163)がん幹細胞をターゲットにしたがん治療

図:通常の抗がん剤治療や放射線治療に対して、成熟したがん細胞が死滅しやすいが、がん幹細胞が抵抗性を示す。がん幹細胞が生き残れば、がんはいずれ再燃・再発する。がん幹細胞の抗がん剤感受性を高める方法や、休眠状態を維持する方法を併用すると、がんの縮小効果や再発予防効果を高めることができる

163)がん幹細胞をターゲットにしたがん治療


【組織幹細胞とは】
幹細胞(stem cell)には、個体を形成する様々な体細胞に分化する能力(万能性)をもつ幹細胞(ES細胞)と、組織固有の多分化能を有して各臓器・組織を構成する細胞の供給源となる組織幹細胞の2種類があります。
組織幹細胞は
自己複製によって幹細胞を維持すると同時に、不均等分裂により一部が自己複製のサイクルから逸脱して成熟細胞へと分化して、組織を構成する細胞を作り出しています。
例えば、大腸粘膜組織の幹細胞は陰窩の最低部、基底膜直上に存在しており、自己複製によって幹細胞を維持すると同時に、不均等分裂によって分化した粘膜上皮細胞を作り出しています。粘膜上皮細胞に分化した細胞は、消化管内腔側に向かって移動し、数日で細胞死(アポトーシス)を起こして消化管内に脱落します。
胃や食道や小腸でも、粘膜上皮の底部付近に幹細胞が存在し、粘膜上皮細胞が供給されています。
組織幹細胞は、分裂して自分と同じ細胞を作り出すことができ(
自己複製能)、またいろいろな細胞に分化できる(多分化能)という二つの重要な性質を持ち、この性質により、限られた寿命のある体細胞を絶えず供給し、傷ついた組織を修復することができるのです。

【がん幹細胞とは】
がんとは「体細胞のDNAに変異が蓄積して発症する疾患」であるというのが従来からの通説です。
しかし、例えば大腸の粘膜上皮細胞は1週間程度で死滅して新しい細胞に置き換わっているため、このような短寿命の体細胞にがん化するほどの複数の変異が蓄積することは考えにくいと言えます。つまり、短期間でアポトーシスで死滅する運命の成熟(=分化)した細胞に遺伝子変異が生じても、がん細胞に変化するとは考えにくいのです。細胞ががん化するためには、複数のがん遺伝子やがん抑制遺伝子に異常が重なる必要があるからです。
そこで、「
組織に持続的に存在する幹細胞の遺伝子に変異が蓄積することによってがん細胞が発生する」という「がん幹細胞仮説」が提唱されています。
実際に、がん組織の中には正常組織における幹細胞システムに類似した階層性が存在し、その中に
がん幹細胞 (cancer stem cells)と呼べるような細胞が存在して通常のがん細胞を供給しながらがん組織を構成していることが明らかになっています。すなわち、無限に自己複製を行うがん幹細胞ががん組織中に少数存在し、不均等分裂により一部が自己複製のサイクルから逸脱して分化し通常のがん細胞となっているのです。
多くの場合、このがん幹細胞の起源は通常の組織幹細胞と考えられています。すなわち、組織幹細胞に遺伝子変異が蓄積して、がん幹細胞になるというわけです。がん幹細胞(cancer stem cell)は
腫瘍始原細胞(tumor initiating cell)とも呼ばれ、がん細胞を生み出すもとになる細胞であり、がん組織中に少数(数%程度)存在しています。そして、がん幹細胞は正常な組織幹細胞と同様、特別な微小環境(ニッチ)中に存在し、ニッチより分泌される液性因子などによって、多分化能の維持や分裂増殖が制御されていると考えられています。
がん幹細胞は1994年に急性骨髄性白血病で初めて同定され、その後、脳腫瘍、乳がん、肺がん、大腸がん、前立腺がん、肝細胞がん、膵臓がん、頭頚部がん、メラノーマなどの固形がんにおいても報告されています。

【がん幹細胞が再発や転移の原因となる】
従来は、がん組織に存在する全てのがん細胞が無限の自己複製能(分裂能)を有し、がん組織を形成する能力を獲得していると考えられてきました。しかし最近の考え方は、
無限の分裂能を有しがん組織を形成できるのはがん幹細胞だけであり、大部分のがん細胞は、限定された分裂能を有するか、あるいはすでに分裂能を失っていると考えられています。すなわち、がん組織を構成しているがん細胞の全てが、周囲組織への浸潤や離れた部位へ転移できるわけではないのです。
ある程度進行したがん患者の血液中にはがん細胞が見つかることがあり、これを
Circulating tumor cell(「血中循環がん細胞」や「循環血中腫瘍細胞」と訳されている)といいます。この血中を循環しているがん細胞の多くは、転移を形成することなく自然に死滅していることが知られています。つまり、この血中循環がん細胞は体内のどこかに存在するがん幹細胞から供給されて血中を循環しているのですが、がん幹細胞でなければ転移巣を形成することは無いのです。(血中循環がん細胞については第145話を参照
また、
がん幹細胞は抗がん剤や放射線治療に抵抗性であり、抗がん剤や放射線治療によって腫瘍が縮小しても、死滅しているのは分化したがん細胞だけで、がん幹細胞は生き残ることが多いことが指摘されています。治療によって大部分のがん細胞を除いても、ごく少数のがん幹細胞が生き残っていれば再発が起こりうることになり、これが、抗がん剤治療後にしばしば再発が起きる理由だと考えられています。
現行の抗がん剤治療のほとんどは、分化したがん細胞を標的として開発されており、がん幹細胞に対してはあまり効果が無い可能性が指摘されています。抗がん剤治療によって腫瘍が縮小しても、多くは一時的な縮小であって、
がん幹細胞が生き残っているかぎり、いずれ再増殖してきます。臨床的な奏功率(腫瘍の縮小率)が生存期間の延長に必ずしも結びつかないのは、がん幹細胞が治療に抵抗して生き残るからだと言えます。

