私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

どうしてヒキガエルが???

2018-03-15 08:36:23 | 日記
誰に尋ねても、この小さな船に乗っておる神様の名前を知りません。その神様に尋ねても何も語りません。『犬のおまわりさん』ではないのですがオホクニは困ってしまいます。そこへ忽然と現れたのが

            “多爾且久<タニクグ>”

 です。ヒキガエルの事だそうです。又、余残事ですが、「古事記伝」には、それに「蟾蜍」と言う字を当てております。それについて、宣長も、どうして、ここにヒキガエルが出て来たのが不思議がったのでしょうか、その謂れを彼なりに考察しております。それによりますと、ヒキガエルは谷のような狭い処にいて、その鳴き声が「ぐぐ」と聞こえる故に「タニグク」と言うのではないかと、また、此のヒキガエルは霊異<クシキ>なる動物として、中国の書物などに出てくるので、それを真似てここに登場させたのではないかと説明があります。その容貌が不思議爾醜く、誰が見ても怪しと驚く動物だから、此処に取り上げたのではないかと説明があしてあります。そして次なる言葉

            “久延毘古<クエビコ>”

 もまたおかしげな名前ですが、これは、広辞苑によると「案山子(かがし)」の事だそうです。ヒキガエルが言うには、案山子が知っているだろうと。そこでオホクニは、そこら辺りにたのでしょう、早速く案山子に尋ねたのです。ここで、「一寸待って下さいよ」と言わざるを得ません。「かがし」と言うのは、米作りが始まってからの事では似でしょうか。すると、コノオホクニの時代には、まだ縄文の時代ですから、米作りは始まってはいない事になるのです、すると、必然的に<案山子>なるものの出現は、まだなはずなのですがどういうことでしょうか???

多爾具久能佐和多流伎波美

2018-03-14 11:13:16 | 日記
 「多爾具久能佐和多流伎波美」より、宣長は「古事記」にある「多爾且久<タニグク>」の説明をしておりますが、私の説明不足で

  「おめえの いうこたあ ようわかりゃあへん」

 とお叱りを頂きました。誠にその通りですので、改めて、今日、それを書いてみます。

 宣長が言うには「多爾且久」の「且」と言う字は

              “決く写じ誤なり、具ノ字なるべし”

 とあります。「決く」は<ウツナく>と読み「疑いなく」と言う意味です。だから、「多爾且久」は「多爾具久」の誤りで、その意味は「万葉集」にある「多爾具久能佐和多流伎波美<タニクグノ サワタルキワミ>などから判断すると、

              “此レは蟾蜍<ヒキガエル>のことにて”

 と説明がしてありました。ががいもの穀のようなつ小さい船に乗って沖からやってきたもの言わぬ神様の名前を誰も知った人がいません。その時なぜだか分かりませんが、この何処から来たのかも分からないヒキガエルが物を申したのだそうです。

 ここで又又疑問点が浮かんできます。何故「ヒキガエル」が出て来たのでしょうか???それについてこれ又ですが、明日にでも

多爾且久<タニグク>

2018-03-13 20:03:21 | 日記
 <タニグク>?????こんななへんてこりんの名前が出てきます。何でしょうかね?何処かに之を解くカギがあるのでしょうか???これを解くカギとして宣長が上げているのが万葉集にある

                  “多爾具久能佐和多流伎波美”

 です。この例からして、“多爾且久<タニグク>”の「且」は「具」の間違いと言っておられます。何処からこれを引張り出したのやら???その見識は!!!これ又すごいと思われませんか???

天之羅摩船に乗っていた神様が・・・・

2018-03-12 10:50:07 | 日記
小さな“天之羅摩船<アメノ カガミノフネ>”に乗った“鵝皮<ヒムシノカワ>の服を着た神様がオホクニの前に、

                “有帰来神”

 と書かれてあります。<ヨリクル カミ アリ>と。「帰り来た」のですから、「そこから何処かへ行って、再び、戻って来た」と言う意味んになると思うのですが、オホクニにも、その船に乗っている神様が誰か分かりません。一体何者だろうかとオホクニならずとも誰でも思うのが当たり前です。そこで、オホクニが尋ねます。

          “爾雖問其名不答<カレ ソノナヲ トワスレドモ コタエズ>”

 そこでオホクニは仕方ありません。今度は

          “且雖問所従之諸神皆白不知皆<マタ ミトモノカミタチニ トハスレドモ ミナシラズト マウシキ>”

 です。「ミトモノカミタチ」ですが。これは船に乗っていた神の御供ではありません。オホクニの家来たちの内で、誰か知っている者がいたらと尋ねたのです。
 誰も知っている人はいなかったのです。犬のおまわりさんではないのですが「困ってしまって」之状態です。何かいい智恵が無いでしょうか???その回答を古事記では

             “多爾且久<タニグク>”

 なる物がどうしてかは分からないのですが登場するのです。

 こんなことを一つずつ取り上げていかなければならないほと、古事記と言う本は読みずらい本なのです。まあ、そんなにお急ぎでないお方はお付き合いください。

 古事記 御代十之巻に入って、未だ三行目でが、引き続き面倒なことが次から次へとでてまいります。「ええかげんいせえ」と言いたくなるような退屈な場面ですが、まあお聞きくださいませ!!!!!??????

 
  

内剝鵝皮剥

2018-03-11 10:24:55 | 日記
鵝皮<ヒムシノカワ>とありますが。「鵝」はガチョウです。その皮ですから、もし、これが本当なら相当大きな服が出来ます。そんな大きな服を着て、がガイモの皮で出来ているようなちっぽけな船なんかに乗ることは不可能なはずです??
 此の「鵝」と言う字について、かの宣長先生はと言いますと

   “鵝ノ字は決(キワ)めて誤なり。此は甚く小さきことを云るに、鵝は、さいふばかりの小鳥にあらねばなり。・・・”

 だとしています。そして、「鵝」は「蛾」で、蛾でも蟻の一種で羽根が生えて飛ぶ蛾「ヒムシ」で、その虫の皮を剥いで作った服を着ていたと、他の文献から細々と御丁寧に考察しておられます。此処だけの話ではありません。まあこんなに宣長一人で、これだけのことがよくも調べられたものだと、改めて、感心しております。どうでしょうか????一体、この「古事記伝」は何年くらい画けて完成したのでしょうかね。その苦労のお陰で安易に我々がその内容を知ることができるのです。

 3月9日の「ありがとうを」に、この本居宣長先生を上げればよかったと、今、つくずく思っております。