私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

またもや、中国の名君が出てまいります・・

2021-01-25 11:05:18 | 日記
   “文命”と“天乙”

 ですが、よほど中国史に精通してないと分らない名前です。「よれをすらすら」と良くも太安万侶は・・・ち、感心すること仕切りです。
 宣長によってですが、この二人の王は 伝説的な中国の「夏」や「殷」の名高い王様だということ・・・

     ”可謂名高文命、徳冠天乙矣”
    「名は夏ノ禹王よりも高く、徳は陰の湯王よりも冠<マサ>れりといひつべし」

 元明天皇を忖度した褒め言葉を使って紹介しております。この天皇が

     ”於焉惜旧辞之誤忤、正先紀之謬錯”
    「焉(ここ)に旧辞の誤り忤<たが)へるを惜み、先紀の謬(あや)まり錯(まじ)れるを正さんとして」
 
 と、お考えになられ・・・

“連柯并穂之瑞、史不絶書、列烽重譯之貢、府無空月”

2021-01-23 10:37:10 | 日記
 “連柯并穂之瑞、史不絶書、列烽重譯之貢、府無空月”

 これをどう読み、その意味するところはと思いますが宣長先生の言を元に簡単に解釈しますと

 「一本の木に違う木の枝が出たり、違う草の茎にイネの穂が出たりと、日本のあちらこちらから瑞祥の珍事が報告され書物に記され、更に、烽火でしか交信できないような遠い国からや言葉の分からないような国から貢物が一杯届けられ、倉庫が空になることがないくらい都は栄えている。」
 
 具合になるのではと、まあ、くたびれ損ぐらいのつもりで書き綴ってみました・・・・

余りの難解さ故に・・

2021-01-22 10:30:44 | 日記
 余りにも難解過ぎて私の能力を越しており、また、読んでくださる人もあまりいないので、「これ以降は止そうかな?」とおもったのですが、毎日為すこともないぼけ老人ですから、もう少しの間、読み進めてもいいのではと思い直して、続けてまいります。
 さて、そんなことで今日も、また・・・

    “御紫宸而徳被馬蹄之所極、坐玄扈而化照船頭之所逮”

 ですが、奈良の都の時代にです。それも、日本の歴史書にこんな小難しい言葉をどうして使用したのかなと、あまりの難解さに愚痴さえ出そうな文章の続出ですよね!!!!これをどう読み下せば???   先ずはそれから取り掛かります。
 
 「紫宸(ししん)を御して徳は馬蹄の極まる所に被(およ)び、玄扈(げんこ)に坐(いま)して化は船頭(ふながしら)に逮(およ)ぶ所を照らしませり。」 
 これとても、先人の助けを借りて漸くにです。さて、その解釈は、「紫宸」「玄扈」は天皇も御處です。

「天皇のお住まいから発したその徳は馬蹄は行きつく所まで無限に行き広がり、御所に居ながらにして、船が行き着く所にまで、国の隅から隅までに行き渡っている。」

 という意味ぐらいになるのではないでしょうか???これだけではすみません、元明天皇のこのような政治をさらに称えて

    ”日浮重暉、雲散非烟”
 「太陽が常に空に浮かび輝きを重ねて、雲は散り果て、空一杯に瑞雲が満ち溢れています。」
 と。

 「まあ、よくもこれまでに???」と思われるような度々の「太安万侶」のとこまでも続く天皇の治に対する度を越したる超忖度だといっても言い過ぎではないと思いますが????????????????? 
 
 これに比べると例の安倍さんにした役人たちの忖度は多寡が知れていますよね!!!!!
 

 “伏惟皇帝陛下、得一光-宅、通三帝-育”

2021-01-21 10:04:51 | 日記
  " “伏惟皇帝陛下、得一光宅、通三帝育”

 如何に読むのでしょうか、又、その意味するところは何か、これもさっぱり雲を掴むような言葉です。
宣長によると、
  「得一光宅」とは、老子にある「王侯は一を得て以って天下の貞と為る」から取られた言葉で、「光宅」とはて天下を家とする、即ち、帝位について徳を天下に広められ、「三に通じる」宇宙も根源である天地人の徳を身に付けられ、民を化育されて、世の中が大変安定して平和になった、という意味だと説明しています。

 これも、又、先の天皇である天武と同様に、時の天皇である元明天皇に対する忖度した文ですが、この文を宣長は、

 “これより又例の漢語<カラコトバ>どもを多く引出て賛申せり”

 と、少々大げさに、太安万侶のこの言葉に対して、やや批判的に、そこまで、わざわざ中国の言葉を持ってきて言及しないのでもいいのではないかと、と書き足しております。

 この言葉を素直に読まれて、皆さんはどう思われますか???ご意見があればとも・・・・

次の文も、亦、読むには読めますが・・・・

2021-01-19 10:01:05 | 日記
 “然運移世異、未行其事矣”
 <シアレドモ ヨハ ウツリハコビテコトニシテ イマダ ソノコトハ オコナヒ タマハザリキ>

 天武天皇はご逝去され、天皇の申された「既違正実、多加虚偽」の帝紀及本辞は、未だ、未完成のままで終わって、ただ、その正しい歴史は「稗田阿礼」の口に残るだけになってしまっていました。

 「やれやれこれで・・・」と、思った途端です。次に続く文字を見ます。どうでしょうか???皆さんはどうお読みになられますか。

  “伏惟皇帝陛下、得一光-宅、通三帝-育”

 「惟」、「これ」「ただ」としか読み方はないと思ていたのですが、辞書に依ると「おもう」とも読むのだそうです。これも目から鱗です。この文の解釈には宣長先生無くしては、私には、決して、読み解くこと能わずです。
 「伏惟」を、<フシテオモフニ>と読んでいますす、辞書には<オモンミル><フシテ>とあります。

 その次の「皇帝陛下」とは???これからも何やら込み入ってきそうで、何が何やらラなくなりそうです。これだけで1時間は経過しています。これ以上は私の心では読むこと能わずです。 また、続きは明日にでも・・・・