山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)

英語教育、国際姉妹都市交流、ジョン・スタインベック、時事英語などの研究から趣味や日常の話題までいろいろと書き綴ります。

スタインベックの生き字引Carol Roblesさんを悼む―Carol and John Steinbeck

2017-01-29 23:18:05 | 日記
先日、日本ジョン・スタインベック協会のNewsletter No.61が発行される(2016年12月29日)で書いたように、この学会Newsletterのpp.5-7に「スタインベックの生き字引Carol Roblesさんを悼む―Carol and John Steinbeck」と題する、大変お世話になったCarol Roblesさんへの追悼文をこちらにも転載させていただきます。

スタインベックの生き字引Carol Roblesさんを悼む――Carol and John Steinbeck
                         山内 圭(新見公立大学)
 キャロル・ロブレス(Carol Robles)さんと最後にお会いしたのは、2016年5月8日(日)の午前9時頃、サリナス郊外からサンノゼ国際空港へ向かうMonterey Shuttleの乗り場に車で送っていただいた時でした。この乗り場は、私が宿泊していたサリナスのHoliday Inn Expressからやや離れた所にあるため、キャロルさんがホテルから送ってくださったのです。私は授業の関係で、この日はSteinbeck Festivalの最終日だったのにも関わらず、最終日は出席せずにサリナスを出発する必要がありました。キャロルさんは、既に始まっているFestival会場に行きたいところだったと思いますが、シャトルが来るまで私のために一緒に待っていてくれました。待ちながら、日本ジョン・スタインベック協会ではスタインベックの没後50年となる2018年に記念論文集を出版し、記念イベントを行いたいと伝えたところ、キャロルさんはぜひ出席したいと言われました。その時にはぜひ私の住む新見にも来てくださいとお誘いし、来てくれると言ってくれました。シャトルが来たので、では、今度は遅くとも2018年に日本で、できればそれより早くサリナスで会いましょうと言って、お礼とお別れのハグをしてシャトルに乗り込みました。どんなことにも最後があるのですが、2018年には日本でキャロルさんに会い、新見にもお招きするつもりでしたので、10月末に、彼女の訃報を聞いた時には、大きなショックを受けました。ただ、不幸中の幸いだったのは、彼女にお礼を述べてハグをして、結果的には最後となってしまったお別れができたことです。
 私がキャロルさんと初めてお会いしたのは、彼女が2004年5月に関西大学で開催された第28回日本ジョン・スタインベック学会とその懇親会だったと思います。この学会でキャロルさんは、“Steinbeck’s Early Years in California”と題する基調講演を行い、サリナスをはじめとするカリフォルニア州内のスタインベックゆかりの地や人物の写真を数多く見せていただきました。同じ学会で私も「一般アメリカ人のスタインベック作品の評価について」と題して研究発表をさせていただきました。実は私自身は、忘れてしまっていたのですが、この日のキャロルさんの基調講演の内容について私が質問をしたことをキャロルさんが覚えていてくださいました。
 次にキャロルさんにお会いしたのは、2010年8月のSteinbeck Festivalでした。この時には、私たち日本からの参加者一同、キャロルさんにはとてもお世話になりました。私たちが宿泊するホテルの部屋には、welcome giftが置かれ、スタインベック・センターへの送迎もしてくださり、また、キャロルさんが友人のDeniseさん運転の元、私たち日本からの研究者のためにサリナスとモンテレーの特別ツアーをしてくださったのです。これは、とても貴重で有意義な体験になりました。
スタインベック・ハウスにて(2010年8月6日)

キャロルさんは、サリナスの町の歴史全般に詳しいのですが、スタインベックのことは特に詳しく、まさにスタインベックについての生き字引と呼ぶのにふさわしい人だと思いました。私たちを送迎してくれたキャロルさんの車のライセンス・プレートは、なんとスタインベックの誕生日1902年2月27日にちなんだものになっていました。
(2010年8月)

この時のフェスティバルでは、日本でスタインベックをどのように教えているかということについて、中垣先生、大須賀先生と一緒にパネルディスカッションを行ったのですが、その内容もよかったと褒めてくださいました。ということで、キャロルさんをはじめとする方々のおかげで、とても有意義な時間を過ごすことができました。
ナショナル・スタインベック・センターで(2010年8月)

キャロルさんと親しくなる前もキャロルさんから送られてきたスタインベックについての情報は中山喜代市先生を通じて、あるいは本協会を通じて受け取っていましたが、親しくなってからは、直接メールにて様々な情報を送ってくれました。これらは研究上に本当に貴重な資料となり、例えば、Steinbeck Studies Vol.37に掲載されたDogging Steinbeck: Discovering America and Exposing The Truth About ‘Travels With Charley’についての書評を書く際、Carolさんが送ってくれた新聞記事が大変役立ちました。
 また、私たちが渡米する際も、サリナスの気候や移動方法など細かく心配してくださり、また、帰国後も訪問のお礼メールをいただいたり、お世話になった方々の連絡先を教えてくださったり、細やかな心遣いで私たちと交流してくださいました。上述の書評文中、キャロルさんのお名前に言及したことについてもお礼のメールをいただきました。また、2011年3月11日の東日本大震災の際には、早速、安否確認とお見舞いのメッセージもいただきました。
 2016年5月、大須賀先生と私がスタインベック・フェスティバルに参加することを決めると、キャロルさんは大変喜んでくれました。ナショナル・スタインベック・センターのディレクターのSusan Shillinglaw先生とともに、ホテルや移動手段の手配を進めてくださいました。今回はサリナスに2泊しかできませんでしたが、やはりキャロルさんには非常にお世話になりました。

ナショナル・スタインベック・センターで(Carol Roblesさんの名前入りのレンガは、キャロルさんの左手首付近にある, 2016年5月7日)

今回は、5月7日午後4時スタートのキャロルさん担当のHistoric Walking Tourに参加させていただきました。キャロルさんは、杖はついていたものの、とても元気にサリナスの町の案内をしてくれました。このツアーには、現在、スタインベックの新しい伝記を準備中の伝記作家William Souder氏も一緒に参加されました。キャロルさんの知識が、スタインベックの新しい伝記に生かされることになるだろうとわくわくする思いで説明を聞いていたことを覚えています。


Historic Walking Tourで説明をされるキャロルさん(2016年5月7日)

ツアー後は、スタインベック・ハウスにて夕食会でした。この時、キャロルさんは、友人のPeter Hossさんと同じテーブルにつかれ、私たちはその隣のテーブルで晩餐を楽しみました。

スタインベック・ハウスでの夕食会(2016年5月7日)

キャロルさんは、お亡くなりになる10月まで私たちにスタインベック情報を送り続けてくださいました。10月10日にエド・リケッツJr.とお会いになった写真を会った日の当日(日本では翌11日)に、送ってくださいました。そのことについての私からのお礼メールに対して、キャロルさんは、“Ed Jr. is 93 and in good health, but we need to enjoy him while we can. Carol”(2016年10月11日Carol Roblesさんからの私信メール)と書かれていました。キャロルさん、可能な間にエド・リケッツJr.とお会いになられて、本当によかったですね。どうか安らかにお休みください。

2010年のSteinbeck FestivalでCarolさんにお世話になったことについては、
サリナス訪問
August 5th
8月6日(金)

をご覧ください。


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