112)手術後の転移巣増大を阻止する漢方治療

図:原発巣の大きながん組織を切除すると、他の臓器にすでに転移していたがん組織(転移巣)の増大が促進されることが知られている。手術後に起こる転移巣の増大を抑えることが再発予防において重要であり、手術前後の漢方治療においても、そのメカニズムを理解して漢方薬の処方内容を考える必要がある。

112)手術後の転移巣増大を阻止する漢方治療

【原発巣の切除や手術侵襲が転移巣の増大を促進する】
がんができた元の場所を原発巣といいます。がん細胞は原発巣から血液やリンパ液の流れに乗って別の場所にもがん細胞の塊を形成しながら全身に広がる性質を持っており、これを転移といいます。転移によって他の場所にできたがん細胞の集まりを転移巣といいます。
がんの原発巣を切除した数年後に肝臓や肺など他の臓器に新たに転移が見つかった場合、これらの転移は手術した時点ですでに存在していたと考えるのが妥当です。最初の手術の時点では目に見えない大きさだった微小転移が、数年後に目に見える大きさに増殖したということです。
原発巣を切除することはがん治療の基本であり、原発巣を切除すれば新たな転移の成立を無くすことができます。しかし、
他の臓器にすでに存在している微小転移巣が、手術をきっかけに増大が促進されるというデメリットが古くから知られています。   
その理由の一つとして、原発巣の大きながん組織が他の部位の小さな転移巣の増殖を抑えているメカニズムが提唱されています。原発の腫瘍から血管新生や細胞の増殖を抑える物質が産生されていて、それらが微小転移巣の増大を抑えているということです。したがって、原発のがん組織が切除されると、転移巣の増殖を抑えていた物質が無くなって、増殖が促進されることになります。
さらに、手術によって体力や免疫力が低下すると、残っていたがん細胞の増殖が促進される可能性があります。がん細胞を殺すナチュラルキラー細胞などの免疫細胞の働きの低下はがん細胞の増殖を許すことになるからです。
さらにもっと重要なことは、手術後の創傷治癒過程で産生される
炎症性サイトカイン増殖因子などの作用によってがん組織の血管新生や細胞増殖が促進される可能性があることです。
手術によって損傷を受けた組織を修復するためにマクロファージや好中球などの炎症細胞が活性化され、さらに線維芽細胞などの結合組織の増殖が刺激されます。この炎症反応や創傷治癒過程では、血管新生を刺激する
血管内皮細胞増殖因子(VEGF)や様々な細胞増殖因子炎症性サイトカイン(炎症細胞の増殖を制御する蛋白質)の産生が高まります。これらは創傷治癒に必要ですが、がん細胞の増殖を促進する働きも持っています。
つまり、手術侵襲が大きいほどVEGFや増殖因子や炎症性サイトカインが増える結果、転移巣のがん細胞の増殖が促進される可能性が指摘されています
微小転移巣のがん細胞は絶えず細胞分裂しているのではなく、細胞分裂を休止して何年間も休眠状態になっている場合も多いことが知られています。また、がん細胞は細胞分裂して増える一方、アポトーシスという細胞死が起こっています。がん細胞の細胞分裂とアポトーシスが同じ率で起こっているがん組織は、大きさが変わらない状態が続きます。このような休眠状態や、分裂と細胞死のバランスがとれた均衡状態が、原発巣の切除手術によって破綻するために、微小転移が手術後に増大すると考えられています
最近はがんの外科治療は縮小手術が行われる傾向にあります。その理由は、がん組織を徹底的に切除する目的で広範囲の切除手術を行っても、生存率が向上しないことが明らかになったからです。むしろ、手術侵襲(手術による生体のダメージ)が大きいほど再発率が高くなることも報告されており、その理由として、手術によるダメージが大きいほど微小転移の増殖が促進されるからです

