216)糖尿病治療薬メトホルミンの抗がん作用と抗老化作用

図:高血糖と高インスリン血症は老化と発がんを促進する。糖尿病治療薬のメトホルミンはインスリン感受性を高めることによってインスリンの分泌を低下させ、発がんと老化の両方の予防に効果があることが示されている。

216)糖尿病治療薬メトホルミンの抗がん作用と抗老化作用


【2型糖尿病はがんと老化を促進する】
食物からブドウ糖が体内に吸収されて血液中のブドウ糖濃度(血糖値)が上昇すると、膵臓のランゲルハンス島から分泌されるインスリンの働きによって、ブドウ糖は筋肉組織などに取り込まれて血糖値が下がります。このように、私たちの体はインスリンの働きによって血糖値が一定値以上に上昇しないように調節されていますが、インスリンの分泌量が低下したり働きが弱くなったために血糖値が高い状態が続くのが糖尿病です。
膵臓のランゲルハンス島が破壊されてインスリンを分泌できないために発症する1型糖尿病と、肥満や運動不足が原因となって発症する2型糖尿病の2つのタイプがありますが、日本人の糖尿病のほとんどは2型糖尿病で、中高年の太った人に多いのが特徴です。
2型糖尿病は遺伝的素因を持つ人(血縁の人に糖尿病の人がいるなど) に起こりやすいのですが、遺伝的素因があれば必ず起こるわけではなく、過食・運動不足・肥満・ストレスなどの要因が加わって発症します。これら糖尿病の発症要因となる食生活や生活習慣は、がんの発生や再発のリスクを高める要因とも一致しています。つまり、糖尿病の存在はがんの発生率や治療後の再発率を高めることが予想されます。
実際に多くの疫学研究で、糖尿病が発がんリスクを高めることが確認されています。日本で行なわれた大規模調査では、糖尿病と診断されたことのある人はない人に比べ、20~30パーセントほどがんの発生率が高くなることが報告されています。
最近のメタアナリシスによると,糖尿病は非ホジキンリンパ腫,膀胱がん,乳がん,大腸がん,子宮内膜腫,肝がん,膵がんなどの発症リスクを高めることが示されています。
さらに、糖尿病があるとがんの進行が早く転移しやすいことも指摘されています。高血糖や高インスリン血症ががん細胞の増殖を促進するからです(後述)。
また、糖尿病は高血圧や動脈硬化性心疾患や腎障害や神経障害などの原因になり、酸化ストレスを高め、老化を促進することになります。インスリンが老化を早めて、寿命を短くする働きがあることも指摘されています。

【高インスリン血症はがん細胞を増殖させる】
2型糖尿病を発症する前に、数年間高インスリン血症が見られると言 われています。インスリンの働きに影響する様々な生理活性物質が脂肪細胞から分泌されており、肥満によって体脂肪が増えるとインスリンの働きが低下します。脂肪組織から分泌されるアディポネクチンという蛋白質はインスリンの働きを高める作用がありますが、内蔵脂肪が増えると分泌量が減り、アディポネクチンの血中濃度が低下するとインスリン抵抗性(インスリンの作用低下)が高まります。
インスリンの働きが弱くなると、それを補うために体はインスリンの 分泌量を増やして血中のインスリン濃度を高めて代償しようとします。この段階ではインスリンの分泌増加によってまだ血糖があまり高くないので糖尿病とは診断されませんが、そのうちインスリンを分泌するランゲルハンス島から十分なインスリンが分泌されなくなると、高血糖状態が持続して糖尿病と診断されます。
米国のある疫学研究では、糖尿病と診断された人よりも、糖尿病の前段階(プレ糖尿病)の人の方が発がんリスクが高いという報告があります。これは発がんリスクを高める原因として高インスリン血症の存在の重要性を示唆しています。つまり、肥満や運動不足による糖尿病予備軍では、インスリン抵抗性による高血糖を抑えるためにインスリンが過剰に分泌され、発がんを促進すると考えられているのです。
インスリンは51個のアミノ酸からなるペプチドホルモンで、血糖値の 上昇に応じて膵臓のランゲルハンス島のベータ細胞から分泌され、筋肉細胞へのブドウ糖の取り込みや、脂肪細胞での脂肪合成、肝臓におけるグリコーゲン合成を促進します。
インスリン自体にがん細胞の増殖を促進する作用があります。さらに、 インスリンはがん細胞の増殖を促進するインスリン様成長因子-1(IGF- 1)の活性を高めます。高インスリン血症は、IGF-1の活性を制御しているIGF-1結合蛋白の産生量を減少させ、その結果、IGF-1の活性が高まります。IGF-1はがん細胞の増殖や血管新生や転移を促進する作用がありま す。IGF-1は70個のアミノ酸からなり、インスリンと似た構造をしていま す。IGF-1受容体とインスリン受容体も類似しており、IGF-1とインスリンが交差反応することが知られています。高インスリン血症では、インスリンがIGF-1受容体に結合して,IGF-1と同じように細胞の増殖を促進し ます。
さらにプレ糖尿病から糖尿病になって血糖が上がると、がん細胞はブ ドウ糖をエネルギー源として大量に取り込んでいるため、がん細胞の増殖に有利になります。高血糖は活性酸素の産生を高め、血管内皮細胞や基底膜にダメージを与えて、血管透過性を高め、転移を起こしやくする という意見もあります。
大腸がんの患者さんは健常な人と比べて、血糖値や血中のインスリン 濃度が高いという報告があります。高インスリン血症は肝臓における性ホルモン結合グロブリンの産生を抑制するので、フリーのエストロゲンが血中に増えて、乳がん細胞の増殖を促進することも指摘されています。
このように様々な理由で、高血糖や高インスリン血症は、がんの発生や再発のリスクを高めることは確実なようです。

