新美南吉の「ごんぎつね」という話はあまりにも有名です。今も四年生の教科書に載っていて、子どもたちの好きな話です。
さて、この話を今の子どもたちは、どう読むのでしょうか。京介くんの感想です。
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ごんへ
死んでかわいそうやなあ。なんで兵十うつねんな。ほんまあいつうっといなあ。せっかく松たけとか栗とか持って行ったったのに、なんで鉄ぽうなんかでうたれなあかんねんな。お前だいじょうぶか?気ィつけや。ほんまうっといなあ。ごん、でもほんまに死んでるん? お前おれと気ィ合うやつや。やさしいなあ。バイバイ
兵十へ
お前ごんにあんなことしたんなや、あいつかわいそうやん、やめたれや!
ほんまは、ごんがお前の家に栗や松たけ持って来てくれとってんぞ!かんしゃしろや。なんで鉄ぽうなんかで、うとうとしたん? べつにいたずらぐらいええやん。ごんは気ィよう生きとんねんからほっといたれや。ぼけ!お前あとからこうかいしてんねんやろ。こうかいすんねんやったら、はなっからすんなや!ぼけ、カス、ちび、死ね!
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京介くんは、ごんのように学校でも、体育倉庫から石灰を持ち出し、水と混ぜてダンゴを作り、壁にぶつけたり、先生に反抗して教室を飛び出したりと、なかなかのやんちゃ坊主です。
その京介くんが「ごん、お前おれと気ィ合うやつや」「ごんは気ィよう生きとんねんからほっといたれや」と黙々と書いているのです。ごんと自分を重ねて共感している姿が、なんともかわいくて笑ってしまいました。
担任の先生も以前は、京介に怒ることが多く「『ぼけ、カス、ちび、死ね』とは何ですか!消しなさい」と叱っていました。
ところが、今は、京介の思いや気持ちがわかってきて「京介かわいいとこあるで」と口にすることが増えてきたのです。そして、この感想を「おもしろいわあ。これ真剣に書いてたんですよ。読んでやってください」と私ににこにこしながら見せに来てくれたのでした。
さて、この教材。「封建的な時代背景の中での人間疎外の社会がもたらす悲劇」ととらえられてきた向きが多かったのです。しかし、私は、今日という時代の中で、この作品をどう読み、子どもたちとどう出合わせるのかと再び読みなおしたのです。
今日という時代は、人が人を信じることに困難を抱えています。しかし、誰もが人の温もりに触れ、信じ合いたい、つながり合いたいと願っているのではないでしょうか。
あの最後の場面。「ごん、おまえだったのか…」「ごんは、ぐったり目をつぶったまま、うなずきました」。ここに、わかり合えた世界があるではないでしょうか。南吉の初稿では「ごんは、ぐったりなったまま、うれしくなりました」とあるのです。「ごん、やっと通じ合ったね、よかったなあ」と思わず声をかけてやりたくなります。
私はこの話を、人間はわかり合える、という信頼の物語として読みたいと思うのです。青いつつから立ち上る青いけむりを見ながら、悔やみきれない思いはあるのですが…。
まほちゃんは書きました。
「青いけむりは、後かいのけむり。兵十の心がふるえている。兵十が何もかもわかった時に、青いけむりは消えた。悲しい運命…。でも、今、兵十とごんの心は、いっしょになった」
「兵十の心は痛い。ごんはわかってくれてうれしいと…。でも一緒に食べたり、本を読んだり、外で遊んだり、寝たり、ゲームしたりいっしょにしたかっただろうね。兵十は、ごんは、天国に行ってるように思う」とまあちゃんは書きました。
子どもたちは、文学を自分の今と重ねて、みずみずしい感性で読んでいるのです。
(とさ・いくこ 中泉尾小学校教育専門員・大阪大学講師)