私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“伊夜袁許邇斯弖 伊麻叙久夜斯岐”

2020-03-07 10:24:50 | 日記
        “伊夜袁許邇斯弖 伊麻叙久夜斯岐”
       <イヤオコニシテ イマゾクヤシキ>

 と、オウジンは、日向から来た采女「髪長比売」の顔容麗美<カオヨシ>をこの「豊明の日」に初めてまじかに見て、
 「アッ失敗した。この女性がこんなに綺麗だったとは思わなかった。早くからその美しさを知っておればよかった。今では息子に与えてしまったのが悔しいが、仕方ない。ああ残念だったなあ。」
 と思うのでした。
 「袁許<オコ>」とは、「おかしなこと」ですが。宣長は「あはうらし」という意味だとしています。
 このような恨み言葉をオウジンは宴会場で堂々と歌ったということは、おのが息子のこれからの幸せを一杯願った親心がその中に含まれているのです。
 なお、この歌の前段の歌を書いておきますのでお読みください。

        水たまる 依網(よさみ)の池の
        堰杙(いぐい)打ち 刺しける知らに
        蓴繰(ぬなはく)り 延(は)へけく知らに
        我が心しぞ
        伊夜袁許邇斯弖 伊麻叙久夜斯岐”

美しい日本の歌を・・・

2020-03-06 11:18:15 | 日記
 今、「美しい日本の詩」を読んでいます。大岡・谷川が編集した日本の古今を代表する歌です。この中に最古の詩として載せられているのが

    ”大和は 国の真秀ろば 畳なづく 青垣 山籠れる 大和しうるはし”

 です。どうして数ある古事記の歌の中から、この歌を特に取り上げたのかは分かりませんが、もし私が選ぶとすれば、この歌よりも寧ろ、
 あの伊弉諾と伊弉冉が後で取り交わした歌を上げたいのですが。

         “阿那邇夜志 愛袁登売袁”
         “阿那邇夜志 愛袁登古袁” 
         <アナニヤシ エオトメヲ>
         <アナニヤシ エオトコヲ>

 どうでしょうかね??????

豊明の日に天皇は詠って言います。

2020-03-04 12:44:32 | 日記
 「お前たち太子たちよ。このかわいらしい
       “本都毛理 阿迦良袁登売<ホツモリ アカラオトメ>”
 髪長比売と一緒に行ってしまったらいいだろう。」
 と差し出られた盃を打て取りながら「応神天皇」は声高らかに歌います。
 これだけであったならば、日向から来た采女を「そんならどうぞ」とばかりに、簡単にその御子に手渡したかに見えるのですが、しかし、天皇の内心に、
 「こんなきれいな乙女を我が子に先取りされたのだなあ」
 という悔恨の情が多少はあったのではと思うのですが、それが次の歌の中に隠れているように思われるのでsyが???

豊明之日とは・・

2020-03-02 10:35:13 | 日記
建内宿禰より、新しく日向から来た「髪長日売」を自分の妃にという大雀命の思いを知らされた応神天皇は承諾するのですが、どのような女性かということを知っておきたかったのでしょうか、天皇は

       “豊明<トヨノアカリ>”

 の日に「御子がどのような女性を自分の妃にと思っているのか。」と知りたくなったのでしょうか、その髪長比売に対面します。
 さて、この「豊明の日」とはどんな日かと言いますと、多くの訳本によると
                 “新嘗祭”
 の時だと書いておりますが、宣長が説くように
         「大雀命の妃のための婚約披露宴」
 みたいな宴会ではなかったのだろうかと、私は解釈しておりますが??

 なお、念のために宣長は
 “そのそも顔が赤きは、面の栄えて。神代の歌に、朝日の笑栄<エミサカ>えとあるも、朝日の赤さし出る如くと云るなり、又酒もこれを飲めば、心も面色<カホ>も栄える故なり。されば、豊明<トヨノアカリ>とは、天皇を始め奉り、人皆も大御酒を食<タベ>て顔を赤らめて咲楽<エラギタノシム>よしの名なりと知るべし”
 と説明がしてあります。