昨日の記事、
自転車に乗れたよ!で書いたように、現在、息子の自転車補助輪はずし作戦に親子で取り組んでいるところです。
ということで、今日も夕方から作戦敢行。
車の後ろに自転車を積み、いつもの公園に乗り込みます。
息子は、昨日のコツをまだ覚えていて、今日はその続きから練習することができました。
しばらく走行が安定するまで補助棒を持ってやり、いつの間にか離してやると、一人で進んで行きます。
昨日よりもはるかに距離は伸び、数百メートルは自分で進みます。
数百メートル乗れるということは、自分で漕いで進めるということなので、もう「自転車に乗れる」といってもいいのかもしれませんが、まだバランスの点でちょっと危ういところがあります。
また、肝心の初期始動が難しいので、まだ完全に一人で乗ることができるとは言えません。
でも、今日も買い物の帰りに妻が様子を見に来てくれたので、妻にも数百メートル自分で乗ることができることを見せられて、息子は大得意でした。
僕としても、最初の補助輪はずしの練習のときは、一緒に走っていてとても疲れましたが、今では、はじめに一緒に走るだけで、後はバランスが取れたのを見計らって補助棒から手を離すことができるので、とても楽になりました。
「父さんが後ろにいるかどうか、振り返って見なくてもいいから、そのまままっすぐ進みなさい」という言葉を受けて、息子は後ろも振り返らず(時々振り返ろうとしてバランスを崩してしまいますが)、まっすぐに、時によろめきながらも一人で前に進んで行きます。
そんな息子の姿を見ながら、いつかこいつも、親を振り返りもせずに、僕たちの元を離れて行ってしまう日が来るのだろうなあなんて感慨深いことを考えていました。
少しふらふらして、不安定な様子が見えるけれど、もう自分たちの手の届かないところに進んでいってしまい、そのうち、自分たちの声も届かないところに離れて行ってしまい、僕たちは、息子が一人で勇敢に進んで行くのをはるか後ろから眺めるだけという日がいつか来るのでしょうか。
でも、今の息子は、目標地点まで無事到達すると、満面の笑みで嬉しそうに歓声を上げながら僕たちの元に駆け戻って来てくれます。
この、息子との自転車乗りの練習のことは、きっと息子が大きくなって、僕がおじいさんになったときにも鮮明に覚えている、そして懐かしく思い出されるだろう体験になるはずです。
僕がおじいさんになったときに、おばあさんになっている妻とその公園を散歩しながら、きっと、懐かしく思い出す日が来ると思います。いや、そんな日が来ればいいなあと本気で思います。
僕は、自分が小学校1年生の頃に自転車に乗れるようになった時のことはおぼろげながら覚えています。
そのときに住んでいた、浜松の家の前の広場で練習をして、時に転びながらも父親からプレゼントされた青と白で塗られた自転車に何とか乗れるようになりました。
きっと、その時はとても嬉しい気持ちだったのだと思いますが、そのときの嬉しさというのは意外と具体的には覚えていません。嬉しさという点では、自分が自転車に乗れるようになったときよりも、息子が自転車に乗れるようになったときのほうが大きいように思います。
また、親子で自転車乗りの練習をしている風景は、公園でウォーキングなどをしている皆さんにとっても、とてもほほえましい様子のようで、いろんな人たちが声をかけてくれます。
現在、大震災の被害で、このような平凡な日常を楽しむことができなくなった人たちもたくさんいらっしゃいますし、ちょうど僕たちくらいの親子も命を落としていることでしょう。
そのような状況の中で、親子で自転車の練習をするなどのようなこのような平凡な日常を楽しむことができるとは、僕たちはなんと幸せなことでしょうか!
僕が、きっとこのことを覚えているように、息子にも是非、この練習のことを覚えていてほしいなあとも思います。
さて、辺りが少し暗くなり、最後は、自分で始動できるようになる練習をしました。
これが意外と難しい。
左足を地面に着いたまま、右足でペダルを踏み始め、急いで左足もペダルに乗せ、こぎ続ける。
その間、ふらふらするのをハンドルを微妙に動かしバランスを取りながら倒れないように進んでいく。
この一連の動作が、初心者にとってはかなり難しいのです。
自分の息子をほめて、親ばかではありますが、この地道な練習を、途中何度も何度も自転車を倒しながらも、やる気をなくしたり、いじけたり、泣き出したりせず、頑張っている息子の姿には、かなり感銘を受けました。
おそらく、僕が子どもの頃だったら、泣き出したり、いやになってしまっていたでしょうから。
1,2度うまくいきそうではありましたが、今日のところは始動はマスターすることができませんでした。
また、次回の練習で取り組みたいと思います。
息子よ、次回も頑張れ!
