卒業式は誰のため?
「卒業式で教員が本当に君が代を歌っているか――。和泉高校の校長が教頭らに指示して教員の口の動きを監視させていた。歌わなかったと判断された教員らは事情聴取のうえ、処分も検討」(朝日新聞12・3・16付)
この日の夜のニュースステーションでは、三人のコメンテーターが口をそろえて、「卒業式は誰のため?何のため?こんな式に出席した生徒はどんな人間に育っていくのか恐ろしい気がする」と発言していた。
■子どもらと創る卒業式
私も卒業生を何回も送り出してきた。卒業式は、子どもと一緒に創っていく最後の授業。そして、一生の思い出にしようと取り組んできた。
卒業のアルバムも式当日の「よびかけ」も実行委員会を作り、子どもたちの意見を寄り合わせて作成してきた。
どこにもない自分たちの卒業アルバムを!大好きだった絵も入れよう、心に残った授業のことも載せたい。紋きり型でない作文(六年間で書いた中で一番心に残ったもの)を載せたいと話し合いながら工夫したものだった。
そして満室の舞台、壁面の掲示物は、子どもたちの手で飾ろう、と前面の舞台は全クラスの子どもたちの貼り絵で、出席者をあっと言わせる作品を創り上げた。壁面は当日式に参加できない一年~四年生の子たちの似顔絵と花で飾った。式は厳粛にというが、子どもたちの精一杯の輝きがあふれていた式場は、まさしく厳粛そのものであった。
そして、圧巻だったのが「よびかけ」だった。毎年ほとんど変わらぬ文言でのこれまた紋きり型もあるが、子どもたちが歩み育ってきた六年間は、毎年違って当たり前。ぼくたちの「よびかけ」を創りたいと知恵を出し合った。
■成長を語る「よびかけ」
私のクラスでは、入学から卒業までの様々なできごと、ドラマ、成長のあしあとを年表ふうに作り上げ、そこから言葉を拾って「よびかけ」に結晶させていった。
そのプロセスで「先生もよびかけで、思い出を語ってや。未来のきみたちへもここで言ってください」「それやったらお母さんたちにも言うてもらおうや」という意見が出て検討することになった。職員会議で先生方にお願いをし、PTAの委員会では保護者によびかけていった。みなさん、子どもたちのこうした提案を快く受け止めてくださって、先生も親もともに参加するかつてない「よびかけ」が実現したのだった。
「一年生入学してまもなく『先生、目も手も足も勉強するねんな』と言って鉛筆を握りしめて真新しいノートに字を書いた日のこと、よく覚えていますよ」
「かけ算の七の段がなかなか覚えられなくて、ちょっぴり涙ぐみながらがんばったあの日、『覚えた』と先生に抱きついてきたことを忘れません」
「『ごんぎつね』のごんが死んだとき、『先生ごんかわいそうや』と言って声をふるわせて、最後の朗読をしてくれたこと、昨日のことのようです」
こうして担任してくださった先生方が当時のエピソードを心をこめてよびかけてくださったのです。
それに続いて、お母さん方のよびかけです。
「夜泣きをして困らせた子がもう一年生。赤いランドセルを背負って学校へ行く姿を見て胸いっぱいになった母さんです」
「学校に行きたくないと朝から言い出し、不登校になったらと不安になった母さん。仕事を休んで話を聴きました。夜抱いて寝たら次の日から元気に学校へ」
感動の涙でいっぱいになった卒業式。口をあけたかどうかなんて問題外。その先生方が子どもたちとどんな教育を創造してきたのか、式を創り上げる取り組みの中で、子どもたちがどんな成長をみせてくれたのかこそ問いたい!
長いものには巻かれ、自分の言いたいことあっても黙って従い、従わない者には懲罰を下す。そんな大人たちの姿を見て、子どもたちは未来に向かって、どんな人間になっていくのでしょうか。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)