いよいよ次回のドラマ「真田丸」では幸村の父、昌幸が亡くなるシーンが訪れる。
それを知っていたわけではないが、先日の日曜日、真田幸村と昌幸が徳川家康から蟄居を命じられた九度山へ行ってきた。
当初は高野山の蓮華定院に滞在していたが、高野山が女人禁制であったため家族たちと一緒に暮らすために麓の九度山に移ったとも言われている。
本来なら切腹を命じられるところを赦されて、厳しい監視のもと生きながらえているのだから、かなり貧しい暮らしぶりだったようだ。
九度山から、そして大阪冬の陣、夏の陣への経過はこの春できた九度山・真田ミュージアムに詳しく展示されている。
かつて幸村親子が暮らした場所に建てられた寺院(善名祥院)で真田庵と呼ばれている
真田昌幸の墓地と幸村が建てた供養塔
敷地内にある真田宝物資料館には、ゆかりの資料が数多く展示されている。写真は
幸村が夏の陣で使用した槍の穂先との説明が
こちらは幸村直筆の書との説明
「真田三代記」の初版本か・・・・?
裏門から見た真田庵
これが九度山・真田ミュージアム。真田庵のすぐ近くにあり、パネルと映像展示で
真田の歴史がよく分かる
というわけで、ドラマに刺激されて興味を持ち訪れてみたわけだ。
さあ、明後日のドラマと今後の展開が楽しみ!