がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
272)多段階発がんと漢方の発がん予防と抗腫瘍効果
図:正常細胞ががん化する過程は、遺伝子が傷ついてがんへの道を歩みだす「イニシエーション(initiation)」、がん細胞の性質を獲得していく「プロモーション(promotion)」、悪性度がさらに進行する「プログレッション(progression)」という3つの段階に分けられ、遺伝子異常(DNA変異や発現異常)の蓄積によって次第に悪性度を増す方向に進展する。これを「多段階発がん」という。遺伝子変異を引き起こす原因には様々な変異原物質(発がん物質)や活性酸素や慢性炎症やウイルスなどがある。遺伝子の変異や発現異常によって細胞周期やアポトーシス(細胞死)の制御に異常が起こって無制限な自律増殖能を獲得し、さらに血管新生誘導や浸潤・転移能や抗がん剤耐性の獲得によって、転移や再発を起こし治療に抵抗する悪性度の高いがん細胞になる。このような多段階で多様な作用機序で悪性化するがん細胞に対しては、1つの作用点だけに作用する単一成分では効果がでない。漢方薬は多段階発がんの様々な作用点で抑制効果を発揮するので、がんの発生や再発の予防や治療において効果を発揮する。
272)多段階発がんと漢方の発がん予防と抗腫瘍効果
【がんは長い時間をかけて発生する】
がんは突然発生するわけではありません。がんの種類によって異なりますが、1個のがん細胞が発生して、がんという病気に至るのに数年から10年以上かかるといわれています。
1個の細胞が分裂して約1グラム(約10億個のがん細胞)のがん組織に成長するまでに、30回分の体積倍加時間が必要です。体積倍加時間というのは、がん組織の体積(=がん細胞の数)が2倍になる時間で、2の30乗(230)で約1億になるので、30回分の体積倍加時間で約1グラムのがん組織になる計算です。
体内でのがん組織の倍加時間は一般に極めて長いことがわかっています。その原因として、がん組織の中では酸素や栄養の供給が不十分になりやすいこと、細胞分裂する一方で、がん細胞自らがアポトーシス(細胞死)を起こしたり、免疫細胞による攻撃を受けたりして消失すること、などが挙げられています。多くのがんの体積倍加時間は数百日のレベルにあることが報告されています。例えば、体積倍加時間の平均は早期大腸ガンで26ヶ月、肺癌では166日という報告などがあります。1~2ヶ月で倍になる成長の早いがんもありますが、多くのがんの体積倍加時間は3~6ヶ月のレベルで、体積倍加時間が年単位の増殖の遅いがんもあります。
1個のがん細胞が発生してそれが1グラム(約10億個のがん細胞)に成長するのに30回分の体積倍加時間(230がおよそ10億)が必要で、体積倍加時間が6ヶ月だとすると30回分の体積倍加時間は15年になります。
また、正常細胞から1個のがん細胞が発生するまでも、長い時間がかかります。たとえば、C型肝炎ウイルスに感染すると、慢性肝炎から肝硬変になり肝臓がんが発生しますが、最初にC型肝炎ウイルスに感染してから肝臓がんが見つかるまでは多くは30年くらいかかります。肝炎に罹って慢性の炎症が続いている間に遺伝子異常が蓄積し、恐らく10年以上かかって細胞ががん化します。そしてそのがん細胞が大きく成長するのにさらに10年以上必要と考えられます。
【がん細胞は多段階的に発生・増悪する】
がんは細胞の遺伝子の異常(DNA変異や発現異常)によって発生します。少しずつ遺伝子の変異や発現異常が蓄積し何年あるいは何十年の間にその異常が大きくなってがんとして成長していきます。
DNAに傷をつけて変異を起こさせる物質をイニシエーター(initiator)といいます。DNAに変異が生じても通常はDNA修復酵素の働きによって速やかに修復されます。もし大きなDNA障害が生じた場合には、細胞はアポトーシスの機序で自ら死んで除かれます。がん遺伝子やがん抑制遺伝子の変異も、一個の変異だけではがん化は起こりません。複数のがん遺伝子やがん抑制遺伝子に異常が起こって初めて、がん細胞の特徴である自律増殖能を獲得するのです。これはアクセルが多少壊れても、ブレーキが十分機能しておれば車の暴走は起こらないのと似ており、アクセルもブレーキもひどく壊れてしまった状態ががん細胞なのです。
一個のがん細胞が発生しても目に見えませんし、体になんの害も及ぼしません。免疫力が十分に働いておれば、がん細胞が増えて大きくなることはありません。しかし、老化やストレスなどによって免疫力が低下したり、がん細胞の増殖を促進するような要因が強く作用したりするとがんが発育していきます。
