私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

ちょっとばかり我がブログを開いてくださるお方が多いので・・・

2020-02-07 11:14:34 | 日記
 「この2,3日沢山の」と言っても、私のブログでは閲覧者が350pv程度でが、それでも有頂天になって、またもや脱線します。よかったらお読みいただけますと幸いですが?????・・・・

 平安の恋文について少々書いたのですが、それについてもう少し詳しく書いてみます。詳しく知りたいお方は、先の

               尾崎左永子の「源氏の恋文」

 を読んでください。これも名著ですよ!!!!!!!!!!!!!!!!

 さて、今ではとても考えられないような形式があったのだそうです。その平安の恋文は
 まず最初に、ラブレターを書く紙がその大切なる要素になるのです。現在のように安っぽい何処にでも転がっているような便箋では駄目なのです。
            “典雅な薄様(うすよう)”
 薄い雁皮紙で、さまざまな色合いの紙でなくてはいけません。そして、当然、筆で書かれます。更に、その内容の中心は歌でなくてはだめなのです。その歌も古今和歌集の中にある歌を本歌(もとうた)として読まれていなくてはいけません。これだけではいけません。この手紙には、それぞれ四季にお応じた木々の枝を添えなくてはなりません。
 例えば、梅の頃は紅梅の小枝に薄赤色の薄様、藤の頃には藤の枝に紫色の紙というように・・・その紙には焚きしめた香りが必要です。さらに、字も洗練された大変美しいものでなくてはなりません。

 このような手紙であってこそ初めて「恋文」という形式が整い、相手の人が読んでくれるのです。それ以外の手紙であっては相手は見もしてくれないのです。こう考えると、当時の人は男も女の相当の教養が大切になるのです。教養が一生を作用するといっても過言ではなかったのです。