がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
271)胃がん手術後の体重減少と術後補助化学療法のコンプライアンス
図:ステージIIおよびIIIの胃がんの切除手術後にTS-1を12ヶ月間服用する術後補助化学療法により3年および5年生存率を10%程度高めることができる。しかし、12ヶ月間服用を継続できるのは全体の3分の2程度で、コンプライアンスの悪い点が問題になっている。術後1ヶ月間に起こる体重減少がTS-1継続率低下に関連していることが報告されている。すなわち、手術後の体重減少が大きいほどTS-1服用のコンプライアンスが低下する。したがって、手術後の体重減少の抑制が補助化学療法の継続率の向上と予後改善につながる可能性が示唆されている。胃がん手術後の体重減少の抑制に漢方治療は役立つ。
271)胃がん手術後の体重減少と術後補助化学療法のコンプライアンス
【術後補助化学療法とは】
早期のがんでリンパ節や他の臓器に顕微鏡レベルで転移が無いような状況であれば、がん組織を手術できれいに取りきれれば、理論的には再発は起こりません。
がんが大きかったり、がん細胞の悪性度が高かったり、リンパ節に転移しているようながんだと、手術時に目に見える転移を認めなくても、目に見えないレベルの転移が起こっている確率が高く、実際にすでに転移が起こっていれば、その多くは転移巣が発育して数ヶ月から数年後に再発します。
しかし、目に見えないレベルの転移があってもすべてが再発するわけではありません。ナチュラルキラー細胞などの免疫細胞が十分に働けば、残っているがん細胞を消滅させることもできます。食事療法や生活習慣の改善などで、再発のリスクを減らすことは可能です。漢方治療の立場では、体の治癒力や免疫力を高めて再発を予防する方法を重視しています。
しかし標準治療の立場では、がんが進行していて、すでに目に見えないレベルの転移が存在する確率が高い場合には、積極的に抗がん剤治療が行われます。こうした目に見えない微小転移が存在すると仮定して、これに対して行う化学療法を「術後補助化学療法」と呼びます。
この術後補助化学療法は、転移があるかどうか判らない状態で実施するため、実際には転移が無い人にとっては、全くメリットはなく、むしろ抗がん剤による副作用や、高価な薬代や、通院や検査による時間的拘束など多くのデメリットがあるという問題を持っています。
しかし、大きくなってから抗がん剤治療を行うより、目に見えないくらい小さいときに抗がん剤の治療を行うと、治療効果が出やすいという想定のもとに、多くのがんで術後補助化学療法が行われています。胃がんや大腸がんや乳がんなどの固形がんの場合、一般的には抗がん剤でがん細胞を消滅させることは難しいのですが、がんがまだ小さいときは、血管新生を阻害すると、がんは成長できず消滅します。抗がん剤は腫瘍血管の新生を阻害する作用があり、目に見えないレベルのがんの場合は、抗がん剤治療によって血管新生阻害による効果が出やすいので、再発予防効果が期待できる可能性が指摘されています。さらに、腫瘍が小さいほど腫瘍内の抗がん剤耐性細胞は少なく、また薬剤到達性が良好であるため抗がん剤治療の効果が出やすい可能性も指摘されています。
また、手術自体によってがん細胞の増殖や転移が促進される可能性があるので、それを防ぐために術後の抗がん剤治療を行う方が良いという意見もあります。すなわち、手術操作によってがん細胞が血中や腹腔内に散布される可能性、原発巣を切除すると微小転移巣が急激に増大する可能性(112話参照)、手術侵襲により炎症性サイトカインの産生が増加しこれらのサイトカインが残ったがん細胞の増殖を促進する可能性、などが指摘されています。
しかし、術後補助化学療法を行っているときに、本当にそれが効いているのかどうか判らないというのが問題です。術後補助化学療法を行って再発しなかった場合、抗がん剤治療が残ったがん細胞を死滅させてくれたのか、そもそもがん細胞は残っていなかったのか、誰にもわかりません。また、術後補助化学療法を行わずに再発した場合、抗がん剤治療を行っていれば再発しなかったかどうかもわかりません。つまり、術後補助化学療法の場合には、がんが残っていてもそれを検査で検出することができないので、個々の患者さんレベルでは、今の治療が効いているのか効いていないのかの評価はできないということになります。
