まいど、日本機関紙出版です。

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吟醸酒と校正漏れゼロをめざして

2022年09月06日 | 編集・営業ふらふら雑記

9月5日(月)
週末に休みがないのはしんどいなあと思いながらの出勤となる。今週どこかで休みを取らねば。

本日もメールにFAXチェックで仕事に取り掛かる。出庫はAmazon、日販、トーハン、楽天ブックスネットワーク、通販など。楽天は上脇先生のテキスト採用品。ありがたいことです。ある会合のためのテキストを購入に梅田まで出かける。この暑さ、駅と地下街直結がありがたい。それにしても人の多いこと! 昼ごはん後は、原稿整理と返品整理。

「笑いヨガ」の竹村さんから「ついでだから」と吟醸酒をいただく。おお、春鹿の酒蔵のやつですね。ありがとうございます。また本の普及に関してうれしい反応もさっそく出ているようだ。

校正漏れゼロの本をいかに作り上げるか、研究もしなくては。

 

 

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『轟音-その後-』著者古久保健氏の講演と映画上映

2022年09月05日 | 編集・営業ふらふら雑記

9月3日(土)

休日出勤の日となる。
この間ずっと続けていた原稿整理を午前中に終え、うまくいきますようにと祈りを込めて著者氏に提案文書と一緒に送信する。

午後は天満のPLP会館で『轟音-その後-』の映画上映と著者の講演会。主催者の堀越氏に挨拶をし、著者の古久保健・久代さんご夫妻に6年ぶりの再会となる。お元気そうで何より。映画は6年前に一度観ていたが、忘れていたシーンも多くあった。学生たちが作った作品だが、なかなか優れたドキュメンタリー映画で、ぜひMBSなどテレビ局の深夜放送枠でも放送してもらいたいレベルだと思う。

古久保健さんは1934年生まれの御年88歳。父親に抱かれたことがない。なぜなら健さんが生まれた時、父親は中国の山西省で戦死していたからだ。25歳という若い死だった。後に戦死の様子を聞かされたそうで、最後の言葉は「水を・・・」だった。健さんが小学2年生、8歳の時に日本の戦闘機の攻撃を受けたB29が地元の龍神村の山中に墜落したその瞬間から健さんの物語は始まる・・・。

この戦争が終わって77年。ついに日本の政権運営者たちは「核共有」「敵基地攻撃」などの言葉を吐くようになってしまった。それは敗戦から平和へ向かった当時とは真逆の姿だ。彼らは親から継承するべき大切なものをどんどん棄てて忘れてきてしまったのだろう。戦争を知る人がいなくなり、その記憶や体験を継承することができなくなった時、この国は再び戦争に突き進んでいくのだろうか。今回、本と映画で健さんの反戦平和の語り部としての姿に改めて触れ、決してそうさせてはならないと強く思った。

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釣銭準備、アイヌ本平積み、「思想新聞」号外

2022年09月03日 | 編集・営業ふらふら雑記

9月2日(金)

朝、家を出る時は雨模様で傘が必要なのに駅に着いたら上がっているパターンが多いのはなぜなのか? 今朝もそんな感じでの出勤となる。

メールにFAXチェックで仕事を立ち上げる。出庫はAmazon、トーハン、日販、直販分。「宣伝研究」誌の連載原稿の校正を確認。郵便ポスト投函の後、銀行に行き集会販売の釣銭用の両替をするが、ATMでは10枚までの両替しかできない。追加の両替をするには窓口手続きが必要で、それに手数料もかかるのであきらめてコンビニ両替作戦にする。

集計実務、昼ごはん、会議文書作成など終え、梅田の清風堂書店へ納品。追加の注文だったのでありがたい。社会科学系の棚に立ち寄り陳列チェック。新刊のアイヌ本も平積みされており、多少は減っている印象。地下街を抜け東通り商店街からデータ屋さんへ向かう。組んでもらった初校ゲラを受け取り近所の郵便局から千葉方面へよろしくお願いいたしますと発送しておく。

帰社すると会議が終わっていたので、急ぎの通販を処理してあと少し残っている原稿整理作業に取り掛かる。メールを見ると出版相談に乗っているある著者から、助成金が不可だったとの連絡。うーん、それは残念。さてこの企画はどうなるか・・・。

統一協会・勝共連合が先の総選挙の野党共闘批判=反共宣伝で配布したという「思想新聞」号外。今日の「しんぶん赤旗」に記事があったのでダウウンロードする。基本は40年以上前と変わらない反共攻撃。言っている内容を見ると自民党が頼りにするのもわかる。

 

