がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
704)精神的ストレスの軽減をターゲットにしたがん治療(その1):心理療法
図:がんの診断や治療はがん患者に様々なストレスを引き起こす(①)。ストレスによって、神経系(視床下部-脳下垂体系や自律神経系)や内分泌系(副腎)や免疫系が相互に作用して様々なストレス応答を引き起こす(②)。ストレス応答の結果、副腎皮質ホルモンやアドレナリンの分泌が増え、交感神経が過緊張状態になり、炎症性サイトカインの産生が増える(③)。その結果、免疫力の低下、諸臓器機能の失調・低下、がん細胞の増殖促進、睡眠障害や抑うつなどの生活の質(QOL)の悪化が引き起こされる(④)。精神的サポートや認知行動療法などの心理療法は精神的ストレスを軽減することによって、がん患者の症状改善や生存率向上に役立つ(⑤)。
704)精神的ストレスの軽減をターゲットにしたがん治療(その1):心理療法
【がん検診で心疾患や自殺が増える】
がんと診断されることは、多くの人にとって極めて大きなストレスとなります。
がんと診断されたショックが心筋梗塞の引き金になったり、自殺を増やすことが報告されています。以下のような報告があります。
Immediate risk of suicide and cardiovascular death after a prostate cancer diagnosis: cohort study in the United States.(前立腺がん診断後の自殺と心血管疾患の直接的リスク:アメリカ合衆国におけるコホート研究)J Natl Cancer Inst. 2010 Mar 3;102(5):307-14.
【要旨】
背景:がんの診断を受けることは強いストレスとなり、特に診断後早期に自殺や心血管疾患による死亡のリスクを高める可能性がある。
方法:SEER(サーベイランス、疫学および最終結果)プログラムにおける1979年1月1日から2004年12月31日まで前立腺がんの診断を受けた342,497人のコホート研究を行った。前立腺がんの診断がついた日から12ヶ月間の追跡を行った。
自殺率と心血管死亡率の相対的なリスクは、一般的な米国男性をコントロールにして、年齢、暦年数、居住状態を調整して比較した標準化死亡率として算出した。
前立腺がんの診断後、最初の1年と月レベルでのリスクを比較した。診断のカレンダー時期、腫瘍特性、およびその他の変数でさらに層別化された。
結果:追跡期間中、148人が自殺で死亡し(死亡率は1000 person-year当たり0.5)、6845人が心血管疾患で死亡した(死亡率は1000 person-year当たり21.8)
前立腺がん患者は最初の1年間での自殺のリスクは高く(標準化死亡率=1.4, 95%信頼区間; 1,2から1.6)、特に最初の3ヶ月間でより高かった(標準化死亡率=1.9, 95%信頼区間;1.4から2.6)。
自殺リスクの上昇は、PSA検査が始まる前(1979-1986)とPSA検査が行われだしたころ(1987-1992)で明らかであったが、PSA検診が広まった期間(1993-2004)では明らかでなかった。
心血管疾患による死亡リスクは、診断後最初の1年で軽度上昇(標準化死亡率=1.09、95%信頼区間;1.06-1.12)し、最初の1ヶ月で最大のリスク上昇(標準化死亡率=2.05, 95%信頼区間;1.89 – 2.22)を認めた。
最初の1ヶ月間の心血管死のリスク上昇は全ての期間で統計的有意に上昇し、局所に限局した前立腺がん患者(標準化死亡率=1.57, 95%信頼区間:1.42-1.74)に比べて、転移のある患者(標準化死亡率=3.22, 95%信頼区間:2.68-3.84)で高いリスク上昇を認めた。
結論:前立腺がんの診断後、自殺と心血管疾患による死亡のリスクが高くなる可能性がある。
前立腺がんと診断されると、診断後1ヶ月間の心血管疾患による死亡が増え、それは調査が行われた全期間で認められたという結果です。
この研究ではPSAが検診に導入されてからは自殺の増加は認めなかったと報告されています。他の報告ではPSA検診でも自殺が増えるという報告があり、今回の結果はそれまでの結果と異なります。
