563)手術侵襲はがん再発を誘導する

図:手術による組織のダメージ(創傷)や細菌感染は炎症応答を引き起こす(①)。炎症反応で産生されるIL-1βやTNF-αや活性酸素は炎症性転写因子のNF-κBを活性化し、IL-6遺伝子の発現を亢進する(②)。炎症応答でTGFβ(Transforming Growth Factor β)とCOX-2(シクロオキシゲナーゼ-2)の発現が誘導され、COX-2はPGE2(プロスタグランジンE2)の産生を高める。TGFβとPGE2はIL-6の産生を亢進する(③)。IL-6はIL-6受容体を介してJAK(ヤーヌスキナーゼ)を活性化し、細胞の増殖と生存を制御するSTAT3経路、PI3K/AKT経路、MAPK経路を活性化する(④)。その結果、がん細胞の増殖や転移やアポトーシス抵抗性が促進される(⑤)。PGE2は直接的に作用してがん細胞の増殖や転移を促進する(⑥)。セレコキシブはCOX-2活性を阻害し(⑦)、オーラノフィンはSTAT3の活性を阻害する(⑧)。ジインドリルメタンはJAK/STAT3経路を阻害し(⑨)、サリドマイドとオーラノフィンはTNF-αの発現とIκBキナーゼを阻害してNF-κBを阻害する(⑩)。このような抗炎症作用は手術後の再発を予防する。

563)手術侵襲はがん再発を誘導する

【原発巣の切除や手術侵襲が転移巣の増大を促進する】
がんができた元の場所を原発巣といいます。
がん細胞は原発巣から血液やリンパ液の流れに乗って別の場所にもがん細胞の塊を形成しながら全身に広がる性質を持っており、これを転移といいます。
転移によって他の場所にできたがん細胞の集まりを転移巣といいます。
胃がんの場合を例にしてがん細胞の広がるルートを下図に示しています。

図。胃がんを例にとってがんが広がるルートを示している。胃にできたがん細胞は胃壁に沿って浸潤性に増殖し、膵臓や腹膜など隣接した組織にも広がっていく(①)。リンパ管に入ると周囲のリンパ節に転移し(②)、血管に入ると肝臓や肺など離れた臓器に転移する(③)。手術で原発巣を切除しても、がんの取り残しや、離れた臓器に転移(遠隔転移)があると再発する。

がんの原発巣を切除し後に時間が経過してから肝臓や肺など他の臓器に新たに転移が見つかった場合、これらの転移は手術した時点ですでに存在していたと考えるのが妥当です。最初の手術の時点では目に見えない大きさだった微小転移が、手術後の時間の経過とともに目に見える大きさに成長したということです。
原発巣を切除することはがん治療の基本であり、原発巣を切除すれば新たな転移の成立を無くすことができます。しかし、他の臓器にすでに存在している微小転移巣が、手術をきっかけに増大が促進されことが古くから知られています。   
その理由の一つとして、原発巣の大きながん組織が他の部位の小さな転移巣の増殖を抑えているメカニズムが提唱されています。原発の腫瘍から血管新生や細胞の増殖を抑える物質が産生されていて、それらが微小転移巣の増大を抑えているということです。したがって、原発のがん組織が切除されると、転移巣の増殖を抑えていた物質が無くなって、増殖が促進されることになります。
さらに、手術によって体力や免疫力が低下すると、残っていたがん細胞の増殖が促進される可能性があります。がん細胞を殺すナチュラルキラー細胞などの免疫細胞の働きの低下はがん細胞の増殖を許すことになるからです。
さらにもっと重要なことは、手術後の創傷治癒過程で産生される炎症性サイトカインや増殖因子などの作用によってがん組織の血管新生や細胞増殖が促進される可能性があることです。
手術によって損傷をうけた組織を修復するためにマクロファージや好中球などの炎症細胞が活性化され、さらに線維芽細胞などの結合組織の増殖が刺激されます。
この炎症反応や創傷治癒過程では、血管新生を刺激する血管内皮細胞増殖因子(VEGF)や様々な細胞増殖因子や炎症性サイトカイン(炎症細胞の増殖を制御する蛋白質)の産生が高まります。これらは創傷治癒に必要ですが、がん細胞の増殖を促進する働きも持っています。
つまり、手術侵襲が大きいほどVEGFや増殖因子や炎症性サイトカインが増える結果、転移巣のがん細胞の増殖が促進される可能性が指摘されています(下図)。

図:原発巣の大きながん組織を切除すると、他の臓器にすでに転移していたがん組織(転移巣)の増大が促進されることが知られている。そのメカニズムとして、外科切除に伴う創傷治癒過程で産生される血管内皮細胞増殖因子(VEGF)や様々な増殖因子、炎症性サイトカインの産生、手術による体力や免疫力の低下などが指摘されている。

微小転移巣のがん細胞は絶えず細胞分裂をしているのではなく、細胞分裂を休止して何年間も休眠状態になっている場合も多いことが知られています。
また、がん細胞は細胞分裂して増える一方、アポトーシスという細胞死が起こっています。がん細胞の細胞分裂とアポトーシスが同じ率で起こっているがん組織は、大きさが変わらない状態が続きます。
このような休眠状態や、分裂と細胞死のバランスがとれた均衡状態が、原発巣の切除手術によって破綻するために、微小転移が手術後に増大すると考えられています。
最近はがんの外科治療は縮小手術が行われる傾向にあります。その理由は、がん組織を徹底的に切除する目的で広範囲の切除手術を行っても、生存率が向上しないことが明らかになったからです。むしろ、手術侵襲(手術による生体のダメージ)が大きいほど再発率が高くなることも報告されており、その理由として、手術によるダメージが大きいほど微小転移の増殖が促進されるからです。
がんの転移を片っ端から切除する外科医もいます。がんの量を減らせば、延命に寄与するという考えに基づいています。体内のがんの量が減れば、患者さんも少しは安心します。この考えは必ずしも間違いではないのですが、転移を無理に切除してがんの進行が早まることがあることも事実です。
つまり、進行がんの外科手術では、目に見えない転移を増大させない対処法が極めて重要になります。

