私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“堅石避酔人”・・・・

2020-03-18 10:37:08 | 日記
        <カタシハモ エヒビトヲ サケル>
 これは沢山ある古事記の“諺曰<コトワザニ イフ>”の一つです。なお、小学館の「ことわざ大辞書」には、硬い岩も酔っ払いを避けるという意味で、「酔っぱらいの扱いにくい」というこだと説明がしてあります。
 この言葉は、昨日書いたように応神天皇がススコリが醸んだ酒を沢山飲み、杖の助けを借らないと歩むことができないぐらい酔っ払い、ぶらぶらと、そこらあたりを杖を頼りに歩き回ります。その時、路傍にあった大石すら天皇の持っている杖にあたることを避けてどこかへ逃げ出したという言い伝えがあり、それがこの諺のもとになったのだと、古事記にはご丁寧に説明してあります、。
 それぐらいこのススコリのお酒が、従来あった日本古来からのお酒に比べ美味しく、その結果、天皇が沢山召し上がられたということを述べているのです。

 私もお酒が大好きなものですから。ついいい気になって書いてみました。お目を通していただけますれば幸いです。

須須許理の酒は・・・

2020-03-17 14:54:14 | 日記
 今迄に飲んだ酒より一段と美味しかったのでしょうか応神天皇は随分と心地よい気分になられたのでしょうか、
       “宇羅宜<ウラゲ>御歌曰<ミウタハシケラク>” 
 心浮き立つような気分になられて

           須須許理賀 迦美斯美岐邇<ススコリガ カミシミキニ>
           和禮恵比邇祁理<ワレエヒニケリ>
           許登那具志 恵具志爾、コトナグシ エグシニ 
           和禮恵比邇祁理<ワレエヒニケリ>

 と詠われます。大分酩酊気味に、心がやたらと自然に面白がってだと想像しますが??????
 <コトナグシ>とは「事和酒」で、憂きことや哀しいことなどを和(なごやか)にする酒で、<エグシ>とは「笑酒」で、読めば自然に笑顔になれる酒という意味です。酒の元々の名「御酒(おみき)」の「ミキ」で、飲めば気分が良くなり心が「サカエル」から「サケ」という言葉がうまれたとは宣長説です。それが、どうして「クシ」になったのかは私にはわかりませんが????また「酒」を「ささ」というのでしょうか。これも分かりません。


    まあ!!!!! そんなに大変上機嫌になられて、天皇は歌を突然に大声で歌いだします。

古代の「知醸酒人<ミキヲカムコトヲシルヒト>」について

2020-03-16 10:02:07 | 日記
 さて、この酒造りの名人「須須許理」が我が国に来てお酒を造りますが、どんなお酒かは何も説明がありません。
 お酒の話は古事記にはそれまでにたびたび出てきます。最初は「八岐大蛇退治」の時です。この時の酒は「醸八塩折之酒」<ヤシホオリノサケヲカミ>ですが、この古代酒はあまりアルコール分が高くなかったのでしょうか、八度の絞り直して作った大変に濃いお酒だったということがわかります。なほ、「醸<カム>」ですが、一般に言われているような口で咬んで造るのでなく、醸造して作る方法を言うのだと宣長先生です。
このスサノヲの時代はお米からではなく黍などの雑穀から造られていたのではないかと思われます。
 また、このオホクニは妻の嫉妬から避け逃げるように大和へ行こうと家から出ようとする時にその妻の“須勢理毘売<スセリヒメ>が夫のオホクニへ

        “其后取大酒坏。立依指挙而<ソノキサキ オホミキサカヅキトラシテ タチヨリササゲテ>”

 お酒を差し出します。そのほかに、応神天皇の母がスクナヒコナが醸したお酒だと言って幼少の我が子に「待酒」を出したという話もありますが、これらの酒は、まだ、現在のようなお米から作られたお酒ではなかったのでは考えられます。粟や黍などからの雑穀やブドウなどの果物類からのお酒ではなかったかと想像されますがどうでしょうか???
 本格的なお酒は
        “須須許理”
 によってもたらされた応神天皇がこの時に飲んだお酒だと思うのですが???

「知醸酒人」の・・・・

2020-03-15 11:06:50 | 日記
 また応神天皇の時に「知醸酒人<ミキヲカムコトエオシレルヒト>」

               “須須許理<ススコリ>”

 が渡り来ます。
 酒を造ることが上手な人です。この人は先に遣って来た論語を伝えた「和邇吉師」や鍛冶の巧みな「卓素」や機織り職人「西素」など百済の照古王が遣わした百済の賢人ではありません。自らが自主的に何らかの理由で日本へ渡来してきた人です。それは”参来<マイワタリキ>”という記述から知ることができます。
 この「須須許理」は酒造りの名人です。「知<シレル>」とはその術をよく知っているという意味です。
 「ススコリ」は大御酒を醸造して出来たお酒を天皇に献上します。そのお酒を天皇はお飲みになって

               ”宇羅宜<ウラゲ>”

 と書かれております。「すずろに心面白く、浮き立つような心になって」です。ここでも、またまた、歌が飛び出します

応神天皇の御世は・・・・(2)

2020-03-14 10:24:07 | 日記
 新羅の他に、応神天皇の御世には、百済からもたくさんの先進の文化や技術が日本に移入しております。それを古事記には
  
 “亦 百済国王<クダラノコニキシ>照古王<セウコワウ>。以牡馬壱疋牝馬壱疋。阿知吉師<アチキシ>貢上タテマツリキ>”

 百済の王様「照古王」が阿知吉師に命じて雄雌の馬を献上しますが、この時代には日本にも馬はいたのですから、この時、献上された馬は百済でも最上等の馬です。
 更に、この時「阿知吉師」より献上された物は「横刀・大鏡」もあります。尚更に、応神天皇は

     “科賜百済国 若有賢人者献上
    <クダラノクニノニ  モシ サカシビトアラバ タツマツレトオホセタマフ>”

 百済に、もし「○○博士」と呼ばれるような大変賢い人がいたならば派遣してくださいと要請したのです。すると、「照古王」は百済の賢人

         “和邇吉師<ワニキシ>”

 に「論語十巻・千字文一巻」をつけて「貢進<タテマツリキ>」。更に、”卓素<タクソ>”という人が「上手人韓鍛<テビトカラカヌチ>」を
 “西素<サイソ>”という人が「呉服<クレハトリ>を「貢上<タテマツリキ>」
 
 鍛冶の技術者や機織りの名人などがこの応神天皇の要請により我が国へ渡来して来ております。