この点に関して、この論文では、PSA検診で増殖活性の低い前立腺がんが多く発見されるようになり、前立腺がん患者が増えているので、患者のサポートが改善されている可能性を指摘しています。
「検診で見つかった前立腺がんの多くは増殖しない」というような説明を十分に受ければ、ショックやストレスは軽減するのかもしれません。
また、配偶者がいる場合は、配偶者がいない場合に比べて、自殺や心血管疾患での死が少ないことが指摘されています。がんの診断直後に精神的にサポートしてくれる身内がいるかいないかで、自殺や心血管疾患による死亡が影響を受けることを意味しています。
がん診断に関連した自殺や心血管疾患による死亡は、がんの診断を受けて比較的早い時期に起こります。以下のような報告があります。
Suicide and Cardiovascular Death after a Cancer Diagnosis(がん診断後の自殺と心血管疾患死)N Engl J Med 2012; 366:1310-1318
スウェーデンにおける約600万人を対象にしたコホート研究での結果です。
がんと診断された患者の最初の1週間の間の自殺率は、がんの無いコントロール群に比べて12.6倍(95%信頼区間:8.6 - 17.8)で、最初の1年間の自殺率は3.1倍(95%信頼区間:2.7 - 3,5)でした。
心血管疾患による死亡率は、最初の1週間が5.6倍(95%信頼区間:5.2 - 5.9)、最初の4週間が3.3倍(95%信頼区間:3.1 - 3.4)でした。
時間の経過とともに、自殺率も心血管疾患の死亡率も減るということは、精神的ショックによるストレスの寄与が大きいことが考えられます。
つまり、がんの診断や治療による精神的ストレスが免疫力低下によるがん死亡を増やすだけでなく、がんの診断を受けることによる精神的ショックは、自殺や心筋梗塞による死亡を増やしているということです。
【ストレスを溜め込みやすい性格はがんの発生や進展を促進する?】
乳がんの発生リスクを高める要因として、肥満(閉経後)、運動不足、アルコール、遺伝的素因があります。長期間エストロゲンにさらされる状態(初潮年齢が早い、閉経年齢が遅い、妊娠・出産経験がない、高齢出産、授乳歴がない、経口避妊薬の使用、閉経後のホルモン補充療法など)は乳がんの発生リスクを高めます。
乳がんの発生要因として、遺伝的素因の関与は5~10%程度と言われています。がん抑制遺伝子の一種であるBRCA1やBRCA2の遺伝子に異常があると、遺伝性の乳がんになります。自分の母親や姉妹に乳がんがあると普通よりも乳がんになる確率が数倍になります。
米国だと肥満や高エストロゲン状態(ピル使用)など乳がんの発がんリスクをもっていて乳がんになることが多いように思いますが、日本の場合、このような発がんリスクが全く無いのに乳がんになる方が半分以上のように感じます。
このような場合、発がん要因として精神的ストレスの関与が指摘されています。実際、精神的ストレスと乳がんとの関連に関しては古くから指摘され、多くの臨床研究が行われています。
古代ローマ帝国時代(約1900年前)の医学者ガレノスは「乳がんは憂鬱になりやすい女性にできやすい」というようなことを記述しています。
近年においても、性格と病気(がんや心臓病など)の関連を研究した報告は多数あります。肯定的な結果もありますが、否定的なものも多く、議論があります。もともと性格というのは評価がしにくいので、研究しにくいという事情もあります。
例えば、東北大学のグループが1990年から7年間、宮城県在住の約3万人を対象に追跡調査した研究では、がんになった人とならなかった人の間に性格による発生率の差は認められませんでした。(J Natl Cancer Inst. 95(11):799-805. 2003年)
この研究では4種類の性格: extraversion(外向性), neuroticism(神経質), psychoticism(精神病質傾向), lie(虚言癖)でがんの発生率を比較していますが、このような性格の違いとがんの発生率の間には関連がなかったという結果でした。しかし、アンケート形式の調査では性格を正確に評価できないという批判もあります。