細胞のがん化や発育を促進するようなものをプロモーター(promoter)といいます。慢性炎症や細胞壊死に伴って細胞分裂が亢進しているような状態はプロモーターとして働きます。脂肪類を多くとると、これを消化する胆汁酸という成分が胆嚢から大量に分泌され、これが大腸内に棲んでいるいろいろな細菌によって変化し、がん細胞の増殖を促進するような物質になります。慢性の便秘がつづくとこのような成分が排除されずに蓄積され、直腸がんや大腸がんの原因となります。一方、細胞の増殖活性や酸化ストレスを低下させるようなものは抗プロモーターとして働き、発がん抑制効果を発揮します。
進行とともにがん細胞は次第に多くの変異を獲得し、増殖速度も早くなり、周囲の組織に浸潤し、他の臓器に転移を起こすような悪性度の高いがん細胞に変化していきます。細胞死(アポトーシス)を起こしにくくなり、増殖速度が速くなったがん細胞は増殖に有利になります。したがって、増殖の遅いおとなしいがん細胞にかわって、よりたちの悪いがん細胞が優先的に増え、がん組織は次第に悪性度の高いがん細胞で占められ、悪化していきます。これをがんのプログレッション(progression)といいます。すなわち、がんは進行するに従い、より増殖の速い悪性度の高いがんへと変わっていくのです。このように、イニシエーション、プロモーション、プログレッションというがんの進展は、遺伝子異常(DNA変異や発現異常)の蓄積の結果として起こり、これをがんの「多段階発がん」といいます(図)。
【遺伝子の変異と発現異常】
DNAの遺伝情報には、細胞を形作り機能させるための蛋白質の作り方と、その発現の量や時期を調節するために必要なマニュアルが組み込まれています。したがって、この遺伝子情報に誤りが生じるとその細胞の働きに異常が生じます。
例えば、正常な細胞であれば、止めどなく分裂増殖を繰り返すということはありません。それはDNAの情報によって、細胞分裂(=増殖)のペースや限度がコントロールされているからです。しかし、この細胞増殖をコントロールしている遺伝子に異常が生じると細胞は際限なく分裂を繰り返すがん細胞となるのです。
誤りを起こす原因は、DNAに傷がついて間違った塩基に変換したり、遺伝子が途中で切れたりするためです。これをDNAの「変異」と呼び、DNA変異を引き起こす物質を変異原物質とよびます。環境中には、たばこ・紫外線・ウイルス・添加物など変異原物質が充満しています。変異原物質は、体内でのエネルギー産生や物質代謝の過程でも作られます。
変異原物質の共通の性質は強い化学反応性を持ち、フリーラジカルを生成する点にあります。フリーラジカルとは反応性の高まって他の物質を酸化する原子や分子のことです。化学反応性に富むため、DNAと反応してDNA変異を生じさせるのです。抗がん剤といわれる薬品の中にはDNAと反応したり、フリーラジカルを発生させるため、変異原物質となるものが多くあります。放射線も活性酸素を発生してDNA変異を起こします。したがって、抗がん剤や放射線は発がん剤の性格も持っているのです。一方、抗酸化作用やラジカル消去作用をもった物質ががんの発生や進展に対して抑制効果があるのは、フリーラジカルによるDNA変異の機会を減らすからです。
このような多くの原因により、個々の細胞レベルでは、遺伝子の変異が日常的に起こっています。しかし、ほとんどの場合は遺伝子レベルで修復機構が働き、細胞の働きは正常化されています。ところが何らかの原因により突然変異がそのまま定着する場合もあります。突然変異を起こした細胞が分裂とともに増殖する結果が、がんという病気につながっていくのです。
DNA(遺伝子)の変異ではなく、遺伝子の発現異常が発がんと関連している場合もあります。DNAの塩基配列が同じで遺伝子発現の制御の異常で細胞に変化が生じる現象をエピジェネティクス(epigenetics)と言います。エピジェネティクスの「エピ」はギリシャ語の接頭語で「上にある、別の、後から」という意味で、本来の遺伝情報(DNAの塩基配列)の土台の「上にかぶさる別の遺伝情報」や「後天的に獲得した遺伝情報」という意味を示しています。
私たちの体を構成する細胞は全て同じ遺伝情報を持っていますが、皮膚や神経や筋肉や肝臓など機能の異なる細胞になれるのは、それぞれの細胞において、使う遺伝子と使わない遺伝子に違いがあるからです。約3万個の遺伝子の全てが発現しているわけではなく、発現している遺伝子の違いによって細胞の種類が決まります。このように、DNAの塩基配列(=遺伝情報)が同じなのに、使う遺伝子と使わない遺伝子に目印をつけて、細胞に変化を生じさせる現象がエピジェネティクス(epigenetics)です。
最近までは遺伝子の突然変異によるがん遺伝子やがん抑制遺伝子の機能異常が細胞のがん化の主な原因と考えられていました。しかし、最近の研究によって、遺伝子の変異とは関係ない、エピジェネティック(epigenetic)な機序によるがん遺伝子やがん抑制遺伝子の発現異常による発がんメカニズムの重要性が指摘されるようになりました。