【抗がん剤治療でがんの根治が困難な理由】
がん幹細胞は、分化したがん細胞よりも抗がん剤や放射線治療に対する感受性が低いことが知られています。その理由として、がん幹細胞は抗がん剤の排出能力や解毒能力が高いことが指摘されています。たとえば、細胞内の薬剤を排出するABC(ATP-binding cassette) transporterが高発現しているために、抗がん剤効きにくいことや、活性酸素などのフリーラジカルを消去する活性が高いため、抗がん剤や放射線治療が効きにくいことが報告されています。
さらに、がん幹細胞はダメージを受けたDNAを修復する能力が高くなっているので、抗がん剤や放射線で遺伝子がダメージを受けても簡単には死ににくい性質を持っています。
また、がん幹細胞は、正常組織幹細胞と同様に特別な
微小環境(ニッチ)内で休眠状態として存在しているため、増殖する細胞を標的とする従来のがん治療は効果が弱いと考えられます。従来の抗がん剤の主流を占める殺細胞薬(cytotoxic agent)は、細胞分裂している細胞を選択的に死滅させるため、休止期のがん幹細胞を死滅させることができないためです。

【がん幹細胞をターゲットにしたがん治療】
がん組織の大半を占める通常のがん細胞と比較して、がん幹細胞の抗がん剤に対する耐性が高いとすると、がんの縮小が必ずしもがん治療効果と相関しないことを意味します。つまり、現在の抗がん剤の有効性の指標となっている原発腫瘍や転移腫瘍の縮小は、少数のがん幹細胞の存在によって、必ずしも有効性の指標とはならないことになるのです。
がん治療に対する抵抗性や再発・転移の原因となっているがん幹細胞をターゲットにしたがん治療の開発が求められていますが、現時点ではまだ有効な治療法は見つかっていません。
理論的には、1)
がん幹細胞の自己複製を阻害することでがん幹細胞を除去する、2)がん幹細胞を分化させてがん再生能力を削ぐ、などの方法が考えられます。
例えば、
Hedgehog シグナル経路は胚の器官形成を調節している細胞情報伝達経路で、ハエなどの無脊椎動物から高等な脊椎動物まで広く保存されています。がん幹細胞の維持にHedgehog 経路が関与していることが報告されていて、Hedgehog 経路の阻害剤が、がん幹細胞にアポトーシスを誘導することが報告されています。Hedgehog 経路を阻害する成分として、ウコンに含まれるクルクミンなど生薬に含まれる成分からも見つかっています。
がん幹細胞はミトコンドリア呼吸活性が低いという報告があるので、ミトコンドリアの活性を高める
ジクロロ酢酸ナトリウムを使った治療はがん幹細胞の抗がん剤感受性を高める効果が期待できます。(ジクロロ酢酸ナトリウムの抗がん作用についてはこちらへ
ミトコンドリア活性が低く、酸素呼吸によるエネルギー産生が低下しているため、がん細胞は解糖系でのエネルギー産生に依存しています。解糖系の酵素を阻害する効果がある
半枝蓮などの抗がん生薬の併用も効果が期待できます。(69 話参照
がん幹細胞は新生血管を増生させる活性が高いという報告があり、血管新生阻害作用を目標とした治療ががん幹細胞の増殖を抑える効果があります。
血管新生阻害作用や抗炎症作用はがん幹細胞の微小環境(ニッチ)に作用して、がん幹細胞の休眠状態を維持する可能性があります
低用量の抗がん剤治療は、がん細胞を死滅させるというより、血管新生阻害作用などによってがん幹細胞の増殖を抑えている可能性も指摘されています。
転写因子の
NF-κBや細胞増殖を促進するAktシグナル伝達系を阻害するとがん幹細胞の抗がん剤や放射線治療の感受性を高める効果が期待できます。アブラナ科植物に含まれるジインドリルメタンがNF-κB活性やAktシグナル伝達を阻害する作用する効果が報告されています(詳しくはこちらへ
成熟したがん細胞は、ほっておいてもアポトーシスで死滅していくため、むやみに抗がん剤を投与して、見かけ上のがんの縮小を目指すより、がん幹細胞を休眠状態に維持する方法を優先した方が良い場合も多いように思います。
がん幹細胞を消滅させなければ、がんを根治できないことになります。単にがん細胞を死滅させることを目標にした抗がん剤治療だけではがん幹細胞を消滅させるには限界があります。
正常の幹細胞にはダメージを与えず、がん幹細胞を死滅させるために抗がん剤感受性を高める治療や、血管新生阻害や抗炎症作用などがん幹細胞の微小環境(ニッチ)に作用する治療法の開発が今後の課題だと思います。
漢方治療による、抗がん剤感受性を高める作用(85話)、血管新生阻害作用(133話136話)、抗炎症作用(25話128話)などの効果を利用すると、がん幹細胞をターゲットにした治療が有効に行える可能性があります。
(文責:福田一典)

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