性格とがんの発生リスクの関連や、がんの進展や予後に性格が影響するという論文は多数あります。米国カリフォルニア大学の心理学者テモショック博士は、メラノーマの患者を対象とした研究で、タイプCという性格ががんの発症や進展と関連していることを報告しています。
タイプCの性格とは以下のような性格です。
- 感情を表に出さない、怒り等の感情を過度に抑える
- 自らの感情を素直に表現できない、自分の感情に気づかない(失感情症)
- 我慢強く、控えめで、気を使い過ぎて、自己犠牲的、
- したがって、ストレスを溜め込みやすい
- そして、ストレスを十分に発散できない。
周りの人を気遣ったり、他人に献身的に応えたり、協力的で、人に譲ることも嫌がらない、権威に対しても従順、怒ることが滅多にない、などの「いい人」の性格がタイプCだそうです。
(参考図書:「いい人」はなぜガンになりやすいのか 最上悠 著、青春出版社2010年)
失感情症とがんとの関連も昔から指摘されています。
失感情症というのは、喜怒哀楽や好き嫌いの感情を素直に表現できない、あるいは感じない、心的葛藤や自分の言いたいことを上手に伝えられない、したがって、無意識に心身に大きな負担を負わせている、という状況です。
言いたい事を言えない、「ノー」と言えないような性格は大きなストレスとなって心身症やがんの原因になるということです。
また、主治医に気をつかって、セカンドオピニオンを遠慮したり、治療方針に疑問があっても主治医に聞けないような性格は、治療が手遅れになったり、ベストの治療を受けられない可能性すらあります。
外国の人に比べて、日本人はこのような性格の人が多い印象はあります。
このような性格の人ががんやその他の病気になりやすい印象もありますが、客観的なデータはありません。
しかし、ストレスを発散できずに溜め込む状況は免疫力を低下する可能性があります。免疫力の低下はがんの発生や再発や進行を促進します。
【精神的ストレスは免疫力を低下させる】
現代西洋医学は、心と体を分けることにより生命現象を科学的分析の対象とし、医学を発展させてきました。
しかし、1936年にハンス・セリエ博士がストレス学説を発表してから、西洋医学も心と体の関係を次第に認めるようになり、心が重要な因子となって体の病気を引き起こす「心身症」という病気を認めるようになりました。
ストレスとは元来、ひずみ応力を意味した力学的用語ですが、セリエ博士によって精神と身体のひずみへと拡張されました。種々の感情がどのようにして身体の機能に影響を及ぼすのか、情緒が神経系や内分泌系や免疫系に影響するメカニズムも解明されてきています。
脳の働きが免疫系の機能を左右するといった考えは1970年代までは多くの研究者から受け入れられず、免疫系は独立して機能する生体防御システムであると考えられていました。
しかし、精神(心)と神経系や免疫系の関係を研究する精神神経免疫学(Psycho-neuro-immunology)という研究領域も認知され、感情がホルモンや神経伝達物質を介して神経系に作用し、さらに免疫機能を始めとする種々の生体機能に影響することは、今や常識となっています。
ストレスは、肉体的であれ精神的であれ、適度であれば生体機能を活性化して治癒力を高めることになります。しかし、過度のストレスは逆に生体機能の異常をきたす原因となります。
体には、軽度なストレスを受けると、そのストレスを排除するために細胞内システムが活性化して、そのストレスに対する抵抗力を高めるようになるという仕組みがあります。
生物に対して通常は有害な作用を示すものが、微量であれば逆に刺激作用を示す有益な作用になるという現象で、こうした生理的刺激作用を「ホルミシス(Hormesis)」と言います。
除草剤(農薬)のパラコートは活性酸素を発生させます。線虫を様々な濃度のパラコートの入った培地で育てて、その寿命を検討した実験があります。
パラコートの濃度が極めて低い(0.005mM以下)と寿命に影響は及ぼしませんが、濃度が0.01mMから0.5mMの場合は、寿命が最大で60%くらい延長します。1mM以上だと逆に寿命は短縮します。
軽度の酸化ストレスは寿命を延ばし、高度の酸化ストレスはダメージを与えるので寿命は短縮するという結果です。