遺伝子にはその発現を調節する部分があり、これをプロモーターと言います。遺伝子を使うか使わないかを制御している領域のことです。遺伝子が発現するためには、DNAからメッセンジャーRNAを作るRNAポリメラーゼという酵素や遺伝子発現を調節する転写因子がこのプロモーター領域に結合することが必要です。このプロモーター領域には、CpG(C はシトシン、Gはグアニン)という配列が繰り返された部分があり、DNAメチル化とは、DNAのCpGという配列の部分でC(シトシン)にメチル基(-CH3)いう分子がつくことです。プロモーター領域のDNAにメチル化が起こると、RNAポリメラーゼや転写因子が結合できなくなり、遺伝子からmRNAが転写される段階が阻害され、遺伝子発現のスイッチがオフになります。このように、エピジェネティスによって遺伝子発現のスイッチが切られることを「遺伝子のサイレンシング(silencing)」と呼ばれています(下図)。
がんの発生を抑える遺伝子として、がん細胞の増殖を抑える遺伝子(がん抑制遺伝子)やDNAの修復をする遺伝子があります。このようながん細胞の発生を抑えてくれる遺伝子のメチル化がおこれば、そのがん抑制遺伝子はオフになり、発がんしやすくなります。最近の研究で、がん抑制遺伝子の遺伝子発現を調節するプロモーター部分のDNAのメチル化やヒストンの修飾によって、がん抑制遺伝子のサイレンシング(silencing)が起こっていることが多くのがん細胞で認められています。
つまり、発がん過程で様々な遺伝子の異常が起こり、それが蓄積して悪性度を増していきますが、遺伝子の異常には、DNAの塩基配列の変異だけでなくエピジェネティックな変化(DNAメチル化などによる発現異常)も重要と考えられています。
【漢方薬は多くの作用点と作用メカニズムでがんの発生と進展を抑制する】
細胞のがん化および悪性進展の要因は多彩であり、それらのどれか一つをターゲットにしても発がんや悪性化の過程を十分に抑制することはできません。細胞のがん化の原因は一つではなく、悪性化の過程も一本道ではなく多数の道があります。したがって一カ所を塞いでも、多段階発がんを止めることは困難です。
遺伝子変異の原因として活性酸素や変異原物質の関与が大きいので、抗酸化作用や解毒酵素の活性を高める作用をもった成分はがんの発生や進展を抑制する効果が期待できます。慢性炎症は発がん過程を促進するので、抗炎症作用をもった成分もがんの発生や進展を抑制します。がん細胞の悪性度が進行すると、アポトーシスに抵抗性になって増殖速度が早くなります。アポトーシス抵抗性を獲得するときにNF-κBなどのシグナル伝達系の活性化が関与している場合があります。
漢方薬やハーブは抗酸化作用や抗炎症作用をもった成分の宝庫です。発がん物質を不活性化する解毒酵素を活性化する物質も野菜(アブラナ科の野菜やニンニクなど)や薬草や生薬から多数見つかっています。また漢方薬やハーブから血管新生阻害作用や転写因子NF-κB活性を阻害する作用をもった成分も見つかっています。その他、細胞増殖や遺伝子発現を調節するような成分や、DNAメチル化に影響する成分なども見つかっています。つまり、漢方薬やハーブはがん予防効果や抗腫瘍効果をもった成分の宝庫であり、これらの多数の成分の相乗効果によって、がんの発生や悪性進展や増殖を抑えることができます。
これらの効果は、抗がん剤や放射線治療の抗腫瘍効果を高めることもできます。漢方治療が抗がん剤や放射線治療の副作用を軽減し、かつ抗腫瘍効果を増強することができる理由は、漢方薬には体力や免疫力や回復力を高める滋養強壮効果だけでなく、多様な抗がん作用も持っているからです。
さらに、このような漢方薬の抗がん作用は手術後の再発や転移の予防にも役立ちます。手術による組織や臓器の切除は炎症を引き起こし、傷が治る過程で炎症性サイトカインや活性酸素やフリーラジカルの産生が高まります。手術によって体力や栄養状態が低下すれば、体の抗酸化力も低下し、手術後は酸化ストレスが増大することになります。このような炎症性サイトカインの産生や酸化ストレスの増大は残ったがん細胞の増殖を刺激し、再発を促進します。したがって、手術後は体力や免疫力の回復促進だけでなく、抗炎症作用や抗酸化作用をもった生薬成分を多く加えることによって転移や再発の抑制にも効果が期待できます。
以上のように、抗がん作用において多彩な作用点と作用機序をもつ天然成分の組み合わせによる漢方治療は、発がんや悪性進展の過程の抑制やがんの治療において、西洋薬にない特徴と有効性を持っていると言えます。
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