【再発予防は手術前から準備することが大切】

がん細胞はそれぞれが勝手に増殖しているのではなく、宿主の体内で一つの組織として影響し合ったり、均衡を保つような機序が働いていると考えられています。原発巣を切除すると他の部位の転移巣の増大が促進される現象は、がん組織を切除することが良いことばかりではないことを示唆しています。

夏に手術を受けた人は冬に手術を受けた人より再発率が低いというデータがあります。これは体内のビタミンDにがんの再発を予防する効果があり、日光による体内でのビタミンDの産生が高まる夏に手術を受けると再発が起こりにくいためと考えられています。

また、乳がんの手術は、月経周期の卵胞期(排卵前)より黄体期(排卵後)に行った方が再発率が低いことが複数の研究で明らかになっています。黄体期ではプロゲステロンの分泌量が多くなり、エストロゲンによる乳がん細胞の増殖促進を抑えるためと考えられています。

このように、手術した時点での体の状態(体内のビタミンD量やホルモン環境など)が数年後の再発率や生存期間に影響する事実は、手術をきっかけにおこる微小転移の増大の重要性を示唆しています。

がんという病気は比較的早期から全身病という観点から治療を行うことが重要であり、手術前から栄養素の不足を是正して体調を良くし、免疫力や治癒力を高めることが再発予防に大切です
さらに必要に応じて、血管新生阻害や抗炎症作用を目的にした治療を併用することは、再発予防に効果が期待できる可能性があります。このような目的において、標準治療の他に、抗炎症作用や免疫増強作用や血管新生阻害作用や抗がん作用のある医薬品やサプリメントや漢方治療も有効です。



【外科手術ががん細胞のがん幹細胞の性質獲得を促進する】
古代ギリシャでは「がんを扱うな」という考え方がありました。
がんを下手にいじると病状を悪くすることも多いので、むしろそっとしておく方が結果的に良い場合が多いということです。
この時代の医師たちも、がんの手ごわさを実感していて、最終的に「いろいろやるよりかは静かにしておくほうがいい」というのを体験的に修得したのかもしれません。
現在でも、「がんの放置療法」を推奨する意見はあります。実際、進行がんを無理して手術したり、強力な抗がん剤治療を行ったために死を早めるケースがかなり多いのは確かです。
がんが小さくて限局しており、がん組織を根絶できる場合は、積極的に手術や放射線治療や抗がん剤治療を行う方が良いと言えます。しかし、転移がある場合は、積極的な治療が裏目に出ることもあります。がん治療ががんを悪化させたり進行を早めることが指摘されています。
例えば、外科手術ががん細胞の悪性進展や再発を促進することが以前から指摘されており、その理由としてIL-6/STAT3経路などの炎症過程の関与が推測されています。以下のような論文があります。 

Surgery-induced wound response promotes stem-like and tumor-initiating features of breast cancer cells, via STAT3 signaling.(手術によって誘導される創傷応答はSTAT3シグナル系を介して、乳がん細胞のがん幹細胞様の性質を促進する) Oncotarget. 2014;5(15):6267-6279. 

【要旨】
臨床的に炎症はがんとの関連が強いが、そのメカニズムに関してはまだ十分に解明されていない。
手術はある種の炎症反応を引き起こすので、手術ががんの局所再発や転移形成の過程に関与している可能性が示唆されている。
乳がん患者から得た手術後の創傷部の浸出液にはサイトカインや増殖因子が多く含まれており、乳がん培養細胞を使った実験で、この創傷部浸出液は乳がん細胞の増殖を促進し、STATの転写活性を強力に活性化する作用を示した。
そこで、この手術後炎症過程による乳がん細胞の増殖促進にSTATシグナル系が関与しているかどうかを検討した。
創傷部浸出液は、乳がん細胞のSTAT3活性を高め、がん幹細胞の性質をもった乳がん細胞の数を増やした。
培養細胞を用いた実験で、創傷部浸出液は乳がん細胞の腫瘍様塊形成と自己複製能を高度に活性化した。
動物実験(in vivo)での検討では、移植した乳がん細胞の腫瘍形成と、外科切除後の局所再発の過程においてSTAT3シグナル系の活性化が必須であった。
以上の結果から、手術によって引き起こされる炎症が、乳がん細胞のがん幹細胞様の性質の獲得を促進することが示された。この過程(手術後の炎症によって乳がんの幹細胞化が促進されること)は、手術の前後にSTAT3シグナル伝達系を阻害することによって阻止することができる。
乳がん幹細胞と周囲組織の環境の間の相互作用を理解することは、乳がんの発生や再発を防ぐ重要な手段を提供することになる。

stem-like(幹細胞様)tumor-initiating(腫瘍起始)がん幹細胞(cancer stem cell)のことを意味しています。「stem-like and tumor-initiating features」というのは「がん幹細胞の性質」ということです。
がん細胞の培養で腫瘍様塊(mammosphere)を形成するのはがん幹細胞の性状を持っていることを意味します。「自己複製能」も幹細胞の性質です。
がん幹細胞(cancer stem cell)腫瘍始原細胞(tumor initiating cell)とも呼ばれ、がん細胞を生み出すもとになる細胞であり、がん組織中に少数(数%程度)存在しています。そして、がん幹細胞は正常な組織幹細胞と同様、特別な微小環境(ニッチ)中に存在し、ニッチより分泌される液性因子などによって、多分化能の維持や分裂増殖が制御されていると考えられています。
通常の抗がん剤治療や放射線治療に対して、成熟したがん細胞は死滅しやすいのですが、がん幹細胞は様々な機序で抵抗性を示します。
つまり、がん細胞が「がん幹細胞様の性質」を獲得することは、抗がん剤などで死ににくいがん細胞になることを意味します。(下図)