図:細胞へのストレスの刺激強度が強いと細胞にダメージを与える。しかし、軽度なストレス刺激は細胞のストレ抵抗性やダメージに対する修復能を高め、その結果寿命を延ばす。軽度なストレスによるストレス抵抗性の向上をホルミシスという。
過度のストレスが健康に及ぼす最大の悪影響は免疫力を低下させることにあります。
人間はストレスが与えられると、交感神経が刺激され、副腎皮質からはステロイドホルモンが分泌されます。副腎皮質ホルモンは抗ストレス作用があるのですが、免疫細胞のリンパ球はこのホルモンに弱く死滅していきます。またマクロファージの貪食能も低下させます。
不安や恐怖心などの精神的ストレスがあると、食欲がなくなり、不眠に陥って体調が崩れます。交感神経の緊張は消化管運動や分泌を抑制するので、このような状態が長く続くと、消化吸収機能の低下の原因となり、栄養障害から免疫力の低下の原因になります。
交感神経の過緊張は、血管を収縮させて組織の血液循環を障害し、新陳代謝や治癒力を低下させてがんが再発しやすい体質にします。
(下図)
図:精神的ストレス(①)は脳の視床下部-脳下垂体系を介して、副腎皮質からステロイドホルモンが分泌され(②)、交感神経が刺激されて過緊張状態になる(③)。不安や心配は睡眠を悪くし、交感神経緊張は消化管機能を低下し、食欲が低下する(④)。副腎皮質ホルモンは抗ストレス作用があるが、副腎皮質ホルモンは免疫細胞のリンパ球を死滅し、マクロファージの貪食能も低下させ、免疫細胞の機能は低下する(⑤)。交感神経過緊張は血管を収縮させて組織の血液循環を障害し(⑥)、消化管機能の低下や血液循環障害は、組織の新陳代謝を低下させる(⑦)。これらの総合作用によって精神的ストレスは体の免疫力や治癒力を低下する。
胸腺・脾・骨髄・リンパ節などの免疫担当器官へも自律神経が分布しています。自律神経はこれらの免疫器官の血管を支配し血流調節を司るのみならず、一部は免疫器官の実質に終わりリンパ球に直接作用して免疫反応を調節することが明らかになってきました。
例えば、脾臓のナチュラルキラー細胞(NK細胞活性)は交感神経活動によりアドレナリンβ受容体を介して低下します。このようにストレスによる交感神経の異常緊張は体の免疫力を低下させてがんに対する抵抗力も減弱させてしまうわけです。
逆に笑いや精神的な安心がNK細胞活性を高めることも良く知られています。
【精神的ストレスはがんの予後を悪くする】
ストレス関連の心理的要因ががん発生率を高め、がんの進展や予後(死亡リスク)にも悪影響を及ぼすことは多くの研究で示されています。
ストレスがナチュラルキラー細胞活性などの免疫力を低下させることが理由になっています。したがって、ストレスを溜めやすい性格は、がんの発生率を高め、がんによる死亡リスクを高める結果になると言えます。
また、抑うつ感情、不安感、絶望、社会的な孤立感という精神的要因ががんの進行を促進することも指摘されています。
ストレスと乳がんの発生リスクの関連を検討した論文のメタ解析があります。
The association between stressful life events and breast cancer risk: a meta-analysis. (ストレスに満ちた生活出来事と乳がん発生リスクの関連:メタ解析)Int J Cancer 107 (6): 1023-1029, 2004
このメタ解析では、配偶者の死が乳がんの発生リスクを高める可能性が示唆されています。
以下のような論文があります。
Do stress-related psychosocial factors contribute to cancer incidence and survival?(ストレスに関連した精神的要因はがんの発生率と生存に関与するか?)Nat Clin Pract Oncol. 5(8): 466-475, 2008
この論文は性格とがんの発生率や死亡率との関連を検討した165の論文のデータをメタ解析した総説です。ストレスに関連した心理的要因ががんの発生や進展を促進し、予後を悪くすることを報告しています。ストレスの多い生活はがんの発生率には影響しないが、がんになった場合の生存率を低下させる可能性を指摘しています。
