わたしは幾度となく自慢話を書いていますが、今日も又です。まずはこの写真を
今朝の朝日新聞の「耕論」の中に富山県舟橋村長の話が出ていましたが、誰も「舟橋」なんて字に目を留めないのが普通ですが、私には大変懐かしい感じのする「舟橋」です。
私は享和年間に出版された渕上旭江の「北陸奇勝」という大変珍しい本を持っておりますが、その中にこの「舟橋」の絵が出ています。私の住む所にも「舟橋」という地名が残っており(高松城水攻めの付近)なんだか全くの赤の他人とは思えず、その村長さんということで目に留まり、読ませていただきました。この人の土地に対する愛着の深さをしみじみと感じながら、舟橋という地名と一緒になって地方の政治とはとも、改めて考えさせ頂きました。
彼の言葉である
“面積3.47平方キロメートルの日本一小さな村です。私はこの村で生まれ、細い農道に至るまで自転車で走ったことのがない道はありません。”
に、いたく心を寄せながら、書かれているまだ見ぬ舟橋を、この旭江の絵と比べながら、思い馳せております。
このような何の変哲もないようなものばかりにしきりと目が行き、しがない一日をどうにか暮らしておる、どうしようもない老人のひとりごとです。お笑い下さい。
今朝の朝日新聞の「耕論」の中に富山県舟橋村長の話が出ていましたが、誰も「舟橋」なんて字に目を留めないのが普通ですが、私には大変懐かしい感じのする「舟橋」です。
私は享和年間に出版された渕上旭江の「北陸奇勝」という大変珍しい本を持っておりますが、その中にこの「舟橋」の絵が出ています。私の住む所にも「舟橋」という地名が残っており(高松城水攻めの付近)なんだか全くの赤の他人とは思えず、その村長さんということで目に留まり、読ませていただきました。この人の土地に対する愛着の深さをしみじみと感じながら、舟橋という地名と一緒になって地方の政治とはとも、改めて考えさせ頂きました。
彼の言葉である
“面積3.47平方キロメートルの日本一小さな村です。私はこの村で生まれ、細い農道に至るまで自転車で走ったことのがない道はありません。”
に、いたく心を寄せながら、書かれているまだ見ぬ舟橋を、この旭江の絵と比べながら、思い馳せております。
このような何の変哲もないようなものばかりにしきりと目が行き、しがない一日をどうにか暮らしておる、どうしようもない老人のひとりごとです。お笑い下さい。