 

図:がん組織にはがん幹細胞 (cancer stem cells)と呼ばれる細胞が存在して、通常のがん細胞(成熟がん細胞)を供給しながらがん組織を構成している。がん幹細胞は自己複製を行う一方、不均等分裂により一部が自己複製のサイクルから逸脱して分化し通常のがん細胞となっている。
成熟がん細胞は抗がん剤や放射線で死滅しやすいが、がん幹細胞は死滅しにくいので抗がん剤治療や放射線治療で生き残る。がん幹細胞は腫瘍形成能を持つので、生き残ったがん幹細胞が増殖して再発や再燃が起こる。がん幹細胞がアポトーシス抵抗性になっているメカニズムを阻害すれば抗がん剤や放射線治療の効果を高めることができる。

手術後の創傷治癒過程では、炎症反応、血管新生、細胞外マトリックスの産生、細胞の増殖と組織の再生、組織幹細胞の増殖と自己複製などが起こっており、これらの過程には様々な炎症性サイトカインや増殖因子や化学伝達物質が関与しています。そして、このような因子ががん細胞の増殖や転移を促進する可能性が以前から指摘されています。
この論文は、「手術を行うと、創傷治癒の過程で起こる炎症反応が乳がん細胞のがん幹細胞様の性質の獲得を促進する」「そのメカニズムは、STAT3の活性化を介している」という実験結果を報告しています。
つまり、手術によって引き起こされる炎症ががん細胞の再発や転移を促進する可能性があるということです(下図)。

図:手術でがん細胞の取り残しがあると、手術行為が原因となってがん細胞の転移や再発を促進され、抗がん剤抵抗性などの性質を獲得する可能性が指摘されている。その理由として、手術後の創傷部位では炎症反応や血管新生が起こり、炎症細胞などから様々な炎症性サイトカインや増殖因子や成長因子や化学伝達物質などが産生され、がん細胞のIL-6/STAT3シグナル系が活性化される。STAT3の活性化はがん細胞をがん幹細胞様の性質に変え、その結果、がん細胞の増殖や転移が促進され、がん細胞は抗がん剤などの治療に抵抗性を獲得する。 

【炎症応答はIL-6/STAT3シグナル経路を活性化する】
慢性炎症は、がんの発生や進展を促進する」というのは、多くのエビデンスがあり、がん研究では常識的な考えになっています。
がんと炎症との関連においては、炎症性サイトカイン(TNF-α、IL-1、IL-6など)や、転写因子のNF-κBや、シグナル伝達系のSTAT(Signal Tranducer and Activator of Transcription:シグナル伝達兼転写活性化因子)ファミリーのタンパク質や、化学伝達物質のプロスタグランジンなどが複雑に関与しています。
この中で、IL-6/STAT3シグナル伝達系が炎症とがんの治療のターゲットとして注目されています。
多くのがんでは炎症過程が亢進しており、この炎症過程の中心にいるのがIL-6とSTAT3の連携です。
インターロイキン6(IL-6)はB細胞に作用して抗体産生を誘導するT細胞由来のサイトカインとして発見されました。
サイトカインというのは、リンパ球や炎症細胞から分泌されて、免疫や炎症や創傷治癒など様々な生理機能の調節を担うタンパク質です。
サイトカインは細胞表面の膜上にある受容体に結合することによって、受容体に特有の細胞内シグナル伝達の引き金となります。
炎症過程に関与するものは炎症性サイトカインと呼ばれています。
IL-6は代表的な炎症性サイトカインであり、自己免疫疾患など慢性炎症性疾患の発症や進展に重要な役割を担っており、IL-6の働きを阻害する薬は関節リュウマチのような慢性炎症性疾患の治療に使用されています。
IL-6は免疫や炎症のみならず、乳がんや前立腺がんを始めとする様々ながん細胞の増殖や悪性化にも深く関わっていることが明らかになっています
慢性炎症によってIL-6の体内での産生が高い状態はがんの発生や進展を促進します。IL-6の血中濃度が高いほどがん患者の予後が悪いという報告もあります。
IL-6の作用は主にシグナル伝達分子であるSTAT3によるものであることが明らかにされています。 STAT3はさまざまなサイトカインや成長因子からのシグナルを統合して免疫や炎症を制御する転写因子です。炎症に起因した発がんに重要な働きをすることが報告されています。

図:細菌感染や組織の傷害やがんは炎症応答を引き起こし、これらはいずれもIL-6(インターロイキン-6)の産生を刺激する。細菌のLPS(リポポリサッカライド)と炎症反応で産生されるIL-1βやTNF-αや活性酸素は炎症性転写因子のNF-κBを活性化し、活性化したNF-κBはIL-6遺伝子の発現を亢進する(NF-κB依存性経路)。炎症応答でTGFβ(Transforming Growth Factor β)とCOX-2(シクロオキシゲナーゼ-2)の発現が誘導され、COX-2はPGE2(プロスタグランジンE2)の産生を高める。TGFβとPGE2はIL-6の産生を亢進する(NF-κB非依存性経路)。IL-6はIL-6受容体を介してJAK(ヤーヌスキナーゼ)を活性化し、細胞の増殖と生存を制御するSTAT3経路、PI3K/AKT経路、MAPK経路を活性化し、その結果、がん細胞の増殖や転移やアポトーシス抵抗性が促進される。PGE2は直接的に作用してがん細胞の増殖や転移を促進する。(参考:Cancer Manag Res. 2011; 3: 177–189.)

