私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

全幅の信頼とは????

2018-03-26 17:09:48 | 日記
 そんな誰とも分からないような、果たして、この人が神様であるのかも分からない、偉そうな言葉使いの人の事をオホクニは信用したのでしょうか???。あなたならどうしますか????古事記には、この光と共に来た人を「神」として扱っており、オホクニは全幅の信頼をおいています。

 さて、またまた話が飛びますが、「全幅の信頼」と言うことについて、近頃、少々気になることがあります。それはです。、明日の国会での佐川氏の証人喚問です。この人は、今まで、「忖度」と言葉が流行語になるほど、誰かさんを忖度して???虚偽の答弁を繰り返していた人です。嘘ばかり云っていたのです。そんな人が、果たして、真実をどこまで述べるのでしょうかね??。
 今日の、明日を控えての国会審議を聞いておりますと、自民党の「おえらさん方」はいかに聞くらん???と思えるのですが。その中にも誰かをかばい通そうとする意図みたいなものが、また、私はかえって被害者だと言うふうに聞こえてならないような答弁が大手を振って歩いているようにも、感じられるのですが。どうでしょうか???

その神は言います。“国難成”

2018-03-25 10:43:47 | 日記
 「私と一緒にこの国を治めましょう!!」
 と、海より光と共にやってきた神様は言います。これだけでもう十分だとは思うのですが、続けて、

         “不然者<シカラズンバ>”

 「そうしなかったなら」と、大層威張って言います。どうなるかと言いますと

         “国難成”

 と書いて、

         <クニ ナリガテマシ>

 と読まして、「此の国が、立派には、到底、成り難いでしょう。でも、私があなたを助けてあげるから安心しなさい!!!」と、さも自信ありげに高飛車に申します。

 ここで、今日も又、此の「ナリガテマシ」について、面白くもないかもしれませんが、昨日に引き続いて、文法的な解釈をしてまいりますので、お読みいただけますと幸いです。

 「マシ」ですが、打消の断定を表し、「決して・・・まい」と言う意味になり、また、その前の「ガテ」は、「難て」で、「勝て」ではないと宣長も説明しております
      
 

海より光と共にやってきた神様は言います

2018-03-24 12:06:13 | 日記
 名前も何も分からない神様がオホクニの前にやってきて、大層偉そうに??????ものをのたまいます。その第一声が、己は誰とも、何処から何をしに此処に来たのかとも云わないで

             “能治我前者<アガミマヘヲ ヨク オサメテバ>”

 とです。
 普通ならば、神様の世界だって、丁重に自己紹介などして後から、ここに来た所以を云うのが普通だと思いますが。この神様は大層偉かったのでしょうか。あたかも、今、国会答弁で「佐川・佐川」と呼び捨てにして、「どうしてあなたはそんなに偉いのですか」かと、世間の皆から、大層、批判を受けている???何処かの国の大臣みたいに、何時もニヤニヤしながら、人を小馬鹿にしているような横柄な態度ではなかったかと思うのですが?????

 「今、お前はスコナヒコナがいなくなって困っていると聞いたもんで、此処へとんできてやったんじゃが、この出雲の国を何も事件が起きないように平和に治めるようと思うならばじゃ。」

 と。なお、「てば」は、完了の助動詞「つ」の未然形に接続助詞「ば}が附いて「~たならば」と言う意味になります。

 その神様は。更に、続けて言います。
  
             “吾能共與相作成<アレト トモドモニ アヒツクリナシテム>”

 と。ここにある<テム>も、完了の助動詞「つ」の未然形に推量の助動詞「む」がついたもので、「きっとるだろう。」で、「あなたと一緒に作ったならばきっとよい国になることうけあいだぞ」と。

 このえらそうな神様は、そんなことはもう言わなくてもいいと思うのですが、更に付け加えて云います。その言葉は


             “不然者<シカラズンバ>”

 とです。それは、また明日に、今日は少々文法っぽい事を知ったかぶりして書いてみました。ご批判頂ければ!!!!学生時代は文法には弱かったものですから、余計に、こんなことが知ったかぶりして書きたくてしょうがない「八十」のぼけ老人です。お笑いください????


                  

“告<ノリタマヒキ>。すると・・・

2018-03-23 10:36:14 | 日記
 オホクニは、「自分一人では、到底、この国を治めることができない。どうしたらいいのでしょうか」と、愁<ウレ>ひて、天に向かって叫んだのでしょうか、その声がよほど大きかったとみえて、天にいる神々に声が届いたのです。


          “是時有光海依来之神<コノトキニ ウナハラヲ テラシテ ヨリクルカミアリ>”

 此の時、海より一畳の光が指しこんできて、その光と共にやってきた神様がいたのです。この神様の名前も、何処から誰の命令でやってきたのかは分かりません。どのような神様だったのかも何も書いてはいません。「少名毘古那神」とは違ってどのような神様か分からないのですが、ただ、違いは、その神様がオホクニの前に現れた時に、即座に、言葉懸けをしております。神様の世界です。それが普通なのでしょうかね。なんと神様の世界は便利と言いましょうか、その場限りの都合のいいことばかりの連続ですね。そなん疑問の事ばかりに関心を示しながら読んでいくいくことは神に対する冒涜事な禁句なのでしょうかね????????????         
        

オホクニの歎きは

2018-03-22 09:31:02 | 日記
 小名毘古那は常世国に去ってからは、“大国主神愁而”オホクニは大層愁い嘆き悲しんで


          “告吾独何能得作此国”

 <ワレ ヒトリシテ イカデカモ コノクニヲ エ ツクラシム”(どのように此の国を作って行けばいいのでしょうか。どうすればいいのか分からなゐで歎き悲しむばかりです。)

          “孰神與吾能相作此国耶”


 <イズレノカミト トモニ アワ コノクニヲ アヒツクラマシ>(果たして、何処にいらっしゃるどのような神様と、少名毘古那神の代わりに、此の国を作ったらいいのでしょうか??)

 と天に向かって“告<ノリタマヒキ>”

 ここで、又、またですが。何一言も言わない「スクナヒコナ」が、どのようにオホクニの国作りに助言していたのでしょうかね。言葉が無いので何も分からないのではないでしょうか。「神様んですから以心伝心で総てのもの理解できるのだよ。そんな事にいちいち気をかけなくても。神様の世界の事ですから、いいんです」と言う声が、何処からともなく飛び込んでくるようですが????
 「そうそう!!!!!」そこら辺りの事をあの宣長ですらも、事あるごとに云っていますよね。さて、この後、オホクニの、この難問を古事記では、はいかに解決したと思われますか。