265)ピルビン酸脱水素酵素の活性化をターゲットにしたがん治療

図:がん細胞では、ピルビン酸を乳酸に変換する乳酸脱水素酵素の活性(嫌気性解糖系によるエネルギー産生)が亢進し、ピルビン酸をアセチルCoAに変換するピルビン酸脱水素酵素の活性が低下しているため、ミトコンドリアでのTCA回路と電子伝達系によるエネルギー産生は低下している。低酸素になると誘導される低酸素誘導性因子(HIF-1)はピルビンン酸脱水素酵素キナーゼの発現を促進してピルビン酸脱水素酵素の活性を低下させる。ピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害するジクロロ酢酸ナトリウム、ピルビン酸脱水素酵素の補酵素のR体-αリポ酸、嫌気性解糖系を阻害する半枝蓮などを併用すると、このがん細胞特異的な嫌気性解糖系の亢進を是正し、がん細胞を死滅させることができる。HIF-1はがん細胞にトランスフェリン受容体の発現を促進して鉄の取り込みを促進するので、がん細胞内の鉄と反応してフリーラジカルを発生するアルテスネイトは抗腫瘍効果を増強する。がん細胞の代謝異常の特徴を利用した治療法を複数組み合わせると、がん細胞の増殖を抑制し死滅させることができる。R体-αリポ酸の光学異性体であるS体-αリポ酸はピルビン酸脱水素酵素の活性を阻害するので、サプリメントでαリポ酸を摂取するときにはR体のみのものを使用するのが重要。(日本で販売されているαリポ酸のサプリメントはR体とS体を含むラセミ体のものが多い)

265)ピルビン酸脱水素酵素の活性化をターゲットにしたがん治療

【がん細胞はエネルギーの多くを嫌気性解糖系に依存している】
細胞を働かせる元になるエネルギーは、栄養として食事から取り入れたグルコース(ブドウ糖)を分解してATPを作り出すことによって得ています。ATPアデノシン3リン酸(Adenosine Triphosphate)の略語で、エネルギーを蓄え供給する分子として「生体エネルギーの通貨」としての役割を持っています。
ヒトの血液100ml中にはおよそ80~100mgのブドウ糖が存在します。ブドウ糖は血液中から細胞に取り込まれ、1)解糖(glycolysis)、2)TCA回路(クエン酸回路やクレブス回路と呼ばれる)、3)電子伝達系における酸化的リン酸化をへて、二酸化炭素と水に分解され、エネルギー(ATP)が取り出されます。

解糖(かいとう)はグルコースがピルビン酸になる過程で、この酵素反応は細胞質で行われます。ピルビン酸は酸素の供給がある状態ではミトコンドリア内に取り込まれて、ピルビン酸脱水素酵素の作用でアセチルCoAに変換され、TCA回路と電子伝達系によってさらにATPの産生が行われます。
TCA回路で生成されたNADHやFADH2は、ミトコンドリア内膜に埋め込まれた酵素複合体に電子を渡し、この電子は最終的に酸素に渡され、まわりにある水素イオンと結合して水を生成します。このようにTCA回路で産生されたNADHやFADH2の持っている高エネルギー電子をATPに変換する一連の過程を酸化的リン酸化と呼び、これの酵素反応をおこなうシステムを電子伝達系と呼びます。こうしてつくられたATPはミトコンドリアから細胞質へ出て行き、そこで細胞の活動に使われます。ミトコンドリアにおけるTCA回路と酸化的リン酸化は、酸素呼吸をする生物全般に存在するエネルギー産生のための生化学反応です。
一方、酸素の供給が十分でない場合は、ピルビン酸は細胞質で乳酸脱水素酵素(LDH)の作用で乳酸に変換されます。この生化学反応を嫌気性解糖(aerobic glycolysis)と言います。運動をして筋肉細胞に乳酸が貯まるのは、酸素の供給が不足して嫌気性解糖が進むからです。
酸素が十分にある状態では、ミトコンドリア内で効率的なエネルギー生産が行われ、1分子のグルコースから36分子のATPが作られます。一方、嫌気性解糖系では1分子のグルコースから2分子のATPしか作れません。
がん細胞は酸素が少ないところでも増殖できるように嫌気性解糖系が活性化されています。そして、酸素が豊富な状態でも、がん細胞は嫌気性解糖系でエネルギーを産生しているのが特徴です。
がん細胞では、低酸素と遺伝子変異によって、ピルビン酸から乳酸に代謝する乳酸脱水素酵素(lactate dehydrogenase )の発現が高まり、ピルビン酸脱水素酵素(pyruvate dehydrogenase)の活性を低下させることによって嫌気性解糖系を活性化していることが報告されていますさらに、がん遺伝子のc-Mycと低酸素状態で発現するHypoxia-inducible factor 1(HIF-1:低酸素誘導因子-1)は、がん細胞における乳酸脱水素酵素の産生を高めることが報告されています。また、HIF-1(低酸素誘導因子-1)は、ピルビン酸脱水素酵素の活性を阻害するピルビン酸脱水素酵素キナーゼの遺伝子発現を促進することも報告されています