【STAT3はがん細胞の増殖を促進する】

STAT3は、STAT (Signal Tranducer and Activator of Transcription:シグナル伝達兼転写活性化因子) ファミリーに属する蛋白質で、その名の通り、「シグナル伝達」と「遺伝子転写活性化」の両方において働きます。
STAT3は非活性化状態においては細胞質に存在しますが、ヤーヌスキナーゼ(Janus Kinase; JAK)が活性化されることによってリン酸化を受け、核内へ移行して目的遺伝子を活性化する転写因子として機能します。

JAK(ヤーヌスキナーゼ)はサイトカイン受容体のサブユニットとして存在し、チロシンをリン酸化する酵素(チロシンキナーゼ)の一種です。

IL-6ファミリーのサイトカインあるいは上皮成長因子(EGF)等の成長因子がそれらの受容体に結合することによりヤーヌスキナーゼ(JAK)が活性化されると、活性化されたJAKがSTAT3のチロシン705をリン酸化します。

チロシン705がリン酸化されたSTAT3二分子のSH2ドメインがそれぞれ他方の分子のリン酸化チロシンと相互作用することにより二量体を形成して核内に移行し、核内に移行したSTAT3二量体は標的となるDNAに結合する事で転写を活性化します。これをJAK-STAT経路と言います。

STAT3のリン酸化はJAKを介する以外に、増殖因子や成長因子の受容体が直接リン酸化する場合や、Srcなどの非受容体性チロシン・キナーゼによっても起こります。つまり、様々な細胞刺激に応答してSTAT3がリン酸化されて、増殖や生存を促進する作用を発揮します(下図)。

図:JAK(Janus Kinase;ヤーヌスキナーゼ)はサイトカイン受容体のサブユニットとして存在し、チロシンをリン酸化するチロシンキナーゼ活性を持つ(①)。IL-6や上皮成長因子(EGF)などの受容体が刺激されるとJAKが活性化されてSTAT3がリン酸化される(②)。STAT3のリン酸化は受容体性チロシンキナーゼや非受容体性チロシンキナーゼ(Srcなど)でも起こる(③)。STAT3は不活性な状態では細胞質に存在し、JAK(ヤーヌスキナーゼ)などでチロシン705がリン酸化されると、STAT3二分子のSH2ドメインが、それぞれ他方の分子のリン酸化チロシンと相互作用することにより二量体を形成して核内に移行する(④)。核内に移行したSTAT3二量体は、標的となるDNAに結合する事で転写を活性化する(⑤)。STAT3は細胞をアポトーシス抵抗性にするBcl-2やBcl-XL、細胞周期を促進するサイクリンD1(Cyclin D1)などの遺伝子発現を誘導することによってがん細胞の増殖や転移を促進する(⑥)。

【STAT3はワールブルグ効果の成立にも関与する】

様々なサイトカインや増殖因子によるJAK/STAT経路の活性化は、約20年前に発見されて以降、細胞内の主要なシグナル伝達系として多くの研究が行われています。
 この経路の制御の異常が、様々な炎症性疾患や悪性腫瘍の発症や進展に重要な役割を有していることが明らかになっており、この経路の阻害剤が炎症性疾患やがんの治療薬として注目されています。

すでに、IL-6の働きを阻害する抗体薬やJAK阻害剤が関節リュウマチの治療薬として使用されており、これらの薬のがん治療での有効性も報告されています。

がん細胞の代謝は「酸素が存在する条件でも、酸素を使わない解糖系が亢進し、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化が抑制されている」と言う特徴があり、これをワールブルグ効果と言います。
 このワールブルグ効果の成立にSTAT3が関与していることが報告されています。
STAT3の活性化が低酸素誘導因子-1(HIF-1)を活性化し、解糖系を亢進していることが報告されています。以下のような論文があります。

STAT3 Activities and Energy Metabolism: Dangerous Liaisons.(STAT3活性とエネルギー代謝;危険な連携) Cancers 6(3):1579-1596.2014年

【要旨】

STAT3はサイトカインや増殖因子とそれらの受容体によるシグナル伝達系において重要な働きを行っており、STAT3のチロシン705のリン酸化(Y-P)によってその転写活性は活性化される。 

チロシン705がリン酸化された活性型のY-P STAT3は多くのがん細胞で見られ、このSTAT3の恒常的な活性化がその下流に位置する様々ながん遺伝子を活性化し、細胞のがん化の原因となっている。
我々は最近の研究で、STAT3が恒常的に活性化されているがん細胞において、STAT3の活性化が低酸素誘導因子-1α(HIF-1α)の転写活性の誘導とミトコンドリア活性の抑制によって、解糖系主体のエネルギー産生を促進していることを報告している。

このような代謝の変化は、アポトーシスや細胞周期停止に対して抵抗性になり、細胞増殖活性を高め、細胞のがん化を促進する機序と関連していると思われる。

慢性炎症状態が細胞のがん化やがん細胞の悪性進展を促進するという良く知られた因果関係のメカニズムとして、慢性炎症によって恒常的に活性化されるSTAT3が強く関連していることが指摘されている。

セリン727のリン酸化がミトコンドリアにおけるエネルギー産生を制御しているというSTAT3の新たに解明された作用と今回の研究結果は、細胞のがん化やがん細胞のエネルギー代謝の変化やがん細胞の増殖や生存において、STAT3が中心的役割を果たしていることを示唆している。

STAT3は細胞核に移行して遺伝子転写を誘導するだけでなく、ミトコンドリアに移行してミトコンドリアの機能にも作用することが報告されています。
その際には、セリン727のリン酸化が必要という報告があります。
 がん細胞におけるSTAT3の働きはまだ不明な点が多く残されていますが、がん細胞の増殖や代謝や分化を制御する際に、重要なターゲット分子であることは間違いないようです。STAT3阻害剤はがん治療に役立つと考えられています。

【ジインドリルメタンのSTAT3阻害作用】
サプリメントのジインドリルメタン(3,3′-diindolylmethane)がJAK-STAT経路を阻害して抗腫瘍効果を示すことが報告されています。
ジインドリルメタンはアブラナ科の植物に含まれるインドール化合物で、欧米ではサプリメントとして販売されています。
卵巣がんに対するシスプラチンの抗がん作用を増強することが報告されています。以下のような論文があります。

Diindolylmethane suppresses ovarian cancer growth and potentiates the effect of cisplatin in tumor mouse model by targeting signal transducer and activator of transcription 3 (STAT3).(ジインドリルメタンはシグナル伝達兼転写活性化因子-3(STAT3)に作用して、マウスの動物実験モデルで卵巣がんの増殖を抑制し、シスプラチンの抗腫瘍効果を増強する。)BMC Med. 2012 Jan 26;10:9. doi: 10.1186/1741-7015-10-9.