この問題を解決するために、術後補助化学療法を行わなかった場合と行った場合の再発率や生存期間を比較する臨床試験が行われることになります。ランダム化二重盲検試験による大規模な臨床試験で有効性が証明されれば、たとえ一部の患者さんにはデメリットしかなくても、患者集団全体でみれば利益があるという根拠から、術後補助化学療法が推奨されることになります。どのような抗がん剤治療が有効か、どのくらいの進行度のがんに対して実施するのが良いか、どのくらいの期間行うのが良いかなどが臨床試験で検討されています。
このような臨床試験の結果、乳がんや大腸がんや胃がんなどで、手術で取りきれたと判断された場合でも、リンパ節転移があるなど進行度によっては術後補助化学療法を行うことの有効性が示唆されてきました。
【胃がんの術後補助化学療法】
2004年に日本胃癌学会から出された『胃癌治療ガイドライン(第2版)』の術後補助化学療法の項目をみると,「現在まで確実な延命効果を証明したエビデンスは乏しい。」「延命効果を指標とし手術単独群を対象とした大規模臨床試験を早急に行うべきで,術後補助化学療法を日常臨床とすることはできない。」とあります。つまり胃がんにおいては2004年までの段階では,術後補助化学療法のエビデンスはありませんでした。しかしその後,D2廓清したstage IIおよびIIIの胃がん治癒切除例を対照に生存率をエンドポイントとして手術単独群とTS-1投与群による臨床試験(Adjuvant Chemotherapy Trial of TS-1 for Gastric Cancer;ACTS-GC)が日本国内109施設が参加して行われ、 TS-1投与群(TS-1:80-120mg/day, 4週間服用2週間休薬を12ヶ月間)が手術単独群に比較し,3年生存率で81.9%対70.1%と有意に予後良好であることが2007年に報告されました。その後、5年全生存率は手術単独群で61.1%に対して補助化学療法(TS-1投与)群で71.7%と生存率が10%も高いという結果がでています。その結果、現在ではstage II,IIIの治癒切除後の1年間のTS-1投与が標準治療になっています。
【術後の体重減少とTS-1服用のコンプライアンス】
TS-1(一般名:テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム)は代謝拮抗薬に分類される経口の抗がん剤で、5-FUの効果を高め副作用を軽減することを目的として開発され、胃がんや大腸がんや膵臓がんなどで使用されています。副作用は比較的少なく、多い副作用は食欲不振や吐き気や下痢です。抗がん剤治療の継続ができなくなるGrade3/4の副作用の頻度が少ない薬ではありますが、それでも、12ヶ月間服用が継続できたのは65.8%という結果でした。つまり3人に一人は目標の12ヶ月間の服用ができなくて脱落しています。(ACTSGCでのコンプライアンスは3ヶ月で87.4%、6ヶ月で77.9%、9ヶ月で70.8%、12ヶ月で65.8%でした)
このように、胃がんの術後補助化学療法では、補助化学療法のコンプライアンスが悪いのが問題になっています。コンプライアンスとは、企業では法令遵守のことですが、薬学では患者が薬を薬剤規定どおりに飲むことを意味します。つまり、この場合、コンプライアンスが低いというのは、予定通りに薬を飲めない(あるいは飲まない)ことを意味します。
TS-1による術後補助化学療法で生存率を上げることができるというデータが出ていますので、このTS-1服用のコンプライアンスを向上させることができれば、さらに補助化学療法の有用性が増すと推測されます。
