスに関連しています。
通常、体細胞は1対(2個)の染色体を持つのは、その生物が二倍体(diploid)であるためです。多くの動植物は、その遺伝情報の一部として2つの染色体セットを持っています。これは、それぞれの親から1セットずつ遺伝されるためです。母からの1セットと父からの1セットを持っています。
二倍体の生物の細胞には以下のような特徴や利点があります:
- 遺伝的多様性: 性的生殖を通じて遺伝子がシャッフルされることで、子孫に多様性が生じる。これにより、環境変化に対する適応能力が上がる。
- 遺伝的バッファ: 2つのコピーを持つことで、片方の遺伝子に変異や損傷が発生しても、もう1つの健全なコピーがその機能を果たすことができる。
- 複雑な遺伝的調節: 二倍体の生物は、遺伝子の発現の調節が単純体の生物よりも複雑で、これが多様な形質や応答を生み出す可能性がある。
細胞が1対の染色体を持つのは、二倍体の生物としての遺伝的な特性と進化的な利点に起因しています。
【がん細胞が遺伝子毒性の強いストレスを受けると多倍体巨大がん細胞になる】
がん組織を顕微鏡で観察すると、多数の核を持ったり、大きな核をもった巨細胞が見つかります。この多倍体巨大がん細胞の存在は、病理学的には古くから知られています。
多倍体巨大がん細胞(Polyploid giant cancer cells:PGCCs) は、特異的な形態を持ち、複数の核を含む大きながん細胞を指します。これらの細胞は多数の染色体を持つため、ポリプロイド(多倍体)という用語が使われます。PGCCsは、さまざまな固形腫瘍において同定されており、腫瘍の進行、治療抵抗性、および再発と関連していることが示唆されています。
PGCCsの形成は、細胞周期の異常、細胞分裂の異常、またはエンドレプリケーション(DNA複製が起こるが、細胞分裂が伴わない現象)に関連しています。これらの細胞は、そのサイズと核の数から容易に顕微鏡で識別できます。(下図)
図:悪性固形腫瘍における多倍体巨大がん細胞のいくつかの例。肺の扁平上皮がん (A); 再発性前立腺がん(B); 肝細胞がん (C); 皮膚の悪性黒色腫 (茶色の染色を示すメラニン顆粒) (D); ホジキンリンパ腫 (E); 軟部組織の線維肉腫 (F)。黒い矢印が多核倍数性巨細胞。三角形: 単核倍数性巨細胞。*: 異常な有糸分裂状態。(出典:Semin Cancer Biol. 2022 Jun; 81: 54-63. のFig3)
抗がん剤治療や放射線照射を行うと、がん組織に多倍体巨大がん細胞が増えることが知られています。以下の写真は、高悪性度卵巣漿液性がんにおける化学療法後の単核または多核巨大がん細胞の組織像です。
図:高悪性度卵巣漿液性癌における化学療法後の単核または多核巨大癌細胞の組織像。
(A,B)単核巨大がん細胞。 (C,D) 単核巨大がん細胞は部分的に切断された巨大核を形成する。 (E,F)巨大核は細胞質分裂を行わずに核分裂を完了し、ヒトの初期胚発生の桑実胚に似たロゼット状の多核巨細胞を形成する。(出典:Curr Cancer Drug Targets. 2019;19(5):360-367.)
このような多核の巨細胞は有糸分裂の異常によって正常な細胞分裂ができなかったために発生し、細胞分裂能を喪失し、いずれ死滅する細胞と最近まで考えられていました。したがって、多倍体巨大がん細胞の出現は、がん治療においては何の意味も持たないと長い間考えられていました。
しかし、多倍体巨大がん細胞が、老化細胞と同様に、サイトカイン、成長因子、ケモカイン、プロテアーゼなどの多くの成分(老化関連分泌表現型:SASP)を産生し、他のがん細胞の増殖や転移を促進する可能性が報告されるようになりました。
さらに、多倍体巨大がん細胞が脱倍数化と核出芽の機序によって、細胞増殖可能ながん細胞を産生することが明らかになりました。
【多倍体巨大がん細胞からがん治療抵抗性のがん細胞が産生される】
抗がん剤投与や放射線照射のような遺伝子毒性の強いストレスに応答して、巨大がん細胞が出現し、この巨大がん細胞が腫瘍の再増殖に寄与することが報告されています。以下のような報告があります。
Tumor cells can escape DNA-damaging cisplatin through DNA endoreduplication and reversible polyploidy(腫瘍細胞は、DNA 内部倍加と可逆倍数性を通じて DNA 損傷シスプラチンから逃れることができる)Cell Biol Int. 2008 Sep;32(9):1031-43.