また、ストレスを溜め込みやすい性格(stress-prone personality)やストレスにうまく対応できない性格、物事をネガティブにとらえる性格は、がんの発生率とがんによる死亡率を高めることが示されています。
以下の論文は、精神的ストレスが、交感神経や視床下部-下垂体-副腎皮質系に作用して、免疫力を低下させて、がんの発生や進展を促進する可能性を指摘しています。
Psychological aspect of cancer: From stressor to cancer progression. (がんの心理学的側面:ストレッサーからがん進展)Exp. Ther Med 1(1): 13-18, 2010年
がんの治療において、骨髄由来免疫抑制細胞(myeloid-derived suppressor cells: MDSC)の関与が注目されています。
骨髄由来免疫抑制細胞というのは、免疫抑制に関与する細胞です。腫瘍や炎症や感染症によって出現し、担がん生体では、骨髄、末梢血、腫瘍組織に広く分布し、T細胞応答を阻害する不均一な骨髄細胞群です。
乳がんを含めがん患者では、健常人に比較して末梢血中の骨髄由来免疫抑制細胞の数が多いことが報告されており、MDSCが高値を示す患者では、再発率や死亡率が高いことが報告されています。
骨髄中で造血幹細胞から生成され、健常人では末梢血の白血球の1%未満しか存在しませんが、がん患者では増えてきて、がんの量が多いほど、骨髄由来免疫抑制細胞は増える傾向にあります。がん治療によって腫瘍が無くなると骨髄由来免疫抑制細胞は減少し、再発するとまた増加してきます。
動物実験ですが、このMDSCを除去すると免疫力が高まり、がんが縮小することも報告されています。
つまり、骨髄由来免疫抑制細胞はがん患者における免疫抑制に重要な働きを行っている細胞で、この細胞を減らすことががんの免疫療法のターゲットとして検討されています。
最近1年間の精神的ストレス(家族や友人の死、離婚、友人との別れ、経済的苦境、子供や孫との不仲、泥棒や事故など)の程度が強い人は、乳がんの発生率や再発率が高く、生存期間が短いという研究報告もあり、このような生活上の精神的ストレスを長く受けている人は骨髄由来免疫抑制細胞が高く、そのために免疫力が低下し、その結果、発がん率や再発率が高くなる可能性が示唆されています。
つまり、精神的ストレスは骨髄由来免疫抑制細胞の活性を高めて、ナチュラルキラー細胞やT細胞の働きを弱めて、がん細胞の発生や進展に関与する可能性があります。
【精神的ストレスの軽減はがん患者の生存率を高める】
ストレスに関連した精神的要因とがんの予後との関係については多くの研究が行われていますが、これまでの小規模な研究では相反する結果が得られています。
例えば、アメリカのスタンフォード大学の精神科教授のデービッド・スピーゲル博士らの1989年の研究では、精神的サポートを行う心理療法が転移した乳がん患者の生存率を高めることが報告されています。
86人の進行乳がんの手術後の患者を2つのグループに分け、一つのグループは何ら心理療法を行なわず、もう一つのグループにはカウンセリングや患者同士のディスカッションなど、がんに立ち向かう態度をサポートするような心理療法を行なった結果、平均生存期間は、前者が18.9ヶ月であったのに対し、後者はその約2倍の36.6ヶ月であったと報告されています。
これは、進行がんであっても心理的なサポートによって生存率を高めることを示唆する報告として注目されました。(Lancet 2(8668):888-891, 1989)
しかし、その後スピーゲル教授自身が症例数を増やして行った再試験では、転移した乳がん患者に対して心理療法が生存率を高める結果は得られませんでした。(Cancer. 110(5):1130-1138. 2007)
その他の臨床試験でも、グループ療法や心理療法といった精神的サポートが、転移した乳がん患者の予後を改善する結果は得られていません。
しかし、転移を認めないような比較的早期の段階であれば、精神的サポートが再発率を低下させ、生存期間を延ばす効果があるようです。
ストレスとがんの予後との関係を検討した研究報告をメタ解析によって検討した論文によると、ストレスに関連した精神的要因ががんの発生率やがん診断後の生存率に影響することが示唆されています。
