表題②以降、ずいぶん日が経ってるので何のことかと思われるでしょうが、夜叉神峠関係の続きです。
さて峠から下界に降りてきたところ一帯は戦前は日本陸軍の飛行場があった場所でした。たまたま前夜入った温泉で入手した南アルプス市教育委員会発行のリーフレット「戦争遺跡ロタコを歩く」(遺跡で散歩Vol.5)で知ったのです。前の日に宿泊した芦安温泉を流れてくる御勅使川の扇状地に作られた飛行場で、御勅使河原(みだいがわら)飛行場と呼ばれていたそうです。東京の立川にあった航空廠を疎開させ、敵から隠すための秘密飛行場として計画され、長さ1500m、幅100mの滑走路を中心にさまざまな施設が作られていました。山の斜面には物資保管や飛行機工場用の横穴壕が掘られ、「ロタコ」と言う暗号名で呼ばれていました。「ロタコ」とは第2立川航空廠を示す暗号で、ロはイロハのロ、つまり第2を表し、タは立川、コは航空廠を表したそうです。
それにしても、こうした戦跡をちゃんと保存し、市民が学べるように学習用資料などを作り、市内各所に置いて観光客も手に取れるようにしている南アルプス市はエライ! どこかの自治体にはぜひ見習って欲しいものだと思いました。そこで車に乗ってではありますが、急遽南アルプス市戦跡めぐりを行いました。
白根源小学校 この小学校の子どもたちが滑走路に敷き詰めて偽装するための木の枝の採集や、松根油を造る松お根っこの採集などに動員されました。
誘導路 ロタコ工事の時に作られた飛行機の誘導路跡。戦後も便利なのでそのまま農道として使われています。
滑走路跡 冬に吹き下ろす八ヶ岳颪(やつがたけおろし)を考え、八ヶ岳に向かって設計された幅100m、長さ1500mの滑走路跡。その中央に設けられた誘導路が今も農道として使われています。
三宮神社 滑走路南端にあり、御勅使川扇状地の数少ないランドマークとして、建設工事に動員された地域住民や学生の集合場所のひとつでした。
航空本部と兵舎跡 航空本部が置かれ、本部敷地内にあった温室が兵舎として使われ、戦後温室に戻され現在まで残っています。
ロタコの製材所跡 現在は工場の敷地となっていますが、ここでロタコ工事に使われた木材を一手に製材していました。
徳島堰と掩体壕群 江戸時代に作られた用水路ですが、その堤防に屋根をかけて掩体壕として使われていました。
*以上、引用資料「戦争遺跡『ロタコ』を歩く」(南アルプス市教育委員会文化財課発行)