[美女之睩]の「睩<マヨビキ>ですが、青翠<セイスイ>、黒くもなく青でもなくあおみどりの睫が太くもなく細くもなくスーと僅かにカーブして長く曳いたものが、それがどうも、昨日書いたように、神功皇后時代の我が国の美人の眉ではなく、此の眉は、当時、日本では珍しく、そのような眉の形が流行っていたのは、
“則如美女之睩而金銀多之眼炎國”
と、書紀にあるように、“眼炎國”ですから、睫が長く、眼が炎のようにきらきらと輝いている美人がいる、金銀がいっぱいある宝の国を授けようと神功皇后に神のお告げがあったと書いております。と言うことは、そのような睫毛が流行していたのは、その宝の国
“向津国”
は、日本の港から遠く離れた向こうの方にある国、即ち、朝鮮半島の新羅の国を指すのだと思います。「美女之睩」とは、当時、この新羅の国で、しきりに流行していた美顔のための眉の造形の一つではなかったのではないでしょうかね。当然、日本より、文化も生活程度も女性の髪型も、生活様式一般総てのものが、一歩先を歩んでいた国だったのです。そんな国を神は日本に与えようとお告げがあったと言うのです。日本書紀の編者の国家主義的な偏見によってでっち上げられた架空の物語だと思われますが。