【再発予防は手術前から準備することが大切】
がん細胞はそれぞれが勝手に増殖しているのではなく、宿主の体内で一つの組織として影響し合ったり、均衡を保つような機序が働いていると考えられています。原発巣を切除すると他の部位の転移巣の増大が促進される現象は、がん組織を切除することが良いことばかりではないことを示唆しています。
夏に手術を受けた人は冬に手術を受けた人より再発率が低いというデータがあります。これは体内の
ビタミンDにがん予防効果があり、日光による体内でのビタミンDの産生が高まる夏に手術を受けると再発が起こりにくいためと考えられています。
また、乳がんの手術は、月経周期の卵胞期(排卵前)より黄体期(排卵後)に行った方が再発率が低いことが複数の研究で明らかになっています。黄体期ではプロゲステロンの分泌量が多くなり、エストロゲンによる乳がん細胞の増殖促進を抑えるためと考えられています。
このように、
手術した時点での体の状態(体内のビタミンD量やホルモン環境など)が数年後の再発率や生存期間に影響する事実は、手術をきっかけにおこる微小転移の増大の重要性を示唆しています
がんという病気は比較的早期から
全身病という観点から治療を行うことが重要であり、手術前から栄養素の不足を是正して体調を良くし、免疫力や治癒力を高めることが再発予防に大切です
さらに必要に応じて、
血管新生阻害抗炎症作用を目的にした治療を併用することは、再発予防に効果が期待できる可能性があります。このような目的において、標準治療の他に、漢方治療も有効です。

【術後補助療法における漢方治療の役割】
手術後の補助療法として、
抗がん剤血管新生阻害剤や、がん細胞の増殖を抑える分子標的剤などが使用されるのは、手術後に残った微小転移巣のがん細胞の増殖を抑えるためです。これらの補助療法で残ったがん細胞が消滅することは少ないのですが、再発率を低下させる効果は認められています。
進行がんで微小転移のリスクが高いときには、手術前に抗がん剤治療が行われることがあります。通常の抗がん剤は細胞分裂を行っているがん細胞を殺すことはできますが、細胞分裂を行っていない休眠状態にあるがん細胞を殺すことはできません。しかし、抗がん剤治療によって増殖活性の高いがん細胞を手術前に減らしておくことは、手術をきっかけに起こる微小転移の増大を抑える効果が期待できます。 
血管新生阻害剤は手術の縫合部の治りを妨げるので手術直後に使うことはできませんが、創部が治ってから使用すると微小転移の増大を防ぐ効果が期待できます。休眠状態の微小転移巣は、手術後に血管新生が活発になるために増殖が刺激されることが報告されています。
炎症を抑える抗炎症剤は痛め止めとしても使用されますが、血管新生や炎症性サイトカインの産生を抑えて、再発予防効果が期待できます。動物実験のレベルですが、炎症反応で産生されるプロスタグランジンの産生を阻害する非ステロイド性抗炎症剤を手術前後に使用すると、がんの転移が抑制されることが報告されています。
ナチュラルキラー細胞活性などの免疫力を手術前から高めておくことは、手術後の再発を抑える効果が期待できます。いくつかのがんでは、
活性化リンパ球療法などの免疫療法の再発予防効果が報告されています。
手術前後の漢方治療は、栄養状態や体力や免疫力を高め、ダメージを受けた組織の修復力を高め、合併症を防ぐことが目標になります。
このため、補気・補血・駆瘀血薬を中心とした漢方薬が主体になります。
さらに、手術直後の炎症性サイトカインや増殖因子や血管新生を促進する因子の産生を抑えるような、
清熱解毒薬抗がん生薬を多く使うことも有効です。
つまり、
手術前は補気・補血・駆瘀血薬を中心として回復力を高める準備を行い、手術直後から数ヶ月間は、さらに清熱解毒薬や抗がん生薬も加えて、手術後に増殖が刺激される微小転移の増殖を抑えることが大切です微小転移巣を休眠状態に維持しながら、免疫力を高めて、がんを消滅させることを目指すのが、漢方治療によるが再発予防の基本戦略になります

(文責:福田一典)

 

 

(詳しくはこちらへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 111)漢方薬が... 113)開腹手術... »