稚媛からの救いの要請があったのではと思えるのですが、星川皇子の急を知った、当時、瀬戸内の支配権を一手に握っていた吉備上道臣は船軍四十艘を率いて都に攻め上ります。しかし、難波の津に着いてみれば、その時、既に、稚媛や星川皇子たち吉備王国関係の人たちは総て焼き殺されており、そのまま吉備に帰ります。それを聞き知った白髪皇子は、この時とばかりに軍勢を整えられて、反対に、吉備に攻めこみ上道臣が持っていた「山部」を召し上げてしまいます。
と、書紀には書かれております。
記紀に書かれている吉備臣が持っていた権限は、それまでは、もっぱら「海部<アマ>」であったのですが、これは海に関する、特に瀬戸内海の、諸々の権利を独占的に支配していた「海の部族」という意味ですが、ここに来て突然に「山部」という役職が現れます。これは「山林」のことについて司る部族ですが、それをどうして「吉備」が持っていたのかは不思議です。この吉備の「山部」について
「当時、吉備では大量の鉄製品が造られ、その製造過程で大量の松の木を中心とした木材が必要であり、そのための山林を支配する人たちが必要であったため、「山部」が特別に認められていたのでは??」
という説を言う人もいるようですが・・・
私は、ここに言う「山部」の剥奪は第二次鉄製品の製造が吉備から大和へ移ったことを物語るものではないかと考えております。言い換えると、これは「真金吹く吉備」の大和政権の人為的消滅作戦であるとともに、「砂鉄」などの鉄製品の原料の枯渇による吉備王国の勢力の自然的な要因による急激な衰退を意味しているのではないかとも???
と、書紀には書かれております。
記紀に書かれている吉備臣が持っていた権限は、それまでは、もっぱら「海部<アマ>」であったのですが、これは海に関する、特に瀬戸内海の、諸々の権利を独占的に支配していた「海の部族」という意味ですが、ここに来て突然に「山部」という役職が現れます。これは「山林」のことについて司る部族ですが、それをどうして「吉備」が持っていたのかは不思議です。この吉備の「山部」について
「当時、吉備では大量の鉄製品が造られ、その製造過程で大量の松の木を中心とした木材が必要であり、そのための山林を支配する人たちが必要であったため、「山部」が特別に認められていたのでは??」
という説を言う人もいるようですが・・・
私は、ここに言う「山部」の剥奪は第二次鉄製品の製造が吉備から大和へ移ったことを物語るものではないかと考えております。言い換えると、これは「真金吹く吉備」の大和政権の人為的消滅作戦であるとともに、「砂鉄」などの鉄製品の原料の枯渇による吉備王国の勢力の自然的な要因による急激な衰退を意味しているのではないかとも???