私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

神殿のご灯明は二ツが慣例になったわけ

2016-12-16 08:55:56 | 日記

 「二火・三火」でなくイザナギが、黄泉の入り口“殿騰戸<トノド>”で、点した火が何故「一火」だったかと言うことについて、宣長は

 “ただ火とても有りぬべきを、一ツ火としも云るは、古ヘ燭<トモシビ>は二ツ三ツも、又いくつも燃す物なりけむ故に、ただ一ツともすをば、分て然云ならへるにや・・・・・」

 と、説明しています。
 当時の発火法を考えると、一つでも、マッチは有りませんから、物に、特に、竹に火が点くまでには相当な時間が必要だと思います。

                             

 キリやウツギなどごく柔らかい木ですと、簡単に発火します(一分もあれは十分です)が、竹を使って火を付けた経験はないのですが、これだと相当な時間と労力がいると思います。でも、一度点火されますと、真っ暗な世界です。一ツのわずかな灯があれば、そこら辺りの様子は十分に伺い知る事が出来るはずです。イザナミの身に湧いた宇士<ウジ>ぐらいは見えます。

 なお、このイザナギの”燭一火”の故事は、後の世になって、一火は忌事とされ、神に奉る火はは、何時も「二ツの灯明」が慣例になり、理由はよく分からないのですが石見国から日本各地に広まったとも云われております(古事記伝より)。それが何時の頃からは分かりませんが、仏事にも広がり、仏壇に供える「おろうそく」は、一本ではなく、一対2本が普通になたのではないかと思われます。