すなわち、ストレスの多い生活が、がん治療後の生存率を低下させることが報告されています。
ストレスを受けやすい性格や、ストレスにうまく対処できない人、物事を悲観的あるいは否定的に捉える傾向の人、生活の質が悪い状態の人では、がんの発生率も再発率も死亡率も高くなっていました。(Nat Clin Pract Oncol., 5(8): 466-475, 2008年)
精神的なサポートが乳がん患者の生存率を高める結果がランダム化試験で報告されています。
Psychologic Intervention Improves Survival for Breast Cancer Patients: A Randomized Clinical Trial(精神的介入は乳がん患者の生存率を高める:ランダム化臨床試験)Cancer. 113(12):3450-3458, 2008年
これはオハイオ州立大学などの研究グループが行ったthe Stress and Immunity Breast Cancer Project (SIBCP)という臨床試験です。
手術を受けたステージIIとIIIの乳がん患者227例を対象に、精神状態を評価するのみ(研究アシスタントや看護士による面接を6ヶ月ごとに行って精神状態や生活習慣などをアンケート調査する)の群と、精神的(心理的)介入を行った群で再発率や生存率などを比較しています。
治療(精神的介入)は8から12人の小グループに患者を分け、精神科医が行いました。その内容は、ストレスや不安を軽減する、気分を良くする、リラクセーション、倦怠感の軽減、健康的な生活の指導(低脂肪の食事、歩行や運動などの身体活動、禁煙)、術後のがん治療副作用軽減などのサポート、家族や友人などによる精神的サポートなどでした。
最初の4ヶ月は週に1回(計18回)、その後8ヶ月間は月に1回の面接による指導を1回に1.5時間実施し、計26回、39時間の指導を1年間に渡り行いました。
平均11年間(7~13年間)の追跡(最初の2年間は3ヶ月おき、それ以降は6ヶ月おきにマンモグラフィー検査と診察を定期的に行い、異常を認めた場合は精密検査を実施)を行った結果、再発の有無を確認できた212例中62例(29%)で再発が確認され、227例中54例(24%)が死亡しました。
統計的な解析によって、コントロール群(介入を行わなかったグループ)に比較して、精神的(心理的)介入を行ったグループの再発リスクは0.55、乳がんに関連した死亡リスクは0.44に低下していました。
がん関連以外の死亡も含めた全死亡のリスクも0.51に低下していました。
以上の結果から、この研究で行った心理的介入(精神的サポート)は乳がん患者の生存率を高めることが示されました。
転移しているような進行したがんの場合は、精神療法の効き目は現れにくいようですが、比較的早期で転移がない場合には、精神的サポートが再発や死亡のリスクを半分近くに減らす効果が期待できそうです。
つまり、心理療法や精神的サポート療法は、転移したがん細胞の増殖を抑えるほどの強い抗腫瘍効果は無理ですが、目に見えないレベルの小さいがんが育つのを遅らせたり阻止する程度の再発予防効果はあるようです。
精神的ストレスやネガティブな感情が、自律神経系や内分泌系や免疫系に影響して体の治癒力を低下させることは良く知られています。孤独やがんに対する不安感や恐怖心は最大の精神的ストレスであり、がんの進行を促進するため、そのような不安や恐怖や孤独感を取り除くだけでも延命効果は期待できます。
【認知行動療法による精神的ストレスの軽減はがん患者の生存率を高める】
ストレスを軽減する認知行動療法が乳がんの生存率を高めることが報告されています。
A Randomized Controlled Trial of Cognitive-Behavioral Stress Management in Breast Cancer: Survival and Recurrence at 11-year Follow-Up(乳がんにおける認知行動ストレス管理の無作為化比較試験:11年間の追跡調査での生存と再発)Breast Cancer Res Treat. 2015 Nov;154(2):319-28.