【嫌気性解糖系を阻害し、TCA回路を亢進すればがん細胞は死にやすくなる】
がん細胞のエネルギー産生の特徴として、1)がん細胞ではグルコースから大量の乳酸を作っている(嫌気性解糖系が亢進している)、2)がん細胞は酸素が無い状態でもエネルギーを産生できる(がんは低酸素の所に発生する!)、3)がん細胞は酸素が十分に存在する状態でも、酸素を使わない方法でエネルギーを産生している(ミトコンドリアでの酸化的リン酸化反応の低下)ことを80年ほど前にオットー・ワールブルグ博士が発見し、ワールブルク効果と呼ばれるようになりました。ワールブルグ博士の言葉では、「がんとは嫌気的な生き物」ということです。
さて、がん細胞におけるこのようなエネルギー産生の特徴は、それががん細胞の生存にメリットがあるからと考えられます。嫌気性解糖系でのエネルギー産生より、ミトコンドリアでの酸素を使ったエネルギー産生の方がエネルギー産生の効率は高いので、細胞増殖の盛んながん細胞にとってはミトコンドリアでのエネルギー産生の方がメリットがありそうに思うのですが、実際は逆で、効率の悪い嫌気性解糖系でのエネルギー産生を使っています。
嫌気性解糖系を亢進させることのメリットには幾つかの理由があります。嫌気性解糖系が亢進するとがん細胞はブドウ糖を多く取り込み、ブドウ糖から代謝される物質を増やすことによって、細胞分裂に必要な核酸や脂質などの細胞成分の材料の合成を増やすことができます。また、細胞がアポトーシスで死ぬ過程では、ミトコンドリアの電子伝達系で不可欠の因子であるシトクロームCが重要な役割を果たしています。つまり、ミトコンドリアにおける電子伝達系の活性を抑えることはがん細胞がアポトーシスを起こしにくくする(死ににくくなる)メリットがあります。
このようながん細胞における代謝の変化には、様々ながん遺伝子や転写因子やシグナル伝達機構が関与していて極めて複雑です。しかし、このようながん細胞に特徴的な変化を正常細胞に近い方向に是正できれば、がん細胞の増殖を抑えられる可能性があり、「がん細胞の代謝異常の正常化」ががん治療のターゲットとして注目されています。
例えば、嫌気性解糖系を亢進させている原因の一つである低酸素誘導因子(HIF)という転写因子の活性を阻害する方法、乳酸脱水素酵素を阻害して嫌気性解糖系の活性を低下させる方法、ピルビン酸脱水素酵素の活性を高めることによってミトコンドリアでのTCA回路と酸化的リン酸化を亢進させる方法など様々な方法が試されています。
実験レベルですが、嫌気性解糖系の最終段階であるピルビン酸から乳酸への変換を触媒する酵素の乳酸脱水素酵素(Lactate Dehydrogenase: LDH)を阻害すると、嫌気性解糖系でのエネルギー産生が低下し、がん細胞の酸化的ストレスが増大し、腫瘍の増大が抑えられることが報告されています。
また、HIF-1はピルビン酸脱水素酵素を阻害するピルビン酸脱水素酵素キナーゼの発現を亢進しますが、ピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害するジクロロ酢酸ナトリウムは、ピルビン酸脱水素酵素を活性化して、TCA回路に移行するアセチルCoAの量を増やし、ミトコンドリアにおける酸化的リン酸化を促進し、活性酸素を発生させてがん細胞を死滅させる効果が報告されています。(ジクロロ酢酸ナトリウムについてはこちらへ
HIF-1はがん細胞のトランスフェリン受容体の発現を亢進して鉄の取り込みを促進しています。がん細胞内の鉄と反応してフリーラジカルを産生するアルテスネイトを併用すると、抗腫瘍効果を高めることができます。(アルテスネイトについてはこちらへ
HIF-1はがん細胞の増殖シグナル伝達系であるPI-3 kinase/Akt/mTORシグナル伝達系を介しても活性化されるため、がん細胞では、低酸素状態でなくてもHIF-1活性は亢進しています。漢方治療で使用される生薬成分の中には、PI-3 kinase/Akt/mTORシグナル伝達系を阻害するものも知られていますので、そのような生薬成分を使えば、さらに抗腫瘍効果を高めることができます。(233話参照
ノスカピンがHIFの活性を阻害する作用があることが報告されていますので、ノスカピンの併用も有効です。(ノスカピンについてはこちらへ
アルファリポ酸(別名:チオクト酸)はTCA回路(クエン酸回路)のピルビン酸脱水素酵素複合体の補助因子として、ミトコンドリアでのエネルギー産生に重要な役割を果たしています。アルファリポ酸はTCAサイクルのアルファケトグルタル酸脱水素酵素複合体も活性化します。このようにTCA回路の酵素を活性化して、がん細胞のミトコンドリアの酸化的リン酸化を高め、がん細胞を死にやすくする効果があります。
ピルビン酸脱水素酵素の活性を高める方法としてジクロロ酢酸ナトリウムとαリポ酸の組み合わせは相乗効果が期待できます。ただし、αリポ酸のサプリメントを利用するときは、R体のαリポ酸のみのサプリメントを摂取することが大切です。S体のαリポ酸はピルビン酸脱水素酵素を阻害する作用があるためです。