【要旨】
研究の背景:シグナル伝達兼転写活性化因子3(Signal transducer and activator of transcription 3 :STAT3)は卵巣がんの多くにおいて活性化されており、卵巣がんのシスプラチンに対する抵抗性獲得に関与している。
我々は、以前の研究において、ジインドリルメタンが卵巣がん細胞の増殖を阻害することを報告している。しかし、ジインドリルメタンの増殖抑制作用の作用機序については明らかにされていない。
本研究では、ジインドリルメタンの作用機序を検討した。
実験方法:ヒト卵巣がん細胞株6種類を用いた培養細胞の実験系と、マウスに卵巣がん細胞を移植した動物実験モデルを用い、ジインドリルメタン単独の効果とシスプラチンとの併用効果について検討した。
結果:ジインドリルメタンは培養細胞の実験系で、6種類のヒト卵巣がん細胞全てに対してアポトーシス(細胞死)を誘導した。STAT3のTyr-705(チロシン705)とSer-727(セリン727)におけるリン酸化は、ジインドリルメタンによって用量依存的に抑制された。
さらに、ジインドリルメタンはSTAT3の核内への移行とDNA結合と転写活性を阻害した
インターロイキン-6によって誘導されるTyr-705におけるSTAT3のリン酸化もジインドリルメタンによって顕著に阻害された。

遺伝子導入によってSTAT3を過剰発現させると、ジインドリルメタンによって誘導されるアポトーシスは阻止された。
さらに、卵巣がん細胞および移植腫瘍の卵巣がん組織におけるインターロイキン-6の発現量はジインドリルメタンによって減少した。
ジインドリルメタンは低酸素誘導性因子1α(HIF-1α)と血管内皮細胞増殖因子の発現を抑制してがん細胞の浸潤と血管新生を阻害した
さらに重要なことは、ヒト卵巣がん細胞SKOV-3細胞におけるシスプラチンの作用をSTAT3を介する機序で増強した。
マウスの実験で1日に3mgのジインドリルメタンの経口投与とシスプラチンの投与は移植腫瘍の増殖を著明に抑制した。腫瘍組織におけるアポトーシスの増加と、STAT3活性の抑制が認められた。
結論:以上の実験結果より、ジインドリルメタン単独あるいは抗がん剤との併用の有用性について卵巣がんの臨床例を対象に検討する価値がある。

ジインドリルメタンがNF-κBの活性を阻害して、がん細胞の抗がん剤感受性を高める効果があることが報告されています(101話参照)。
ジインドリルメタンは低酸素誘導性因子-1(HIF-1)の活性を抑制する作用がありますが、その作用メカニズムの一つがSTAT3活性の阻害という報告です。 HIF-1の活性を抑制する治療は、がん細胞の増殖抑制に有効です(364話参照)。
ジインドリルメタンのSTAT3活性化阻害はJAK-2の阻害が関連していることが報告されています。以下のような論文があります。

Regulation of Janus-activated kinase-2 (JAK2) by diindolylmethane in ovarian cancer in vitro and in vivo.(卵巣がんのin vivoおよびin vitroにおけるジインドリルメタンのヤーヌスキナーゼ-2の制御) Drug Discov Ther. 2012 Apr;6(2):94-101.

IL-6や上皮成長因子(EGF)などの受容体が活性化されるとJAK(ヤーヌスキナーゼ)がリン酸化されて、リン酸化されたJAKがSTAT3をリン酸化して、JAK/STAT3経路が活性化されます。
この論文は、前述の論文と同じ研究グループからの報告です。
卵巣がん細胞や移植卵巣がん組織においてIL-3とEGFを使ってJAK-2 / STAT3を活性化する実験系で、ジインドリルメタンが、用量依存的にJAK-2のチロシン-1007(Tyr-1007)のリン酸化を阻害する作用を示しています。つまり、ジインドリルメタンはJAK(ヤーヌスキナーゼ)の活性化(リン酸化)の段階でJAK/STAT3経路を阻害することが示されています。 別の研究グループからもジインドリルメタンのSTAT3阻害作用が報告されています。

Inhibition of STAT signalling in bladder cancer by diindolylmethane: relevance to cell adhesion, migration and proliferation.(ジインドリルメタンによる膀胱がんにおけるSTATシグナル系の阻害:細胞接着と移動と増殖との関連)Curr Cancer Drug Targets. 2013 Jan;13(1):57-68.

STATシグナル伝達系の活性化はがん細胞の増殖や移動を亢進することによって転移を促進しています。
この論文では、遺伝子導入によってSTAT3活性を恒常的に亢進させたヒト膀胱がん細胞を用いた実験系で、ジインドリルメタンがSTAT3経路を阻害することによって、がん細胞の移動を阻害し、細胞周期を停止させ、アポトーシスを誘導することを示しています。
さらに、放射線照射に対する抵抗性を低減することを示しています。
ジインドリルメタンが肺がんの発生予防にも効果が期待できることが報告されています。

Dietary diindolylmethane suppresses inflammation-driven lung squamous cell carcinoma in mice.(食事性のジンドリルメタンはマウスにおける炎症によって誘導される扁平上皮がんの発生を抑制する)Cancer Prev Res (Phila). 2015 Jan;8(1):77-85.

