16)食欲と消化管の働きを重視する漢方治療

図:体の治癒力の源は食物から得られる栄養物質であり、治癒力や抵抗力を高めるためには、食物からの栄養素の消化吸収、血液や水分の循環、組織の新陳代謝を良い状態にすることが必要。

16)食欲と消化管の働きを重視する漢方治療 

【自然治癒力の源は食物からの栄養素】
 漢方薬は慢性疾患や難病の治療に用いられて、西洋医学で得られない効果を発揮しています。それは、消化吸収機能を高めて栄養状態を改善し、組織の血液循環や新陳代謝を促進して体の自然治癒力を高めるからです。西洋医学には、このような滋養強壮や組織機能の賦活を目指す発想は乏しく、漢方はこれをもっとも重要な治療戦略としています。
 約800年前に中国で活躍した名医・李東垣は、胃腸機能の保護を常に強調していたことで知られています。彼は、難病の治療に際して、あれやこれやと薬を投与するよりも、胃腸の消化吸収機能を保ちながら、自然治癒力の回復を待ったほうがよいと、述べています。
 作用の強い薬を長期にわたって服用すると、胃腸の機能はしだいに衰え、消化吸収機能が低下し、体の抵抗力も低下してしまいます。病気の原因ばかりに目を向けて、生体の自然治癒力に配慮しない治療では、治る病気も治らなくなることを強調しています。このような考えを基本として、漢方薬には消化吸収機能を高める薬や、体力を回復させる滋養強壮薬が数多く用意されています

 体をつくるのは食物から得られる栄養素であり、自然治癒力の源も栄養素です。食物の摂取と栄養素の消化吸収が十分でなければ、体の治癒力も抵抗力も十分働くことができません。
 摂取した食物を栄養素に分解して体内に吸収する臓器を消化器といいます。消化器には、食物の通る管(消化管)と、消化液などを分泌する付属器官(唾液腺・肝臓・胆嚢・膵臓など)があります。
 消化管とは口から食道・胃・小腸・大腸とつながる全長約9メートルの中腔の器官で、食物を口から肛門まで輸送しながら、胃・小腸で食物を消化・吸収し、大腸で食物残渣を便にします。
 唾液腺・肝臓・胆嚢・膵臓などは、消化液などの分泌物を消化管に送り込んで、栄養素の消化吸収を助けます。小腸から吸収された栄養物質は肝臓に送られて、エネルギー産生や蛋白質などの合成に使われます。
 食物の栄養物質を体に同化させ、体を動かすエネルギー源に効率良く変換するためには、これらの多くの臓器や組織が調和をもって正常に働くことが必要で、特に、食欲や消化吸収機能を高めることが自然治癒力や生体防御力を向上・活性化する基本になります(トップの図)。

【自分にあった漢方薬で食欲を高める】
 食欲というのは美味しそうな食べ物を見たり、その臭いを嗅いだり、味わってみることにより出てきます。食欲増進剤というのは味覚・嗅覚を刺激して食欲を高め、唾液や胃液の分泌を促進し、消化吸収機能を高める薬物で、苦味剤芳香剤などがあります。
 苦味剤は、舌の味覚器に作用して反射性に唾液・胃液の分泌を刺激し、さらに胃の分泌細胞にも作用して胃液分泌を促進し、食欲と消化機能を高める薬物です。生薬の黄連(おうれん)や黄柏(おうばく)には苦味健胃作用があり、唾液・胃液・膵液・胆汁の分泌を軽度に高め胃腸運動を亢進させる作用から食欲を増進します。
 芳香剤の生薬には桂皮(けいひ)、茴香(ういきょう)、薄荷(はっか)などがあり、これらは胃粘膜を刺激して胃液分泌を亢進させる作用があります。柑橘類の生薬(陳皮(ちんぴ)など)には胃液分泌や胃運動を促進する効果があります。陳皮はみかんの皮であり、みかんの皮は胃の働きを高め、食べ物の滞りをなくす働きに優れており、食欲不振の治療薬として昔から活用されてきました。
 生姜(しょうきょう)の独特の香りは料理に風味をあたえ、食欲を増進させる働きをもっています。生姜の辛みの成分には、吐き気を抑えて食欲を増進させる効果があります。
 体力や免疫力が高まると食欲が増すという報告があります。がんの末期などで極度の疲労・倦怠感がある場合に、補中益気湯(ほちゅうえっきとう)や十全大補湯(じゅうぜんだいほとう)のような補剤を服用すると、食欲不振や全身倦怠感などが軽減する場合があります。
 食欲はあるのにいざ食卓に向かうと食べられないというときは、人参湯(にんじんとう)、六君子湯(りっくんしとう)がよい場合があります。胃腸運動の機能不全によって食べるとすぐに腹が張ってくるような状態に適しています。
 蘇葉(そよう)(シソの葉)は、独特の香りにより胃液の分泌を促し、食欲を増進させるほか、胃や腸の働きをよくする作用があります。また神経症や不眠症を治す作用もあるので、精神的ストレスによって食欲不振になっている人に適します。薬用人参は種々のストレスに対する抵抗力や適応能力を高め、虚弱体質や疲労が激しいときの食欲増進と滋養強壮に有効です。このように食欲不振の原因に合わせて、それに合った生薬や漢方薬を使用することにより、より効果的に食欲を高めることができます。

