私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「度目誦口、払耳勅心」なる稗田阿礼は・・・・・・

2021-01-18 10:42:17 | 日記
 ここに来て、初めて“稗田阿礼”の名前が出てきますが、。此の人物の特色を。

     “時有舎人、姓稗田名阿礼。年是廿-八、為人聡明<ヒトトナリ ソウメイニシテ>、度目誦口、払耳勅心”

 と書き表しております。奈良期の最高の博学者だったのでしょうか。彼の人となりについて更に」
   ・「度目誦口<メニワタレバ クチニヨミ>」・・・彼が一度目にした書いたものは総て記憶して諳んじることが出きる。
   ・「払耳勅心<ミミニフルレバ ココロニシルス>」・・一度聞いたことは、決して、忘れることない。
 と。この二十八歳の青年「稗田阿礼」に天皇は “即勅語阿礼” して「帝紀日継、及先代旧辞”」を、”令誦習”。  
  
 この「令誦習<ヨミナラワシム>」について、一般には、
 ただ単に「帝紀の日継や先代の旧辞」を読んで、それを稗田阿礼に覚えさせるだけはなく、「習わした」としてありますが、宣長は
「抑直に書には撰録しめずして、先ずかく人の口に移して、つらつら誦み習はしめ賜うは、語(ことば)を重みしたまふ故なり。」
 と古事記伝で説明しております。

“王化之鴻基焉”

2021-01-16 09:58:00 | 日記
 又、小難しい漢語が並んでいます。

 “斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉、故惟撰録帝紀、討覈旧辞、削偽定実、欲流後葉”

 です。何と小難しい漢字が、こうも、次から次へと並ぶもんだと、驚くやら感心するやらです。まず、「経緯」「鴻基」「討覈」「後葉」とは何ぞや???です。そこで、又、また、マタ・・・宣長です。
 なず、経緯ですが、「織<ハタ>の経緯<タテヌの糸にたとえた。」、鴻は「大なり」、討覈<トウカク>は、「深く実を尋ねて考へ究めること」、後葉は、「後世」なり」と。

 要するに、太古の昔から日本に伝わっている「帝紀」や「旧辞」に書かれていることが真実であるかどうかを調べ、偽りの部分を削って、後世に伝えようとお考えになられた。最後にある「欲流後葉」を
      <コウヨウニ ツタエントホッス ト ノタマフ>
 と読んでいます。

聡明なる天皇は・・・・

2021-01-15 10:34:16 | 日記
  “当今之時、不改其失、未経幾年、其旨欲滅”
 と。
 ここに記されている太安万侶の十二字は、この「古事記序」の中で、唯一、辞書も何もいらないで読める数少ない部分で、天武天皇の日本の正しい歴史を後世に伝えようとするその深慮なる思いが伝わってくる場面です。

 この言葉に対して本居宣長は、その解説として次のように書き表しております。

 「然るに後の世人の学問は、正実の処をばなほざりにして、ただ漢<カラ>めきたる虚偽の文をのみ重くすめるはいかにぞや。」

 と、当時の日本に於ける古事記の研究の在り方に苦言を呈いています。

天武の仁政が・・

2021-01-13 11:02:26 | 日記
 太安万侶は天武の仁政について、当時の世界最先端の国「中国」の陰陽五行説に照らして当時行われていた天皇政治の素晴らしさを称えています重ね加えて説明しています。それが

    “重加智海瀚探上古。心鏡煒煌。明覩先代”

 と書かれています。その意味は
「その上、天武天皇はその深い海のような智慧で以て上代に歴史についても探り求めて、その御心は鏡のようには明るく、先代についてもどこまでも明らかに見通せた。」
 と。
 このように海のような深い叡智ある天皇が仰せられます。“於是天皇詔之”です。

      “朕聞諸家之所賷。帝紀及本辞。既違正実。多加虚偽” 

 「今迄に我が国に言い伝えられている「帝紀」や「本辞」の歴史書を見るとに、歴史的に見ても明らかに誤った正しくないことや、嘘偽りの歴史が沢山に付け加えられています。」
 と。

「重加」ですが???

2021-01-11 10:23:35 | 日記
 太安万侶の「古事記序」を読んでいます。その中にある言葉です。

            「重加智海浩瀚・・・」
 と。何と読んだら???『重加」です。その意味から考えると「重ねて加ええる」ですから、「その上」と呼んでもと思いました。しかるに、これに宣長は

            「シカノミナラズ」

 とルビを符っています。「しかのみならず」という大変古臭い和語を持ってきたものだと感心しております、ちなみに「シカノミナラズ」を「広辞苑」には

             「加之」
 という字を当ててあります。
 日本語って本当に意味の深いものですね。改め見直しますね。