慢性閉塞性肺疾患(COPD)のような肺の慢性炎症状態は肺がん、特に肺の扁平上皮がんの発生リスクを高めることが知られています。
発がん物質と炎症状態を増悪させるリポポリサッカイライドを用いてマウスの肺扁平上皮がんを発生させる発がん実験モデルを用いて、ジインドリルメタンが発がんを抑制することを報告しています。
この炎症による発がんモデルでは、炎症性サイトカインやNF-κBやSTAT3などの炎症性シグナル伝達系が活性化しており、ジインドリルメタンはこの炎症性シグナル伝達系を阻害することによって肺扁平上皮がんの発生を抑制すると報告しています。
これらの報告は、ジインドリルメタンは抗がん剤治療や放射線治療と併用するサプリメントとして極めて有用であることを示しています
ジインドリルメタンの生体利用性(バイオアベイラビリティ)を高めたDIM-Proというサプリメントが米国で販売されています。 http://www.1ginzaclinic.com/Diindolylmethane/DIM.html

【COX-2阻害剤のcelecoxibのSTAT3阻害作用】
シクロオキシゲナーゼ(cyclooxygenase,COX)はアラキドン酸からプロスタグランジンを産生するときに最初に働く酵素です。
COXには、多くの組織において恒常的に発現しているCOX-1と、炎症性刺激や増殖因子によりマクロファージなどの炎症細胞やがん細胞などにおいて合成されるCOX-2の2つの種類が知られています。

プロスタグランジンには多くの種類がありますが、COX-1によって産生されるプロスタグランジンは消化管や腎臓や血小板など多くの臓器や細胞の生理機能において重要な役割を果たしています。
一方COX-2は、炎症や発がん過程で合成が刺激され、大量のプロスタグランジンを産生して、がんの発育を促進する働きをします。COX-2の働きを抑えてやるとがんの発生や増殖を抑制する効果があります(下図)。

図:プロスタグランジンはアラキドン酸からシクロオキシゲナーゼ(COX)の働きにより合成される生理活性物質で、炎症の代表的なメディエーターとなる。細胞外から種々の刺激に反応して生体膜のリン脂質がホスホリパーゼA2 (PLA2)により、まず不飽和脂肪酸のアラキドン酸に変換される。この遊離したアラキドン酸を基質として、脂肪酸酸化酵素であるCOXの作用により、PGG2, PGH2へと変換され、さらに各種細胞に存在する特異的な合成酵素により生理的に重要な4種類のプロスタグランジン(PGD2, PGE2, PGF2a, PGI2)とトロンボキサン(thromboxane; TX)A2が合成される。COXにはCOX-1とCOX-2の2種類のアイソザイムが知られている。COX-1は生理的な役割を担い、COX-2は炎症や発がんに関連している。COX-2は炎症性刺激や増殖因子やサイトカインによって産生や活性が増強される。

プロスタグランジンE2はIL-6の産生を促進する作用があるため、COX-2阻害剤はIL-6の産生を抑えます。
さらに、COX-2阻害剤のセレコキシブ(celecoxib)には、がん細胞のSTAT3の活性化(リン酸化)を阻害する作用も報告されています。以下のような報告があります。

Anticancer effects of celecoxib through inhibiton of STAT3 phosphorylation and AKT phosphorylation in nasopharyngeal carcinoma cell lines.(セレコキシブは鼻咽頭がん細胞株においてSTAT3リン酸化とAKTリン酸化を阻害することによって抗腫瘍作用を示す)Pharmazie. 2014 May;69(5):358-61.

鼻咽頭がん細胞株の培養細胞を用いた実験系で、セレコキシブ(celecoxib)は用量依存的にがん細胞の増殖を抑制し、その作用機序としてSTAT3の活性化(リン酸化)を阻害して、STAT3の標的遺伝子であるSurvivin、Mcl-1、Bcl-2、サイクリンD1の発現を抑制することを報告しています。

Celecoxib suppresses the phosphorylation of STAT3 protein and can enhance the radiosensitivity of medulloblastoma-derived cancer stem-like cells.(セレコキシブはSTAT3のリン酸化を抑制し、髄芽腫由来のがん幹細胞様細胞の放射線感受性を高める)Int J Mol Sci. 2014 Jun 18;15(6):11013-29. 

髄芽腫(medulloblastoma)は、神経系に発生する悪性腫瘍で、非常に予後が悪い脳腫瘍です。がん幹細胞が抗がん剤や放射線治療に抵抗性を示すので、治療を行っても再発を高頻度におこします。
この論文では、COX-2阻害剤のセレコキシブがSTAT3のリン酸化を阻害して、がん幹細胞様の性質を抑制することによって放射線感受性を高める効果を報告しています。

Angiostatic properties of sulindac and celecoxib in the experimentally induced inflammatory colorectal cancer.(炎症で発生させる大腸がんの実験モデルにおけるスリンダクとセレコキシブの血管新生阻害作用)Cell Biochem Biophys. 2013 Jun;66(2):205-27. 

発がん剤を用いた大腸発がん実験では、炎症性サイトカインの産生が亢進し、NF-κBやSTAT3の核内移行(=転写活性の亢進)、血管新生に関与するタンパク質(MMP-2とMMP-9)の産生が増えています。このような炎症に関連した因子ががんの発生を促進しています。
この論文では、抗炎症剤のスリンダクセレコキシブが、これらの炎症性過程を抑制して発がんを抑制することを報告しています。
セレコキシブはCOX-2阻害作用だけでなく、COX-2非依存性の機序での抗腫瘍効果も知られています。 IL-6/JAK/STAT3の阻害作用も関連していることが示唆されているので、がん治療に積極的に利用する価値は高いと思います