【胃腸の働きを整える健脾薬】
 西洋医学では栄養物質の消化吸収機能を、胃・小腸・大腸・肝臓・胆嚢・膵臓など解剖学的に分けて考えますが、漢方医学では栄養物の消化吸収という全体像を統一的にとらえて、「(ひ)」という概念で表現します。東洋医学でいう「脾」は西洋医学の「脾臓(spleen)」とは異なります。漢方医学でいう「脾」は主に消化器系の機能を指すとともに、免疫・神経・内分泌なども含めて、食物から栄養物質を取り出し、全身の臓器に輸送して体に同化させる機能やシステムのすべてを意味しています
 脾の機能低下を、脾虚(ひきょ)といいます。胃腸壁の平滑筋の緊張低下(アトニーという)があって、消化管の運動不全や、食物の消化吸収機能の低下、さらに栄養物質の体内での利用が低下した状態で、胃腸虚弱に近い概念です。脾虚は気・血の生成を低下させるため、体力・気力や栄養状態の低下を引き起こし、生命力自体を低下させることになります。
 脾虚を改善する作用を「健脾(けんぴ)」といい、健脾作用をもつ生薬(健脾薬)を臨床経験の中から集めてきました。健脾薬には大棗(たいそう)・茯苓(ぶくりょう)・蒼朮(そうじゅつ)・白朮(びゃくじゅつ)・山薬(さんやく)・蓮肉(れんにく)などがあり、多くの漢方方剤にこれらが加えられています。病気に対する抵抗力をつけるためには消化器系の働きを高めることが大切という考えに基づいているのです。
 大棗(たいそう)はナツメの果実で、エネルギー源となると同時に、刺激性の強い薬の薬効を緩和する効果をもっています。茯苓(ぶくりょう)はサルノコシカケ科のきのこの一種で、消化吸収を促進し、消化管内の余分な水分を除く作用や、精神安定に働いて不安感や不眠などの改善にも有効です。
 蒼朮(そうじゅつ)はキク科のホソバオケラやシナオケラの根茎で、白朮(びゃくじゅつ)はキク科のオケラ又はオオバナオケラの根茎です。両方とも、消化管内や組織間の水分を血中に吸収して、利尿によって除去する作用(利水作用という)を持っているため、消化管内や組織中に水分が停滞しやすい胃腸虚弱の人の食欲不振や泥状・水様便の改善に使われます。
 山薬(さんやく)はヤマノイモの根茎で、滋養強壮作用を有し、消化吸収機能を高めて慢性的な下痢を止める作用があります。蓮肉(れんにく)はハスの果実で、中国では菓子や中華料理の材料としてもよく用いられ、胃腸虚弱による下痢や食欲不振を解消する滋養強壮薬として用いられています。

 西洋医学では胃や小腸や肝臓や膵臓などの解剖学的な消化器臓器を別々にとらえ、栄養物の消化吸収という全体像を一つの機能としてとらえていないため、消化吸収機能の低下が及ぼす治癒力や抵抗力への影響を軽視しがちです。漢方医学では、食物を消化して体に同化させる生体機能の全てを「脾」という概念で代表させることによって、生体防御を全身的に考える基盤としています。消化管の働きを高める健脾薬や滋養強壮薬を数多く持っている点が、がん治療における漢方治療の有用性の一つです。

(文責:福田一典)

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