【要旨】
非転移性乳がん患者は、精神的ストレスをしばしば経験し、この精神的ストレスはがんの進行と生存に影響を与える可能性がある。
認知行動ストレス管理(Cognitive-behavioral stress management)は、精神的ストレスに対する適応力を高め、乳がん治療中および長期のフォローアップ中の苦痛やストレスを軽減する。
認知行動ストレス管理が乳がん患者の生存率と再発率に影響するか、ランダム化臨床試験において8〜15年の追跡で検討した。
1998年から2005年の間で、転移の無いステージ0からIIIbの乳がん患者240人を対象とし、手術後2〜10週間でランダムに2群に分けた。
介入群(n=120)は10週間のグループベースの認知行動ストレス管理を受け、または対照群(n=120)は一日のみの心理教育セミナーを受けた。
試験登録後8〜15年(中央値11年)の2013年に、再発および生存データが収集され、全死因死亡率、乳がん特異的死亡率、無病期間のグループ差を評価した。
対照群と比較して、認知行動ストレス管理を受けたグループは全死因死亡のリスクが低いことが判明した(HR = 0.21; 95%CI [0.05、0.93]; p = .040)。
分析を浸潤性病変のある女性に限定すると、認知行動ストレス管理が乳がん関連死亡率(p = .006)および無病期間(p = .011)に及ぼす有意な改善が明らかになった。
手術後に行われた認知行動ストレス管理の介入は、以前に確立された心理的利益に加えて、非転移性乳がん患者に長期的な臨床的利益をもたらす可能性が示された。
ただし、この調査結果は、非転移性乳がんに対する術後の心理社会的介入の身体的利益に関するエビデンスとして確定的なものではないので、結果の解釈には注意が必要である。追加の研究によって、今回の結果の再現性を確認し、メカニズムについて検討する必要がある。
様々な原因による精神的ストレスに対する個人の適応能力は、その人の性格やそれまでの人生経験や、心理学や医学の知識などの差によって大きく異なります。不安や悲しみや挫折が原因となって心身症を起こす人もいれば、どのような逆境にも挫けない精神的にタフな人もいます。
がんと診断されて、その不安でうつ病になる人や自殺する人もいます。
認知行動療法はうつ病に対する心理療法として開発され、不安障害やアルコール依存症など様々な精神疾患における効果が実証されています。
さらに、がん患者におけるストレスマネジメントにも効果が認められています。
認知行動療法的なアプローチを用いたストレスマネジメントの方法は、書籍やインターネットなどで情報が得られます。
前述のように、ストレスを溜め込みやすい性格やストレスにうまく対応できない性格、物事をネガティブにとらえる性格は、がんの発生率とがんによる死亡率を高めることが示されています。
この事実を理解しても、性格は簡単には変えられません。このような性格のがん患者さんは、専門家による認知行動療法や心理療法を受けるのも良いかもしれません。
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