“燭一火”。余りの暗い世界だったので、声だけでなく、愛しい妻の姿をもこの目で確かめようとして、イザナギは自分の美豆良に挿してある櫛の一番端にある歯(湯津々間櫛の男柱)を抜いて火を灯したのです。
さて、この時、イザナギが火をどのようにして点けたのでしょうか???イザナギがいた時代と思われる縄文時代のの発火法について少しばかり、例の通り説明しておきます。
この写真に見られるような「弓引き点火法」によってイザナギも黄泉の入り口で火を熾したのだと思います。この時、左手には火熾しのための竹串を抑えつけておく道具が必要なのです。貝塚から時々見つかるのですが、エドワーズ・モースが明治一〇年に来日し、日本の考古学が始まりますが、最初の内は
「これは、果たして、縄文人は何に使ったのかな????」
と、その使用法が分からなくて、大方のものは捨てられてしまったのだそうです。でも、ある時、アイヌ研究のためにカムッチャカを訪れた鳥居竜蔵が、そこに住んでいたコリヤーク族の人達の使っていた道具を見て、その使用方法を発見します。
その左手に握っていた物と、その研究成果が載っている本です。写真でどうぞ
一番左端にある石は大きさは約5cmぐらいで、その中央付近にはくぼみがあり、ここに火熾しのための棒(先がやや細くなった所)の先をあてがい、右端にある図の弓で棒を廻しながら火と起こします。大体、2分もあれば十分火が熾せます。
鳥居竜蔵によると、この石をコリヤーク族の人は
“Ceneyien<セネイエン>”
と呼んでいたのだそうです。なお、此処にある石器は私のコレクションです。