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大阪の戦争遺跡を歩く①〈港区〉 一大出征基地の大阪港

2022年09月02日 | 坂手崇保の〈大阪の戦争遺跡を歩く〉 

 大阪市港区は1945年3月13日深夜から14日の未明と6月1日の2回の大空襲で焼き尽くされた。一方で、大阪港は全国各地から兵士、武器弾薬、軍馬、軍事物資などが集結するアジアへの一大出征基地だった。

 37年、盧溝橋事件を機に中国侵略戦争が全面化すると、大桟橋(中央突堤)や住友岸壁、第一、第二、第三突堤から軍隊と武器、物資が大陸に向けて連日船出していった。女性らが出兵を見送り、港区は国防婦人会の発祥地ともなった。

 住友倉庫の屋上には高射砲が置かれ、部隊が駐屯していた。壁には「咲イタ話ニスパイハ踊ル」などの伝単が貼られていた。赤レンガ倉庫群には機銃掃射の跡も残る。


港区私たちと戦争展実行委員会が見つけた住友倉庫にあった張り紙「咲イタ話ニスパイハ躍ル」


住友岸壁の赤レンガ倉庫群

 築港3丁目のあたりは戦時中、陸軍糧秣廠大阪支廠で、豚や鶏を処理し船積みする場所だった。家畜を追悼する「獣魂碑」が建てられ天保山公園に移設されている。


総力戦で家畜も総動員したことを示す「獣魂碑」

 天保山は国土地理院三角点で、かつては日本山岳最低峰(4・53m)だった。山頂に明治天皇観艦記念塔が建っている。2005年10月23日に序幕された日中友好の追悼記念「彰往察来」(過去を明らかにし未来を察する)碑が中国大陸の方角を向いて建つ。大阪で強制労働させられた中国人は1千人以上で港湾荷役などの過酷労働を強いられた。そのうち80人あまりが祖国に帰れず大阪で亡くなった。


大阪中国人強制連行受難者追悼実行委員会が建てた日中友好の碑「彰往察来」

 築港2丁目には大阪俘虜(捕虜)収容所本所があった。後に空襲を受け、福崎に移転する。終戦時、4256人を収容していた。戦後、爆撃機B‐29が最後の作戦として捕虜たちへの食糧補給を行った。地上にPW(連合軍俘虜収容所)と大書させて目印とし、パラシュートで物資を投下した。

 築港1丁目の港住吉神社の大鳥居右横には日露戦争時の艦砲、30㌢砲弾碑。築港南公園には室戸、ジェーン台風の風水害記念碑や金属類回収令で供出されてなくなった軍馬像の台座がある。同1丁目の築港高野山(釈迦院)は戦前、運河の内陸側にあった。宿坊は船出待ちの軍隊の宿舎となり、遺骨の帰還の際には法要が営まれた。


港住吉神社の日露戦争砲弾碑

 6月1日の空襲で焼失し現在の場所に再建された。浪曲発祥碑とともに、淡路島鍛屋沖で潜水訓練死した88人の第70号潜水艦殉難者碑がある。


築港高野山にある潜水艦殉難者碑

【取材・記事/坂手崇保(日本機関紙協会大阪府本部事務局長)。写真・記事の転載禁止】

 

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帯原稿、広告修正、国葬・・・

2022年09月01日 | 編集・営業ふらふら雑記

8月31日(水)
台風接近の影響か、朝から蒸し蒸しの中を出勤する。メールにFAXチェックで仕事を立ち上げる。出庫はAmazon、通販など。竹村本の帯原稿を依頼している方に再校ゲラを送付する。その世界では名の通った方なので期待しておこう。よろしくお願いいたします。

「宣伝研究」誌の広告ページに新しく1点追加するので、その修正依頼。昨日発注した竹村本のチラシが出来したのでご本人に連絡。原稿の修正もあるので直接受け取りに来られる。取次への請求書発送に返品整理を行い、夕方まで原稿整理となる。

国葬問題で今日は国会前で集会が開かれたが、振り返って安倍晋三とはどういう人物だったのかということに関心を持っている。安倍が政権の座にいた最中では、その時点で進行中のことにどうしても目が向いてしまうので、こういうことをあまり考えたことはなかった。

しかし今、統一協会がらみで戦後の自民党独裁政治の闇に国民の目が注がれていることもあり、なぜ彼が8年余りも政治家のトップとして君臨し、様々な意味で国民を危機に晒すような政治路線を取ってこられたのか。彼をそのように突き動かしてきたものは何なのか、その背景やそれを許してきた政治の有り様の虚ろさのようなもの。そんなことも考えてみたい。

写真は「しんぶん赤旗」9月1日より

 

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