私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

猿田毘古神と天宇受売神について

2018-10-26 09:45:31 | 日記
 あまり面白くもないのですが、この「猿田毘古神」と「天宇受売神」の話し合いについて、日本書紀には、大変面白い事が書かれていますので紹介します。

 まず、サルダヒコですが、その姿を

 “・・・・背長七尺余、当言七尋 且口尻明輝、眼如八咫鏡 面赩然似赤酸醤也。”

 と書かれおります。「背長七尺」ですが、どうしたことか、更に、それを「当言七尋(7ひろというべし)」と書き直しております。そして、口とお尻が赤々と光っているのだそうです。
 此処まで来て、どうして「七尺」を、改めんて「7尋というべし」と言い直したのだろうかと疑問に思われますよね。「1尺」は約33cmですが「1尋」とは約180cmもあり、2つが同じと云う訳には行きませんよね。どうしてでしょうか????
 不思議ですよね。そこで、また、宣長先生のお智恵をお借りしました。彼曰く

 『サルダヒコは「猿」のような格好をしているから付いた名前で、決して、サルではないのだ。猿の形をしているので4つ足で生活しており、形は「這要坐形<ハイヰマス>」です。高さは7尺ですが、頭から尻尾までの大きさは12.3mもあるのだ問説明があります。だから、尻が下を向いており下の方を照らし、口は上を照らしており、眼は八咫鏡のようにホオズキのように赤々と輝いている。』
 と。

 そんな「サルダヒコ」と、堂々と、「アメノウズメ」は

        “乃露其胸乳、抑裳帯於臍下 而笑噱向立”

 「その胸乳を露わにかきたて、裳帯を臍の下にまで押し下げ」て対面します。その姿が小杉放庵の

             

   です。

猿田毘古神の登場です

2018-10-25 08:39:13 | 日記
  アメノウズメを派遣して、ニニギノミコトが「天降」道の上下を明るく照らしていた者が何者か探りに行かせたのですが、その相手が

         “猿田毘古神<サルダヒコノかみ>”

 です。この神様はどのような神様かは、「古事記」には何も説明はありませんが、「日本書紀」によると

 「その鼻の長さ七咫、背の長さ7尺余り、・・・ また口尻明り輝<テ>り」

 と書かれております。「鼻の長さは、一咫(あた)は約15cmですから、1mぐらはあるのでしょか??、背丈は七尺としながらも、その後に、「七尋」としておりますから、12、3mぐらいあったのでしょうか、そして口と尻が赤々と照り輝いている。」と書かれております。誰が見てもその姿形の不思議さに驚いて逃げ出し兼ねないような姿ですよね

 その猿田毘古神を備中神楽のお面では写真のような面相をしておいでです。

            

 この鼻が1mくらいですから実際の背丈はどのくらいか想像がつくのではと思われます。

 このような大男と、堂々と、“面勝<オモカツ>したのですよ。「天宇受売神」は!!!
 

     

“汝者雖有手弱女子"之女性とは??

2018-10-24 10:29:58 | 日記
「汝者雖有手弱女子」と天神に言わしめた「天宇受売神<アメノウズメノカミ>」ですが、あなたはどのような姿を想像されますか。古事記では

          “伊牟迦布神<イムカフカミ>”
          
 だと書いてあります。<イムカフ>は「射向かう」で、「相手と堂々と差し向って、少しも気後れすることなく、話を付ける」と、言うぐらいの意味だと思います。宣長先生は、この<イ>は「発語なり」(意味を強めるための接頭語)と解説してります。そして、彼女には、まだまだ、誰とも分からない猛々しい敵とも平和裏に交渉するに相応しい能力があったのです。それが

          “面勝神<オモカツカミ>”

 です。どのような恐ろしい相手に対しても、臆することなく、堂々と対処することができる神だと言うのです。こんな神様だとは、この場面を読むまで気が付きませんでした。これも読書の楽しみです。このような女性だったからこそ、アマテラスが天岩戸にお隠れになった時、あのような多くの神の前でも、堂々と、乙女だったら恥ずかしがって、二の足を踏むような「ストリップ姿」で、踊りを披露出来たのだなと感心しております。


 さあ、こんな性格の「ウズメ」を「小杉放庵」という絵描きは次のように描いております。その絵を見た瞬間に「うまい」と言わざるを得ません!!!どうでしょうか?????

              













どうですか

まずは「手弱女人<タワヤメ>」論を

2018-10-23 09:04:59 | 日記
     “汝者雖有手弱女子。與伊牟迦布神面勝神”
      <イマシハ タワヤメ ナレドモ イムカフ カミト>

 についてですが・・・・まずは、この「手弱女人<タワヤメ」について・・・・

 ニニギが「天降」時、道の上下が明るく照り輝いております。それを不思議がったアマテラスと高木神はアメノウズメを呼んで、その原因を探るように命令します。その時に使った言葉が、この「手弱女子」です。此の言葉についてですが、これは読んで字のごとくですからお分かり頂けると思いますが、もし現代であったならば、すぐさま、あの杉田某のように「女性差別だ。」何んて大声を上げて、真っ先に非難され、轟々と世間にさらされること間違いありませんが、712年頃の風評では、それが当り前なのだったのか、此の言葉が、堂々と、使われているのです。
 この「tawaタワ」という語の持つ響きは、男性的ではない、どこか柔らかな感じを与えてくれる女性的な美しい日本語だと私は思うのですが。女性そのものを指し示すものではないにしても表現としては大変優れている言葉だと思われますが。
 此の言葉を現代の古事記を訳す人達は、大概、「かよわい」という言葉で書き表しておりますが。むしろ「たわやか」と訳しておいた方がその場うより相応しい訳語ではないかと思われます。
 いわずとしれて「アメノウズメ」は、アマテラスが天岩戸にお隠れになった時に、天岩戸の前で、八百万神を前にして、あられもない姿で踊りを披露した勇気ある女性ですから、「かよわい」と言うより、むしろ「たわやか」と訳した方がこの場により相応しいのではと思いますが、これもどうでしょうかね???

ニニギノミコトの“天降”です

2018-10-22 09:30:34 | 日記
 いよいよニニギノミコトの

               “将天降之時”

 これを<アモリマサム ト スルトキニ>と読んでいます。「天降」即ち、高天原から水穂国へ降りて行かれようとする時です。オホクニの支配する葦原中国をアマテラスの御子に統治させようと相談に行かせた天若日子や建御雷神の時にはなかったのですが、ニニギノミコトが「天降」時には

              “天之八衢<アメノヤチマt>”

 「衢<チマタ>」にです。「ちまた」は「道股」です。道が八つも分かれている処があるのですが、何と、いつもとは違い、そこは上へも下へも道という道総てが赤々と照り輝いているではありませんか。天若日子等の降り行く時にはなかったのですがね・・・、どうしたことでしょうか。アマテラス等は随分と心配して、急遽、“天宇受売命”をその原因を探りに行かせます。その時にアマテラスがアメノウズメに言った言葉が、又、大変面白いので書いていみますのでお読み下さい。

            “汝者雖有手弱女人。與伊牟迦布神”

 と。「手弱女人<タワヤメ>」は兎も角も、「伊牟迦布<イムカフ>」という言葉の意味が面白いので、説明が長くなりますのでこれは、また、明日にでも・・・・