【オーラノフィンのSTAT3阻害作用】
オーラノフィン(Auranofin)は、関節リュウマチの治療に使われる経口金製剤です。通常、非ステロイド抗炎症剤を使用しても効果がないときに使われます。
最近、オーラノフィンの抗腫瘍効果が注目されており、米国ではがん治療へのオーラノフィンの効果を検討する第2相臨床試験の実施がFDA(食品医薬品局)から承認されています。
オーラノフィンの抗腫瘍作用のメカニズムとして様々な作用が報告されていますが、特にチオレドキシン還元酵素の阻害による抗がん剤作用が注目されています。これに関しては424話で解説しています。
オーラノフィンがSTAT3の活性化を阻害する作用が報告されています。つまり、オーラノフィンの抗炎症作用と抗がん作用の共通の作用メカニズムとしてSTAT3の阻害作用が提唱されています。以下のような報告があります。

Auranofin blocks interleukin-6 signalling by inhibiting phosphorylation of JAK1 and STAT3.(オーラノフィンはJAK1とSTAT3のリン酸化を阻害することによってインターロイキン-6シグナル伝達系を阻害する)Immunology. 122(4):607-14.2007年

【要旨】
オーラノフィンはイオウ含有の金製剤で、抗炎症作用と免疫抑制作用を有し、関節リュウマチの治療薬として広く使用されている。しかしながら、その作用機序については十分に解明されていない。
オーラノフィンの抗炎症作用の作用メカニズムを解明する目的で、インターロイキン-6(IL-6)に対する細胞応答に対するオーラノフィンの作用を検討した。
ヒト肝臓がん細胞HepG2を用いた実験で、オーラノフィンはIL-6によるヤーヌスキナーゼ1(JAK1)とSTAT3のリン酸化と、STAT3の核への移行を阻害した。
この実験結果と一致して、オーラノフィンはIL-6で産生が誘導されるハプトグロビン、フィビリノーゲン、補体C3、α1-酸性糖タンパク質などの急性期タンパク質(炎症の急性期に肝臓から産生されるタンパク質)の産生、および血管内皮細胞増殖因子の遺伝子発現を抑制した。これらの遺伝子の転写活性はSTAT3によって活性化されることが知られている。
関節リュウマチ患者の滑膜細胞、ヒトの𦜝帯静脈の血管内皮細胞、ラットのアストロサイトを使った実験でも、オーラノフィンによるSTAT3のリン酸化の阻害作用が確認された。
オーラノフィンによるSTAT3リン酸化の阻害作用は、チオール基をもつ抗酸化剤を添加することによって減弱した。
これらの実験結果は、オーラノフィンの抗炎症作用にはJAK1/STAT3シグナル伝達系の阻害作用が関与していることを示唆している。この作用にはチオール基反応性のタンパク質がJAK1/STAT3リン酸化に関与していることを示唆している。

オーラノフィンチオレドキシン還元酵素を阻害する作用があります。 チオレドキシン(Thioredoxin: Trx)は、分子内に酸化還元活性を有するSH基(チオール基)を持つ抗酸化酵素です。
還元型チオレドキシンは、酸化された標的タンパク質に結合し、標的タンパク質のジスルフィド結合(S-S)をチオール基(-SH)に還元し、チオレドキシン自身の チオール基は酸化されます。酸化型チオレドキシンは、NADPHの存在下でチオレドキシン還元酵素の作用により還元され、 再び還元型に戻ります(下図)。

図:チオレドキシンは-Cys-Gly-Pro-Cys-という大腸菌から哺乳類までよく保存された活性部位を持ち、この活性部位の2つのシステイン基の間でジスルフィド(S-S)結合を作る酸化型とジチオール(-SH-SH)を作る還元型が存在する。還元型チオレドキシンは、酸化された標的タンパク質に結合して標的タンパク質のジスルフィド結合(S-S)をチオール基(-SH)に還元し、チオレドキシン自身のチオール基(-SH)は酸化されてジスルフィド(S-S)になる。酸化型チオレドキシンは、NADPHの存在下でチオレドキシン還元酵素の作用により還元され、再び還元型に戻る。NADPHはペントースリン酸回路で産生される。オーラノフィンはチオレドキシン還元酵素を阻害する。

つまり、チオール基(-SH)をもつタンパク質がJAK/STAT3の活性化に関与しており、オーラノフィンのJAK/STAT3活性化阻害作用はチオレドキシン還元酵素阻害作用が関与していることを示しています
これはチオール基をもつ抗酸化剤(N-アセチルシステインやグルタチオン)を添加するとオーラノフィンのJAK1/STAT3活性化阻害作用が阻止されたことから示されています。
NF-κBは炎症や細胞のがん化を促進する転写因子です。NF-κB活性が高まると、アポトーシスが起こりにくくなり、がん細胞の増殖や転移が起こりやすくなります。(261話
NF-κBはリポポリサッカライド(LPS)、IL-1、TNF-α、酸化ストレス(活性酸素)で活性化されます。 NF-κBはIL-6の遺伝子発現を促進します。オーラノフィンはNF-κBを阻害する作用もあるようですが、STAT3とNF-κBを同時に阻害すると、抗炎症作用と抗がん作用が強化できるという話です。

Antiproliferative effect of gold(I) compound auranofin through inhibition of STAT3 and telomerase activity in MDA-MB 231 human breast cancer cells.(ヒト乳がん細胞MDA-MB231におけるSTAT3とテロメラーゼ活性の阻害による有機金化合物オーラノフィンの増殖抑制効果)BMB Rep. 46(1): 59-64, 2013年

