聖明王から送られた仏像は難波の堀江の海に捨てられ、稲目の建てた向原寺は焼き払われます。しかし、折角、日本に伝わった仏教がそれで終わりになったと言うと、そうではありません。百済から送られて来た仏像が「堀江の海」へ捨てられた翌年のことです。河内国から次のような報告が欽明の元に届きます。
"近頃、辺りの海より梵音<ノリノオト>が聞こえてきます。その音は雷のようで、その音のあたりからは明るい日の光が輝き出ていています。”
と。それをお聞きになった欽明は、早速、溝部直<ミゾノベノアタヒ>を派遣して調査させます。溝部直はその海に入って
”果見楠木浮海玲瓏(果たして楠木の海に浮かびて玲瓏<テリカガヤ>くを見つけだして)遂取而献(遂に取りて献<タテマツ>る”
と日本書紀には書いてあります。
この「梵音<ノリノオト>」とは、僧侶がお経を読む時に発すような大変ありがたい音を言います。その音が雷のように辺りに響き渡っていたのです。
さて、その楠木を欽明は、「仏工に命じて仏像を二体を作らしめた。」とありますが・・・・不思議ですね。仏教が初めて日本に伝わった時に、西暦552年に、既に、仏像を造る仏師だけが我が国にいたなんてことはあるはずがありませんよね。これを皆さんならどうお考えになられましょうか。
"近頃、辺りの海より梵音<ノリノオト>が聞こえてきます。その音は雷のようで、その音のあたりからは明るい日の光が輝き出ていています。”
と。それをお聞きになった欽明は、早速、溝部直<ミゾノベノアタヒ>を派遣して調査させます。溝部直はその海に入って
”果見楠木浮海玲瓏(果たして楠木の海に浮かびて玲瓏<テリカガヤ>くを見つけだして)遂取而献(遂に取りて献<タテマツ>る”
と日本書紀には書いてあります。
この「梵音<ノリノオト>」とは、僧侶がお経を読む時に発すような大変ありがたい音を言います。その音が雷のように辺りに響き渡っていたのです。
さて、その楠木を欽明は、「仏工に命じて仏像を二体を作らしめた。」とありますが・・・・不思議ですね。仏教が初めて日本に伝わった時に、西暦552年に、既に、仏像を造る仏師だけが我が国にいたなんてことはあるはずがありませんよね。これを皆さんならどうお考えになられましょうか。