【インスリン感受性を高めるメトホルミン】
前述のアディポネクチンに抗がん作用があることが報告されています。人の胃がん細胞を移植したマウスにアディポネクチンを注射すると、がんが著しく縮小したという報告があります。また、アディポネクチンの低い人ほど大腸がん、前立腺がん、子宮体がん、乳がん、胃がんの発生率が高いという報告があります。
このアディポネクチンのがん予防効果は、インスリン感受性を高めて血中のインスリン濃度を低下させるためと推測されています。つまり、インスリン感受性を高める(=インスリン抵抗性を改善する)ことはがんの予防に効果が期待できることが指摘されています
糖尿病の治療薬にはインスリンの他に、経口血糖降下薬があります。経口血糖降下薬は、2型糖尿病において血糖値を正常化させることで糖尿病の合併症のリスクを軽減させる目的にて処方される薬物の総称で、膵臓のランゲルハンス島からのインスリンの分泌を促進する「インスリン分泌促進薬(スルホニルウレア剤など)」、ブドウ糖の腸管からの吸収を阻害する「ブドウ糖吸収阻害薬(アルファ・グルコシダーゼ阻害剤など)」、細胞のインスリン感受性を高める「インスリン抵抗性改善薬(ビグアナイド剤など)」があります。
さて、インスリンががん細胞の増殖を促進し、老化を促進する作用があることから、インスリンの分泌を促進する薬剤は、がんと老化の予防の観点からは好ましくないと言えます。実際に、インスリンの分泌を促進する薬ががんの発生率を高める可能性が指摘されています。
一方、インスリン抵抗性を改善して、血中のインスリン濃度を低下させるビグアナイド剤は、老化とがんの予防に有効であることが多くの研究で明らかになっています
ビグアナイド(biguanide)はグアニジン2分子が窒素原子1個を共有して連なった構造をもつ有機化合物です。グアニジンはグアニン(核酸を構成する塩基の一つ)の分解や蛋白質の代謝で生成され、グアニジン誘導体の中には生理活性をもつものが多く見つかっています。
ビグアナイド剤は、元来は、血糖降下作用のある中東原産のマメ科のガレガ(Galega officinalis)から1920年代に見つかったグアニジン誘導体から開発された薬です。ビグアナイド剤は、AMP依存性プロテインキナーゼ(AMPK)を介した細胞内信号伝達系を刺激することによって糖代謝を改善します。すなわち、肝臓に作用して糖新生を抑え,筋肉での糖の取り込みを促進し、さらに腸管でのブドウ糖吸収を抑制する作用があります。メトホルミンは、筋・脂肪組織においてインスリン受容体の数を増加し、インスリン結合を増加させ、インスリン作用を増強し、グルコース取り込みを促進します。
インスリン抵抗性を改善することから、老化やがんの予防に有効であることが報告されており、ビグアナイド剤のメトホルミン(Metformin)はがん予防や抗老化の薬としても注目されるようになっています。