神奈川県立がんセンター消化器外科のグループが第49回日本癌治療学会学術集会(2011年10月27日)で、「S1補助化学療法の継続率を決定する開始時の因子」というタイトルの研究を発表しています(S1とTS-1は同じ)。この研究では、TS-1服用のコンプライアンスを低下させる要因は何かを検討しています。年齢、Performance Status、術式、体重減少率(%BW-loss)、アルブミン値、Stageを解析した結果、体重減少率のみがS-1術後補助化学療法の継続率を決定する唯一の有意な危険因子(ハザード比2.437、p=0.039)であることを明らかにしています。
この研究では、Stage II/IIIと診断されD2胃切除術を受け、TS-1の術後補助化学療法を受けた症例75例(胃全摘46例、幽門側胃切除29例)を解析しています。
術前体重に対する体重の割合(%BW)は、1カ月後:91.7%、3カ月後:87.1%、6カ月後:85.9%、12カ月後:87%。%BWを術式別に見ると、胃全摘から1カ月後:90.4%、3カ月後:85.6%、6カ月後:83.1%、12カ月後:82.4%で、胃切除術から1カ月後:93.2%、3カ月後:89.9%、6カ月後:90.4%%、12カ月後:90.4%でした。術後の体重減少は手術侵襲の大きさと術後の栄養摂取によって決まるので、胃全摘の方が幽門側胃切除より体重減少率が高いのは当然です。
TS-1の継続率は、3カ月後で74.4%、6カ月後で65.5%でした。体重減少率で検討すると、体重減少が15%未満の場合は、3カ月後の継続率は82.8%、6カ月後は73.2%でしたが、体重減少率が15%以上の場合は、3カ月後の継続率は54.6%、6カ月の継続率は45.5%と有意に低値でした。
この研究結果から、胃がん切除術後の体重減少は、TS1の補助化学療法の継続率を低下させる要因であることが示されました。術後1カ月間に起こる体重減少を抑制できれば、補助化学療法の継続率が向上し、引いては予後改善につながる可能性が示唆されると、演者は述べています。
さて問題は、胃がん切除術後の体重減少を防ぐ方法です。手術後の体重減少がQOL や予後や抗がん剤服用のコンプライアンスを悪くすることは判っていても、有効な治療法は栄養摂取を増やすことくらいしかありません。中心静脈栄養などで栄養状態を無理矢理上げるという方法はありますが、費用もかかるし、保険で認められないので現実的ではありません。現実的な方法としては、術後の食事摂取の開始を早めたり、体重減少を抑制するEPA(エンコサペンタエン酸)を高濃度に含む栄養剤の補助などが考えられます。
胃がん術後の古典的な術後管理では、術前日の夕食から術後1週間は絶飲食で、8日目の造影検査後から流動食を開始しています。最近は、早期経口開始法(術後4日目から経口摂取を開始)やERAS(enhanced recovery after surgery)管理法(術後2日目に濃厚流動食を開始)など、術後早期からの栄養摂取の開始が行われています。前述の神奈川県立がんセンターの消化器外科のグループは第84回日本胃癌学会総会(2012年2月8~10日)で、「入院時の体重に対する術後1カ月の体重割合をみた結果、古典的管理法で最も体重減少が大きく、胃切除術を受けた患者では、古典的管理法では84%だが、早期経口開始法では92.9%、ERAS管理法では92.3%。胃全摘術の患者では、それぞれ79%、91.3%、92.5%であった。」と報告しています。したがって、経口摂取を早期に開始するのは一つの解決策ですが、これだけでは胃癌術後の体重減少の抑制に限界があるため、「栄養剤の介入が必要」と言っています。そのため、胃全摘術を予定する患者を対象に、高濃度EPA(エイコサペンタエン酸)を含有する栄養剤を術前術後に投与するフェーズ3試験が進められているそうです。
オメガ3多価不飽和脂肪酸であるドコサヘキサエン酸(DHA)やエイコサペンタエン酸(EPA)には、IL-6などの炎症性サイトカインの産生抑制など抗炎症作用があり、がんの悪化や進展を抑制する効果や、正常組織や臓器の機能を改善する効果、体重減少を抑制する効果などが指摘されています。したがって、DHAやEPAは手術後の体重減少や栄養状態の悪化を防ぐ効果が期待できます。