自転車に乗れたよ!で書いたように、現在、息子の自転車補助輪はずし作戦に親子で取り組んでいるところです。
ということで、今日も夕方から作戦敢行。
車の後ろに自転車を積み、いつもの公園に乗り込みます。
息子は、昨日のコツをまだ覚えていて、今日はその続きから練習することができました。
しばらく走行が安定するまで補助棒を持ってやり、いつの間にか離してやると、一人で進んで行きます。
昨日よりもはるかに距離は伸び、数百メートルは自分で進みます。
数百メートル乗れるということは、自分で漕いで進めるということなので、もう「自転車に乗れる」といってもいいのかもしれませんが、まだバランスの点でちょっと危ういところがあります。
また、肝心の初期始動が難しいので、まだ完全に一人で乗ることができるとは言えません。
でも、今日も買い物の帰りに妻が様子を見に来てくれたので、妻にも数百メートル自分で乗ることができることを見せられて、息子は大得意でした。
僕としても、最初の補助輪はずしの練習のときは、一緒に走っていてとても疲れましたが、今では、はじめに一緒に走るだけで、後はバランスが取れたのを見計らって補助棒から手を離すことができるので、とても楽になりました。
「父さんが後ろにいるかどうか、振り返って見なくてもいいから、そのまままっすぐ進みなさい」という言葉を受けて、息子は後ろも振り返らず(時々振り返ろうとしてバランスを崩してしまいますが)、まっすぐに、時によろめきながらも一人で前に進んで行きます。
そんな息子の姿を見ながら、いつかこいつも、親を振り返りもせずに、僕たちの元を離れて行ってしまう日が来るのだろうなあなんて感慨深いことを考えていました。
少しふらふらして、不安定な様子が見えるけれど、もう自分たちの手の届かないところに進んでいってしまい、そのうち、自分たちの声も届かないところに離れて行ってしまい、僕たちは、息子が一人で勇敢に進んで行くのをはるか後ろから眺めるだけという日がいつか来るのでしょうか。
でも、今の息子は、目標地点まで無事到達すると、満面の笑みで嬉しそうに歓声を上げながら僕たちの元に駆け戻って来てくれます。
この、息子との自転車乗りの練習のことは、きっと息子が大きくなって、僕がおじいさんになったときにも鮮明に覚えている、そして懐かしく思い出されるだろう体験になるはずです。
僕がおじいさんになったときに、おばあさんになっている妻とその公園を散歩しながら、きっと、懐かしく思い出す日が来ると思います。いや、そんな日が来ればいいなあと本気で思います。
僕は、自分が小学校1年生の頃に自転車に乗れるようになった時のことはおぼろげながら覚えています。
そのときに住んでいた、浜松の家の前の広場で練習をして、時に転びながらも父親からプレゼントされた青と白で塗られた自転車に何とか乗れるようになりました。
きっと、その時はとても嬉しい気持ちだったのだと思いますが、そのときの嬉しさというのは意外と具体的には覚えていません。嬉しさという点では、自分が自転車に乗れるようになったときよりも、息子が自転車に乗れるようになったときのほうが大きいように思います。
また、親子で自転車乗りの練習をしている風景は、公園でウォーキングなどをしている皆さんにとっても、とてもほほえましい様子のようで、いろんな人たちが声をかけてくれます。
現在、大震災の被害で、このような平凡な日常を楽しむことができなくなった人たちもたくさんいらっしゃいますし、ちょうど僕たちくらいの親子も命を落としていることでしょう。
そのような状況の中で、親子で自転車の練習をするなどのようなこのような平凡な日常を楽しむことができるとは、僕たちはなんと幸せなことでしょうか!
僕が、きっとこのことを覚えているように、息子にも是非、この練習のことを覚えていてほしいなあとも思います。
さて、辺りが少し暗くなり、最後は、自分で始動できるようになる練習をしました。
これが意外と難しい。
左足を地面に着いたまま、右足でペダルを踏み始め、急いで左足もペダルに乗せ、こぎ続ける。
その間、ふらふらするのをハンドルを微妙に動かしバランスを取りながら倒れないように進んでいく。
この一連の動作が、初心者にとってはかなり難しいのです。
自分の息子をほめて、親ばかではありますが、この地道な練習を、途中何度も何度も自転車を倒しながらも、やる気をなくしたり、いじけたり、泣き出したりせず、頑張っている息子の姿には、かなり感銘を受けました。
おそらく、僕が子どもの頃だったら、泣き出したり、いやになってしまっていたでしょうから。
1,2度うまくいきそうではありましたが、今日のところは始動はマスターすることができませんでした。
また、次回の練習で取り組みたいと思います。
息子よ、次回も頑張れ!