【要旨】
STAT3とテロメラーゼはがん治療のターゲットとして重要である。この研究では、STAT3が恒常的に活性化されているヒト乳がん細胞株MDA-MB231細胞を用いて、金製剤(有機金化合物)オーラノフィンのin vitro(試験管内の実験)における抗がん活性について検討した。
培養細胞の実験において、オーラノフィンは用量依存的にがん細胞の増殖を阻害した。 この阻害作用は、活性酸素の消去剤であるN-アセチル-L-システイン(NAC)によって阻止された
DNA合成およびソフト寒天における足場非依存性増殖をオーラノフィンは抑制した。
オーラノフィンは、乳がん細胞におけるSTAT3のリン酸化とテロメラーゼ活性を抑制した。しかし、NAC(N-アセチル-L-システイン)で前処理すると、オーラノフィンによるSTAT3リン酸化とテロメラーゼ活性の阻害作用は阻止された
これらの結果は、ヒト乳がん細胞MDA-MB231に対するin vitroの抗腫瘍効果はSTAT3とテロメラーゼ活性の阻害が関与している可能性を示唆している。
このように、オーラノフィンはSTAT3とテロメラーゼをターゲットにする新規の抗がん剤としての可能性を示している。

関節リュウマチ(Rheumatoid Arthritis)は炎症性自己免疫疾患で、自己の免疫が手足の関節の組織を攻撃する結果、関節の痛みや変形が発生する疾患です。
関節リュウマチの治療は、免疫抑制作用や抗炎症作用が主なターゲットになります。 つまり、免疫細胞を活性化するシグナル伝達系や炎症を増悪させるシグナル伝達系を抑制する作用が、関節リュウマチの治療に効果を発揮します。
そこで、抗炎症作用を有する関節リュウマチの薬ががんの治療薬となる可能性があります。 実際に、抗炎症作用のある抗リュウマチ薬のシクロオキシゲナーゼ-2(COX-2)阻害剤などの非ステロイド性抗炎症剤(NSAIDs)、炎症性サイトカインのTNF-αやIL-6の働きを阻害する抗体薬、JAK阻害剤、金製剤のオーラノフィン、スルファサラジンなどのがん治療効果が報告されています。
逆に、抗がん剤として開発されたメソトレキセート(葉酸代謝拮抗剤に分類される抗悪性腫瘍薬)やリツキシマブ(B細胞の発現するCD20に対する抗体薬)のように関節リュウマチの治療薬に認可されたものもあります。
抗IL-6受容体抗体薬やJAK阻害剤は、高額であったり副作用の観点から安易には使えませんが、オーラノフィンは極めて安価です。下痢などの消化器症状やその他の副作用には十分に気をつけなければなりませんが、その作用機序と副作用を十分に理解して使用すればがん治療に利用価値が高い薬かもしれません。

図:STAT3(シグナル伝達兼転写活性化因子-3)は不活性な状態では細胞質に存在する。IL-6や成長因子(EGFなど)などの受容体が刺激されたり、非受容体性チロシンキナーゼの活性化によってSTAT3がリン酸化されると、STAT3は二量体を形成して核内に移行する。核内に移行したSTAT3二量体は、標的となるDNAに結合する事で標的遺伝子の転写を活性化する。STAT3は細胞をアポトーシス抵抗性にするBcl-2やBcl-XL、細胞周期を促進するサイクリンD1(Cyclin D1)などの遺伝子発現を誘導することによってがん細胞の増殖や転移を促進する。関節リュウマチの治療薬である有機金化合物のオーラノフィンはSTAT3の活性化や炎症細胞の活性化を阻害する作用があり、がん細胞の増殖や転移を予防する効果が報告されている。 

【植物成分のSTAT3活性化阻害】
丹参(たんじん)という生薬の活性成分のクリプトタンシノン(cryptotanshinone)が、STAT3のSH2ドメインに結合することによってリン酸化STAT3の二量体化を阻害することによってSTAT3の活性化を阻止するという報告があります。
丹参に含まれるクリプトタンシノンなどのタンシノン成分は、シクロオキシゲナーゼ-2(COX-2)阻害作用、オーロラ-Aキナーゼの阻害作用、AMP活性化プロテインキナーゼ(AMPK)の活性化作用など丹参に含まれる抗がん成分の作用機序に関する報告が増えています。
微小管に作用する抗がん剤のビノレルビンパクリタキセルが乳がん細胞のSTAT3リン酸化を阻害するという報告があります。
ビノレルビン (vinorelbine)は、植物由来のビンカアルカロイド系の抗がん剤で、チュブリンの重合を阻害することによって細胞分裂を阻害します。
パクリタキセル (paclitaxel)はタキサン系の抗がん剤で、微小管に結合して安定化させ、脱重合を阻害することで細胞分裂を阻害します。
STAT3のリン酸化には微小管の働きも関与しているので、これらの微小管の重合や脱重合を阻害する抗がん剤にSTAT3の活性化を阻害する作用があるのかもしれませんが、詳しいメカニズムはまだ不明です。
ビノレルビンもパクリタキセルも植物に含まれる抗がん成分から開発された抗がん剤で、がんの漢方治療で使用される生薬の中には微小管に作用する成分は多く見つかっています。つまり、漢方薬の抗がん作用のメカニズムの一つに微小管やSTATへの作用が推測できます。
生薬などの植物に含まれるベツリン酸(Betulinic acid)オレアノール酸(Oleanolic acid)ウルソール酸(Ursolic acid)などの五環系トリテルペノイドもSTAT3経路を阻害する作用が報告されています。
生薬としては、これらのトリテルペノイドは白花蛇舌草、夏枯草、大棗、チャーガ、連翹などに多く含まれており、これらの抗腫瘍効果の活性成分として知られています。つまり、漢方薬の抗炎症作用や抗がん作用のメカニズムとしてJAK/STAT3経路の阻害作用が関与している可能性を示唆しています
進行がん患者の多くで血中のIL-6の濃度が高くなっており、IL-6の量が多いほどがんの進行が早く、予後が悪いことが知られています。
がんとの共存を考えるとき炎症性サイトカインの産生やIL-6/JAK/STAT3経路や血管新生の過程を阻害する方法の組合せが期待できます。この目的には、セレコキシブ、ジインドリルメタン、オーラノフィン、サリドマイドの組合せは効果が期待できます。(トップの図参照)

 

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