ジンムは目の前の「乙女」にか、それとも「大御饗<オホミアエ>」にか、大いに気をよくして歌うのです。
なお、この時代には、あの源氏物語にあるようなまことに優美なる男女のやり取りは、まだ、日本の文化の中にはなかったのです。まだ文字がなかったのですから、するとどうしても、当時は男女の間に生じる落花流水の恋慕の情は言葉なくしては相手の心の奥深くにまで伝わることができなかったのです。そのための手段が「歌」であったのです。それ故、古事記の記述にもその各所にほとんど歌が挿入と言いましょうか詠われているのです。そう考えると、「声よき人」が、日本の上代社会では、一番女性に持てた時代なのです。
さて、それはそうとして、ジンムは声よき人だったのでしょう、更に、歌います。
“波都邇波 波陀阿可良気美。志波邇波 邇具漏岐由恵”
<ハツニハ ハダアカラケミ シハニハ ニグロキユエ>
何のことかさっぱりこれも分かりません。そこでまた先生です。
<ハツニハ>は「初土は」堀初めの上部の土です。<ハダアカラケミ>は「膚(はだ)が赤らけみ」で、色が赤っぽい、いささか赤みを帯びているという意味です。眉墨ですから本来は黒色ですが、その黒色も真っ黒でなく赤みが若干混ざった色だという意味です。
次の<シハニハ>ですが、<シハ>は「終わり」で、12月のことを<シハス>というのと同じだとあり、「最後に掘り挙げた土は」です。その色が<ニグロ>です。茶系統の黒っぽい色をしているといういみです。戦前などにインド人「ニグロのkuronbo」と呼んでいましたが・・
「あなたのその眉の赤からず黒からずの大変美しいことよ。」
と、褒めちぎります。
最初に、その持つ歯の美しさ、次には眉の色の美しさ。それだけではジンムは終わってはいません。次なる歌が、続いて、口からほとばしり飛び出します。
“美都具理能 曾能那迦都邇袁 加夫都久 麻肥邇波阿弖受”
なお、この時代には、あの源氏物語にあるようなまことに優美なる男女のやり取りは、まだ、日本の文化の中にはなかったのです。まだ文字がなかったのですから、するとどうしても、当時は男女の間に生じる落花流水の恋慕の情は言葉なくしては相手の心の奥深くにまで伝わることができなかったのです。そのための手段が「歌」であったのです。それ故、古事記の記述にもその各所にほとんど歌が挿入と言いましょうか詠われているのです。そう考えると、「声よき人」が、日本の上代社会では、一番女性に持てた時代なのです。
さて、それはそうとして、ジンムは声よき人だったのでしょう、更に、歌います。
“波都邇波 波陀阿可良気美。志波邇波 邇具漏岐由恵”
<ハツニハ ハダアカラケミ シハニハ ニグロキユエ>
何のことかさっぱりこれも分かりません。そこでまた先生です。
<ハツニハ>は「初土は」堀初めの上部の土です。<ハダアカラケミ>は「膚(はだ)が赤らけみ」で、色が赤っぽい、いささか赤みを帯びているという意味です。眉墨ですから本来は黒色ですが、その黒色も真っ黒でなく赤みが若干混ざった色だという意味です。
次の<シハニハ>ですが、<シハ>は「終わり」で、12月のことを<シハス>というのと同じだとあり、「最後に掘り挙げた土は」です。その色が<ニグロ>です。茶系統の黒っぽい色をしているといういみです。戦前などにインド人「ニグロのkuronbo」と呼んでいましたが・・
「あなたのその眉の赤からず黒からずの大変美しいことよ。」
と、褒めちぎります。
最初に、その持つ歯の美しさ、次には眉の色の美しさ。それだけではジンムは終わってはいません。次なる歌が、続いて、口からほとばしり飛び出します。
“美都具理能 曾能那迦都邇袁 加夫都久 麻肥邇波阿弖受”