【漢方薬は手術後の回復力を促進し体重減少の予防に有効】
術後の体重減少を予防する目的では漢方治療も効果があります。漢方治療は大きな病気の後の食欲や体力や回復力を高める効果に関しては多大な効果を発揮します。したがって、がんの手術の前後に、漢方治療を積極的に併用する意味はあると思います。
手術後の漢方治療の要点は、手術により傷ついた正気(せいき)(=体に備わる治癒力・抵抗力)をできるだけ早く回復させ、がん再発を予防するための免疫力を増強することが目標になります。滋養強壮効果や血液・体液の循環を促進し新陳代謝を良くする効果を利用すれば、傷の修復を促進し、回復のための時間を短縮させ、合併症を軽減させ、体重を増やすことができます。
手術前の準備として体力や抵抗力を高め臓器機能を調節することは、手術の適応能力を高め、手術が順調に成功するポイントとなります。特に高麗人参(こうらいにんじん)と黄耆(おうぎ)は体力や抵抗力を高める重要な生薬であり、この両方を含む十全大補湯(じゅうぜんだいほとう)・人参養栄湯(にんじんようえいとう)・補中益気湯(ほちゅうえっきとう)などは手術の適応能力を高める基本方剤といえます。
体重減少の予防のために漢方治療では、食欲を高める生薬や滋養強壮作用のある生薬が主に使われます。すなわち、体力や抵抗力を高める高麗人参(コウライニンジン)、紅参(コウジン)、田七人参(デンシチニンジン)のような人参(Ginseng)類や、黄耆(オウギ)、大棗(タイソウ)、炙甘草(シャカンゾウ)、当帰(トウキ)、熟地黄(ジュクジオウ)、枸杞子(クコシ)、女貞子(ジョテイシ)などの生薬を多く使います。このような滋養強壮薬は、ダメージを受けた細胞や組織の修復や回復を促進する目的では有効です。胃腸の状態を良くし、食欲を高める生薬としては、陳皮(チンピ)、蓮肉(レンニク)、白朮(ビャクジュツ)、生姜(ショウキョウ)などがあります。
手術直後で組織のダメージで炎症性サイトカインの産生が多いときには、抗炎症作用のある清熱解毒薬を併用することが重要です。炎症性サイトカインは組織の異化を促進して体重を減少させるからです。
清熱解毒薬に分類される生薬としては、黄連(オウレン)・黄ごん(オウゴン)・黄柏(オウバク)・山梔子(サンシシ)・欝金(ウコン)、夏枯草(カゴソウ)・半枝蓮(ハンシレン)・白花蛇舌草(ビャッカジャゼツソウ)・山豆根(サンズコン)・板藍根(バンランコン)・大青葉(タイセイヨウ)・蒲公英(ホコウエイ)などがあり、感染症や化膿性疾患に使用されていますが、抗腫瘍効果増強にも有用な生薬です。
清熱薬の代表である黄連(キンポウゲ科オウレンの根茎)には、がんを移植したマウスの実験で悪液質改善作用が報告されています。その機序として、炎症性サイトカインの産生抑制やがん細胞増殖の抑制作用などが示唆されています。
黄ごんに含まれるフラボノイトや、ウコンに含まれるクルクミン、板藍根や大青葉に含まれるグルコブラシシンがNF-κBを阻害して炎症性サイトカインの産生を抑えることが報告されています。
以上のように、手術直後の体重減少の予防には、炎症性サイトカインの関与にも目を向け、炎症性サイトカインの作用を抑える方法が有効であることを理解しておく必要があります。つまり、手術後の体重減少を防ぎ、体重増加を目標にした漢方治療では、胃腸の働きを良くし食欲を高める生薬、滋養強壮作用のある生薬、血液循環や新陳代謝を良くする生薬、抗炎症作用のある生薬をバランス良く組み合わせることが重要です。
手術後の栄養管理法において水分や電解質の補正や栄養の補給は治療の基本ですが、さらに適切な漢方薬を併用することによって体重減少を防ぎ、体力や抵抗力を高めることも有用です。胃がん術後の補助化学療法の成績を高める目的で、術後の体重減少を防ぎ、体力と免疫力を高める漢方治療はもっと利用されてよいと思います。
(漢方煎じ薬についてはこちらへ)
« 270)抗がん剤... | 272)多段階発... » |