【αリポ酸の光学異性体について】
αリポ酸にはR体とS体という2種類の光学異性体(鏡像異性体)が存在することが知られています。光学異性体はちょうど右手と左手のように鏡写しの関係になっています。つまり、R体を鏡に写すとS体になるという関係です(下図参照)。

体内で生成されるαリポ酸はR体のみで、S体は天然には存在しません。しかし、αリポ酸を人工的に合成するとR体50%、S体50%の化合物が出来上がります。これをラセミ体と呼びます。サプリメントで使用されるαリポ酸のほとんどは人工合成ですので、ラセミ体です。
現在ではこのラセミ体からR体のみの単離が可能であり、R体だけを作り出せるようになっています。
αリポ酸の場合、S体やラセミ体と比較して、R体のみの方が生物活性(=効果)が高いという研究結果が数多く報告されています。例えば、αリポ酸の最も重要は活性であるピルビン酸脱水素酵素を活性化する作用はR体のみで、逆にS体のαリポ酸はピルビン酸脱水素酵素の活性を阻害します。
αリポ酸のサプリメントは、ラセミ体よりもR体のみを配合した製品の方が効果が高いのは明らかですが、ラセミ体(R体+S体)のαリポ酸からS体を分離してR体-αリポ酸のみにすると、非常に不安定な性質に変わるという弱点があります。単離したR体-αリポ酸は空気や熱、光、水分の存在下で容易に不溶性ポリマーに変化します。ポリマーというのは重合体とも呼ばれ、分子が多数結合することによって生成される分子量の大きな化合物です。αリポ酸は、2個のチオール基を持ち、光や熱の影響を受けやすく容易に不規則な架橋を形成するためです。不溶性ポリマーを形成すると消化管からの吸収が妨げられ、生体利用能が大きく低下し、効果が期待できません。
また、R体単独では融点が50~60℃と低いため加工や貯蔵中に変性しやすい欠点もあります。
このように、R体のみでは非常に不安定で、生体利用能が悪いという弱点があるため、αリポ酸のサプリメントの多くはラセミ体が使われているのが現状です。アメリカでは、R体-αリポ酸ナトリウム塩が食品成分として認可されており、R体-αリポ酸ナトリウム塩はR体-αリポ酸に比べ安定性が高いので、アメリカではR体-αリポ酸ナトリウム塩のサプリメントが販売されています。日本ではR体-αリポ酸ナトリウム塩は食品成分として認可されていないため、使用できません。
しかし、R体のα-リポ酸をガンマ-シクロデキストリン(γ-CD)で包接化すると、光や熱や胃酸に対する安定性が高まり、生体利用能が格段に高まることが確かめられています。
ガンマ・シクロデキストリン(γ-CD)は8個のブドウ糖が環状につながった環状オリゴ糖と呼ばれる天然成分です。γ-CDは底の無いカップ状をしており、その内径は約1nm(ナノメートル=10億分の1メートル)で、その内側は疎水性(親油性)を、外側は親水性を示し、疎水性(水に溶けにくい)物質をカップ内に取り込み固定します。これを「
包接」と呼びます。(ガンマ・シクロデキストリンについては210話参照)
R体-αリポ酸をγ-CDで包接化すると、R体-αリポ酸の安定性と吸収性と持続性(血液中にとどまる時間)が高まり、生体利用能が向上することが明らかになっています。
このガンマ・シクロデキストリンで包接したR体-αリポ酸のサプリメントが最近日本で開発されて販売されています。銀座東京クリニックでも、γ-CDで包接したαリポ酸のサプリメントをがんの補完・代替医療に使用しています。がん治療に利用するときは、ラセミ体では抗がん作用は期待しにくく、R体のみのαリポ酸(γ-CDで安定性と生体利用性を高めた製品)を摂取することが重要です。


(R体-αリポ酸のサプリメントについてはこちらへ

 

ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する
今あるがんが消えていく「中鎖脂肪ケトン食」
 

(詳しくはこちらへ

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 264)乳がん治... 266) シコニン... »