【要旨の抜粋】
がん化学療法は腫瘍の退縮を誘導するが、多くの場合、長期的には再発を引き起こす。腫瘍を有する動物がシスプラチンで治療されると、腫瘍は最初に劇的な縮小を起こし、増殖しないが DNA 合成能を維持する巨大な腫瘍細胞が出現する。数週間の潜伏期間の後、腫瘍は進行を再開し、小さな増殖細胞で構成される。
同様に、腫瘍細胞がインビトロで薬理学的濃度のシスプラチンに曝露されると、有糸分裂活動は最初に停止するが、細胞は DNA複製能を維持する。 この DNA 内部倍加により巨大な倍数体細胞が生成され、その後、有糸分裂が開始され、有糸分裂の破局により死滅する可能性がある。
しかし、多くの倍数体細胞は、非増殖の単核または多核巨細胞として数週間生存し、老化表現型を獲得する。これらの細胞を長期間観察すると、巨大がん細胞に由来するコロニーが遅れて出現する。これらのコロニーは小さな二倍体細胞で構成されており、定型的な染色体異常と細胞毒性薬に対する耐性の増加によって親細胞とは異なっている。
これらのデータは、DNA核内倍増、倍数性、その後の脱倍数化、クローン原性逃避細胞の生成などの多段階経路が、最初の効果的な化学療法後の腫瘍再発の原因となる可能性があることを示唆している。
この実験では、大腸がん細胞を移植したラットを使用しています。以下のような結果が報告されています。
1)最大耐用量のシスプラチンを動物に腹腔内注射すると、腫瘍の進行が大幅に遅延しましたが、腫瘍の除去には至りませんでした。
2)腫瘍は徐々に 50mm3未満まで縮小し、シスプラチン治療後約 10 日から約 40 日の間は休止状態を維持しました。
3)組織学的レベルでは、シスプラチン治療から 10 日後に、腫瘍には非増殖倍数体/多核巨細胞が大量に存在していました。これらの細胞はDNA複製能を有していました。これらの腫瘍の細胞の平均核表面積(約397 mm2)は、未治療の対照ラットの腫瘍細胞の平均核表面積(約 43 mm2)よりも約 10 倍高かった。
4)腫瘍の再増殖はシスプラチン治療後約 35 日で始まり、倍数体/多核巨細胞に由来する少数の小さな二倍体急速増殖細胞によって促進されました。
5)これらの小細胞(巨細胞由来)をラットに注射すると、生じた腫瘍はシスプラチン療法に抵抗性でした。
シスプラチン治療により、初期腫瘍は縮小し、治療後最大 35 日間は休止状態になりますが、倍数体/多核巨細胞の生成も引き起こされ、この巨大がん細胞から、脱倍数化と核出芽のメカニズムで2倍体のがん細胞が放出されて再増殖します。この再増殖した巨大がん細胞由来の子孫細胞は、がん幹細胞の性質を有し、がん治療に抵抗性になって再増殖するということです。(下図)
図:大腸がんを移植したラットにシスプラチンを投与すると(①)、多くのがん細胞は死滅してがん組織は縮小する(②)。しかし、一部のがん細胞は多倍体あるいは多核の巨大がん細胞になる(③)。この巨大がん細胞は増殖能を喪失しているが、脱倍数化と核出芽(④)によって増殖活性を持ったがん細胞(娘細胞)を産出する(⑤)。この巨大がん細胞由来の娘がん細胞はがん幹細胞の性質をもち、抗がん剤や放射線照射などのがん治療に抵抗性を持った腫瘍に変化する(⑥)。(出典:Cell Biol Int. 2008 Sep;32(9):1031-43.)
