「朝日新聞バッシング」に関して、メーリングリストで回ってきた昨日の『静岡新聞』の「現論」というコラムに田中優子氏(法政大総長)が書かれた内容に我が意を得た思いがしました。そのタイトルは「慰安婦バッシング 女性への人権侵害が本質」。
田中氏は8月の講演会先の宴会で、酔いが回った男性から「朝日新聞の誤報についてどう思うか」と質問され「真に向き合わねばならないのは慰安所がつくられ慰安婦がいたこと、それが戦争によって引き起こされたことだ」と答えましたが、その男性は「朝日新聞はけしからん。世界中に謝罪すべきだ。日本をおとしめ、日本人の誇りを損ねた」と、田中氏の言葉は聞かず同じことを繰り返すだけでした。
彼は「質問したかったのではなく、自説を認めてほしかったのだ(・・・)彼が固執しているのは自身の誇りだけである。今もこの地上に生きている、慰安婦体験者の女性たちの顔を、一度も思い浮かべたことはないのであろう」と田中氏。
「日本をおとしめ、日本人の誇りを損ねた」とは一体何なのか? 何がどのようにおとしめられたというのか? 「日本人の誇り」って? 事実はまったくの逆で、おとしめられ損ねられたのは慰安婦被害者たちです。問題はこのような蒙昧主義から事実を直視しないままにきたことにあります。
果たして、田中氏が言われるようにバッシングをする人たちやメディアは、これまで慰安婦被害者たちと正面から向き合ったことがあるのでしょうか?
被害者の証言や体験を聞く、本を読む、映像を観る、「ナヌムの家」を訪問するとか、いくらでもその機会はあったでしょうが、おそらくそれを行うこと自体が「日本をおとしめ、日本人の誇りを損ねた」行為になるとでも思ってきたのでしょうか。
書店の店頭を見ればよく分かりますが、朝日新聞バッシングの中で「多くの新聞、雑誌が売り上げを伸ばし」ました。
田中氏は言います。「多くのバッシングはそのように消費される。消費が目的なので、異論は受け付けないし議論するつもりもない。そして、そんなことをしているうちに、問題の本質が忘れ去られる」
バッシングの主な拠り所は「吉田証言」に根拠が無かったということでしたが、河野談話は「吉田証言」に関わりなく、「2年近くにわたって膨大な資料と聞き取りによって調査を進め、それを極めて簡潔な表現で談話にまとめた」もので、安倍政権はこの談話を継承していくことを世界に公言しています。
しかしそれでも今なお、強制性の有無を問題にしてくる人々がいるようです。しかしそれは「強制した側の責任範囲だけ考えていて、慰安婦にされた女性たちのことを見ていないからである。それが業者であろうと兵士であろうと、だまされ、脅され、暴力の中で連れ去られ、強姦(ごうかん)される恐怖と屈辱は同じなのである」(田中氏)。
慰安婦被害者たちは高齢と病気で次々に亡くなっています。まさか安倍政権が内心、被害者たちがこの世から早く消えていくことを願っているとは思いたくはありませんが、日本が「本当の誇り」を取り戻すことは今からでも間にあいます。
では「本当の誇り」とは何か。田中氏は最後に言います。「本当の誇りとは、現実におこなったことに直面し、戦争とは何かを考え続け、二度と同じ過ちが起きないように自分自身を考えていくことにあるのではないか。事実をなかったように言いくるめて自分を慰めることの中に、人間としての誇りはない」