私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

上古の女性の眉は

2016-12-11 18:00:42 | 日記

  古代の人達の眉はどうあったのでしょうか。これをどうこうしようとするわけにもいかないと思うのですが、今と同じように、その顔の形に合わせて長く見せたり太く短く見せたりと、特に、女性には大変な気の使い方をしたのではないかと思えるような記録が見えます。これも日本書紀からですあが、神功皇后の巻に、次のような記事が見えます。

                  “則如美女之睩而金銀多之眼炎國”
    {美女の睫毛のような金銀がいっぱいに輝く眼ような国}

 この中の「睩」と言う字です。漢和辞典にもありません、「まよびき」または「まゆびき}と、この字を読ますと、「書紀」の解説書には出ております。ちなみに、「まよびき」とは、広辞苑で見ますと「眉墨で眉を長くひくこと」とあります。神功皇后の時代には、既に、美女の要件の一つに睫毛が長いことが、その風習としてあったのではないかとこの文章から分かります。
 どうでしょうか?????「時代」は、当時と15000年位経過しているのですが、その風習に現代と比べてどのくらい違いがあると思われますか。全く同じことが今も若い女性の間で続いているように80歳の老人には思われるのですが(電車の中での風景から)、どうでしょうか。この事からでも考えられるのですが、「美しい」という人間の持つ概念は、「時」を超越した、普遍的な感情といいましょうか、人類の持つ共通な美的感覚思考は不変なのではないかと思えるのですが??????????????????。


古代社会における「おしろい」について・・・・

2016-12-11 09:43:21 | 日記

 今までに見てきたように上古の時代でも、やはり、倭人も「人」です。少しでも自分を強く主張しようとして容儀や服装などに色々と工夫をこらした跡が埴輪などからはっきりと窺うことができます。髪型しかり、それを整える櫛も、さらに髻華<ウズ>(生け花等を髪に刺して飾る事)などもそうです。しかし、4世紀ごろには、まだ日本に於いては「白粉」等顔に塗って「お化粧」をするということはなかったようです。しかし、この話は前にご紹介したのですが、(あの雄略天皇の時代です)上道臣田狭は朝廷で、休憩時間か何かの時にその同僚に語ったたとされる話があります。その中に

                “天下麗人、莫若吾婦”(自分の妻こそ日本で一番の美人である)

 そして、

               “鉛花弗御、蘭澤無加<エンカツクロハズ ランタククワエルコトナク”

 とあります。
この鉛花<エンカ>とあるのは「白粉」です。その白粉や香水など使わなくてもよいような美人だと言うのです。
 
 もし、この事が真実なら、この雄略天皇の時代には、既に、女性はお化粧をしていたと言う証拠になります。5世紀末頃からこのような化粧品(白粉や香水)が一般に使われ始めたのではないかと思われます。中国や朝鮮からの渡来した化粧方法ではなかったのではないでしょうか