上記の論文は2008年に発表されていますが、それ以来、他のグループからも、倍数体/多核巨大癌細胞が脱倍数化/核出芽を介して in vivo で腫瘍の再増殖を開始する可能性があり、細胞毒性療法に耐性があることが確認されています。
巨細胞の数は、疾患段階および腫瘍のグレードが増加するにつれて増加します。さらに、抗がん剤や放射線照射などの遺伝子毒性の強いストレスで巨大がん細胞は増えます。
多核巨細胞は、ヌードマウスにおいて腫瘍形成能を有することが報告されています。それらはネオシス(neosis)を通じて異数性単核細胞を生成し、これががん細胞における化学療法抵抗性だけでなく腫瘍の再発にも役割を果たしている可能性が指摘されています。
つまり、「抗がん剤や放射線治療でがん細胞がモンスターになる」ということです。
図:抗がん剤や放射線照射などの遺伝子毒性の強いストレスによってがん細胞は死滅するが、一部のがん細胞は多倍体の巨大がん細胞を形成する。この巨細胞から脱倍数化と核出芽によって娘がん細胞が産生される。このがん細胞はがん幹細胞の性質を獲得し、がん治療に抵抗性の腫瘍を形成する。
【巨大がん細胞とその子孫は従来の前臨床アッセイでは考慮されていない】
多倍体がん巨細胞 (Polyploid giant cancer cell, PGCC) は巨大な細胞質と 4 倍体を 超えるゲノム DNA を収納した核を有し、2 倍体のがん細胞と比べて、抗がん剤・放射線抵抗性と高浸潤能を示すこと、有糸分裂は行わないものの出芽様の分裂を行いがん幹細胞様の細胞を産生する、といった難治療性といえる特徴を併せ持ちます。
多倍体がん巨細胞が多いがん患者は 予後が悪いことが報告されており、治療標的として極めて重要な細胞と考えられています。しかし、 PGCC がその細胞機能を維持する分子機構の詳細は不明であり、PGCC を標的とした創薬開発は全く進んでいません。
倍数体/多核巨細胞の子孫は、遺伝毒性傷害から数週間後まで発生しない可能性があります。具体的には、倍数体/多核巨細胞は、抗がん治療後約 3 日以内に出現します。脱倍数体化/核出芽プロセスはその後いつでも開始できますが、安定した急速に増殖する娘細胞集団が出現するまでには数週間 から数か月かかると考えられています。
したがって、そのような細胞は、放射線感受性/化学感受性評価のゴールドスタンダードと考えられている2週間程度のコロニー形成アッセイなど、広く使用されている細胞ベースのアッセイでは検出できません。
動物モデルや臨床サンプルを用いた研究では、ほとんどの固形腫瘍には、高度に肥大化した核または複数の核を持つ巨細胞が少量含まれていることが実証されています。巨細胞は増殖を停止することが多いですが、転移を伴い、抗がん剤治療に耐性を示します。巨細胞の割合は、遺伝毒性ストレスに応答して著しく増加する可能性があります。このような細胞は休眠状態(増殖停止)に入り、その間に脱倍数化および/または核出芽を起こし、腫瘍に再増殖する幹細胞様の子孫を生じます。巨大細胞は細胞の幹細胞性を促進することもできます。
巨細胞は、増殖が停止するため、広く使用されている前臨床放射線感受性/化学感受性アッセイ (例、in vitro コロニー形成、in vivo 腫瘍増殖遅延) では「死滅」とスコア付けされることがよくあります。同様に、巨細胞の子孫は、治療後数週間から数カ月後に出現するという理由だけで、このようなアッセイでは考慮されない可能性があります。
つまり、抗がん剤や放射線照射が、治療抵抗性のより強いがん細胞に変化させることと、抗がん剤開発における現在のアッセイ系では、遅延して起こるがん再増殖の可能性を無視していることが、「抗がん剤治療が失敗する理由」の一つを言えます。
新刊紹介
抗がん剤治療が失敗する理由を解説し、その原因に対処する補完医療についても解説しています。さらに、抗がん剤治療の止め時を適切に判断し、終末期における「生活の質」と「死の質」の両方を良くすることの大切さを解説しました。死を早める可能性もある「無駄な抗がん剤治療」を避けるためには、医師の言いなりにならずに、患者自身が正しい知識を得て、もっと考える必要があると思います。
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