【メトホルミンの抗がん作用】
糖尿病の治療薬であるメトホルミンが、糖尿病患者の膵がんリスクを低下させることを示す結果が、米テキサス大学M. D.アンダーソンがんセンターの研究グループから報告されています.(Gastroenterology 137:482-488, 2009)
糖尿病の患者でメトホルミンを服用していた場合、メトホルミンを服用しなかった人々と比べて、膵がんのリスクが 62 %低減することが示されています。一方、インスリンまたはインスリン分泌促進薬を使用した糖尿病患者では、それらを使用しなかった患者と比較して、それぞれ、膵がんのリスクが 4.99 倍と 2.52 倍に増加しました。 
膵臓がん以外にも、肺がんや大腸がんや乳がんなど多くのがんの予防や治療にメトホルミンが有効であることが多くの研究で明らかになっています。
メトホルミンによるAMPKの活性化はがん細胞の増殖を直接抑制する効果があります
メトホルミンには、乳がんの増殖、転移や悪性度に深くかかわる遺伝子タンパク(HER2:Human epidermal growth factor receptor type2)の働きを抑える作用があること、エストロゲンを産生するアロマターゼという酵素を阻害する作用も報告されています。ある疫学研究では、メトホルミンを服用することで、乳がんの発症が56%低下することが報告されています。また、乳がんの抗がん剤治療の効果を高める効果も報告されています。

【血糖とインスリンを高めない食生活と生活習慣】
高血糖と高インスリン血症を避ける方法は、肥満と運動不足を解消することにつきます。特に、体脂肪を減らし、アディポネクチンの分泌量を増やし、インシュリン抵抗性を改善することが大切です。
食事は甘いものを多くとらない、穀物は精製度の低いものというのはがん予防の食生活の基本ですが、砂糖の多い甘い食べ物や、精製度の高い穀物は、食後の血糖が上がりやすく、高インスリン血症を引き起こします。
食べ物には、インスリンの分泌を高めるものと、あまり高めないものがあります。インスリンを高めない食事を実践してダイエットする「低インスリンダイエット」という方法がありますが、インスリンは脂肪を作り脂肪分解を抑えるホルモンであるため、インスリンの分泌を高めない食事がダイエットにも効果があるという理論です。低インスリンダイエットで良く言われているのは「白米から玄米」、「食パンから全粒粉パンやライ麦パン」、「うどんからソバ」という食品で、このような精製度の低い穀物が、がん予防にも効果があることは良く知られています。精製度の低い穀物は、ビタミンやミネラルが豊富なだけでなく、インスリンの分泌を高めないという点でも肥満とがんの予防に有効と言えます。
インスリンを高めない食事と運動で体脂肪を減らし、アディポネクチンの分泌量を増やし、インスリンの効き目を高めて高血糖や高インスリン血症を防ぐことは、肥満や糖尿病の予防だけでなく、がんの再発予防にも有効な対策です。
コーヒーを多く摂取している人は2型糖尿病の発生率が低いことが複数の疫学研究で明らかになっています。また、コーヒーを多く摂取すると肝臓がんや大腸がんの発生率が低下する可能性が指摘されており、その機序として、ポリフェノールなどによる抗酸化作用と、カフェインによる高血糖とインスリン抵抗性を改善する作用などが想定されています。
老化とがんの発生の両方を抑える方法として有効性が証明されている方法にカロリー制限があります。つまり、食事からのカロリー摂取を減らすことで、腹八分が健康を高め、寿命をのばすことを意味しています。カロリー制限が老化とがん発生を抑制する機序として、インスリンやインスリン様増殖因子(IGF-1)のシグナル伝達を抑制することが挙げられています
IGF-1やインスリンは、がん細胞の増殖を促進する他に、細胞の活性酸素の産生を亢進させて老化や発がんを促進することが推測されています。したがって、インスリンやIGF-1の産生を抑制することは老化とがんの予防に有効です。カロリー制限が困難な場合は、メトホルミンを服用すると、カロリー制限を同じ効果が得られる可能性が指摘されています。


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