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『山登りねこ ミケ』の読後感、著者に続々届く! その16

2010年04月20日 | 岡田裕の山登りねこ、ミケ@安曇野

「ミケ本」を読まれた方から、さらにさらに引き続き著者の岡田さんに感想が届いています。

●本当にいい本でした。送ってもらった10冊、完売間違いありません。  (愛知県、40代女性)

●とってもいい本で感動しましたのであと5冊いただきます。(安曇野市、60代女性)

●団地の地域猫を守る上でミケの本がとても役立っているんですよ。読んで地域猫のことを理解してくださる方もいて、とても嬉しい。この本は猫さんを守る聖書のようなもの。有り難いよ!現在、ミケ本、30冊売れちゃいました。まだまだ、これからで〜す。出版するにあたっていろいろ大変だったけど、思い切って出版できて本当に良かったね。 (高槻市、40代女性)

●今日、母と有明にあるラピュタさんへ夕飯を食べに行き、そこで登山猫ミケの本を見させてもらいました。以前、母が登山猫のミケちゃんのことを雑誌か、新聞で見たことがあり、超興奮しておりました(笑)しかも、私たちの地元「たかつや」にも登ったとのことで、大興奮!!! うちにも猫を飼っていて、ラピュタに行くと、ついつい猫の話で盛り上がってしまいます。 近々、この本を平安堂で購入させていただこうと思います。
 私、池田町の夢農場というハーブ園で働いております。これから桜のシーズンを迎えますので、よろしかったらミケちゃんと一緒に遊びにお出掛け下さい。

●すごいですね。リードなしで猫が一緒に行動するのも無理なのに山に登るなんて。うちの猫には絶対できません。
岡田さん、ミケ本のあとはCDデビューですね。(安曇野市、40代女性)

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「あいつと気ィ合うわ」=「ごんぎつね」から~子どものまなざし 33

2010年04月20日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 新美南吉の「ごんぎつね」という話はあまりにも有名です。今も四年生の教科書に載っていて、子どもたちの好きな話です。

 さて、この話を今の子どもたちは、どう読むのでしょうか。京介くんの感想です。

  ◆  ◆  ◆

 ごんへ
 死んでかわいそうやなあ。なんで兵十うつねんな。ほんまあいつうっといなあ。せっかく松たけとか栗とか持って行ったったのに、なんで鉄ぽうなんかでうたれなあかんねんな。お前だいじょうぶか?気ィつけや。ほんまうっといなあ。ごん、でもほんまに死んでるん? お前おれと気ィ合うやつや。やさしいなあ。バイバイ

 兵十へ
 お前ごんにあんなことしたんなや、あいつかわいそうやん、やめたれや!
 ほんまは、ごんがお前の家に栗や松たけ持って来てくれとってんぞ!かんしゃしろや。なんで鉄ぽうなんかで、うとうとしたん? べつにいたずらぐらいええやん。ごんは気ィよう生きとんねんからほっといたれや。ぼけ!お前あとからこうかいしてんねんやろ。こうかいすんねんやったら、はなっからすんなや!ぼけ、カス、ちび、死ね!

  ◆  ◆  ◆

 京介くんは、ごんのように学校でも、体育倉庫から石灰を持ち出し、水と混ぜてダンゴを作り、壁にぶつけたり、先生に反抗して教室を飛び出したりと、なかなかのやんちゃ坊主です。

 その京介くんが「ごん、お前おれと気ィ合うやつや」「ごんは気ィよう生きとんねんからほっといたれや」と黙々と書いているのです。ごんと自分を重ねて共感している姿が、なんともかわいくて笑ってしまいました。

 担任の先生も以前は、京介に怒ることが多く「『ぼけ、カス、ちび、死ね』とは何ですか!消しなさい」と叱っていました。

 ところが、今は、京介の思いや気持ちがわかってきて「京介かわいいとこあるで」と口にすることが増えてきたのです。そして、この感想を「おもしろいわあ。これ真剣に書いてたんですよ。読んでやってください」と私ににこにこしながら見せに来てくれたのでした。

 さて、この教材。「封建的な時代背景の中での人間疎外の社会がもたらす悲劇」ととらえられてきた向きが多かったのです。しかし、私は、今日という時代の中で、この作品をどう読み、子どもたちとどう出合わせるのかと再び読みなおしたのです。

 今日という時代は、人が人を信じることに困難を抱えています。しかし、誰もが人の温もりに触れ、信じ合いたい、つながり合いたいと願っているのではないでしょうか。

 あの最後の場面。「ごん、おまえだったのか…」「ごんは、ぐったり目をつぶったまま、うなずきました」。ここに、わかり合えた世界があるではないでしょうか。南吉の初稿では「ごんは、ぐったりなったまま、うれしくなりました」とあるのです。「ごん、やっと通じ合ったね、よかったなあ」と思わず声をかけてやりたくなります。

 私はこの話を、人間はわかり合える、という信頼の物語として読みたいと思うのです。青いつつから立ち上る青いけむりを見ながら、悔やみきれない思いはあるのですが…。

 まほちゃんは書きました。

「青いけむりは、後かいのけむり。兵十の心がふるえている。兵十が何もかもわかった時に、青いけむりは消えた。悲しい運命…。でも、今、兵十とごんの心は、いっしょになった」

「兵十の心は痛い。ごんはわかってくれてうれしいと…。でも一緒に食べたり、本を読んだり、外で遊んだり、寝たり、ゲームしたりいっしょにしたかっただろうね。兵十は、ごんは、天国に行ってるように思う」とまあちゃんは書きました。

 子どもたちは、文学を自分の今と重ねて、みずみずしい感性で読んでいるのです。

(とさ・いくこ 中泉尾小学校教育専門員・大阪大学講師)

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