このことについては埴輪などにも見えるはずもなく、上古の人達が、どのようにして美顔を装ったのかよくわ分からないのだそうです。しかし、「魏志倭人伝」にも
“男子無大小皆黥面文身”
と、「男子は大人も子供も顔面や体には「入れ墨」をしておる」と書かれていますが、これは、魏人(中国人)の誤った考えで、、当時、蝦夷の人々の風習としての「入れ墨」を日本全土の風習であるかのように間違えて書かれたのではにかと、江馬氏は書いております。しかし、書紀の履中天皇の段に
「飼部の人達がしていた入れ墨を止めさせた」
と言う記事も見え、氏が言う「黥」は我が国の最も恥辱なる風習ではないのではと思われますが、どうでしょうか????
なお、又、私の自慢話をします、現在、岡山県のどの図書館にもない本を持っています。坪井正五郎の『世界風俗写真帖』という本です。この本の中に明治初年に撮影したアイヌの婦人の象が画かれております。見てください。
これによりますと、確かにアイヌのご婦人には、当時(明治初年)このような風習がまだ残っていたようです。手に書かれてある「入れ墨」を見ますと美顔という目的ではなく、呪<マジナ>い的な風習だったのではと考えられますが。
また、この本には世界の入れ墨をしている人達の像も書かれております。